幸せの定義
ガチャリと音を立て玄関が開く。今日は会議が押しに押しまくり、その上明日の営業に必要な書類の不備が見つかり対応を迫られ、解散時に時計を確認すれば当然のように日付けを超えていた。
車を走らせようやく、といった気持ちで我が家にたどり着く。先述の通りドアを開ければ、やはりと言うべきか家の中は真っ暗だった。それもそうだ。同じく仕事をしている身だ。夜はきっちりと寝なければ。
...そのことは理解しているが、やはり恋人としては起きていて欲しかったというか。 もちろん、ただのエゴでしかないが。
リビングの電気をつけ、鞄を放り出し、最後の力を振り絞ってジャケットをハンガー ラックにかけたあとは、倒れ込むように近場のソファにダイブする。あまりに疲れきった体は、随分と寝づらいはずのソファの上ででさえ、眠りにつこうとしている。
ベッドまで行かなければ。冬が近付いてきて、ここで一晩を明かせば風邪をひく可能性は十分にある。そう分かっているのに、瞼はゆっくりと下がってくる。
「わかし」
愛しい恋人の名前を呼んだ途端、先程までの眠気が嘘のように頭がすっきりとした。 足音に気をつけながら寝室に向かう。
なるたけ静かにドアを開け、ゆっくりとサイドテ ーブルまで近づく。カチリと小さく音を立てて照明をつければ、若の顔が照らされる。熟睡しているようでピクリとも動かない。目の下にはうっすらとクマが出来ていてそれをなぞれば、俺の手に擦り寄るように若の頭が動く。
「かわいいヤツだな」
ぼそりと、本当に小さな声のはずだった、のに。俺の手の平に包まれている若の顔はゆるりと緩んでいく。まるで俺の声が聞こえていたかのように。...これはもしかして。
「...わかし、かわいい」
若の耳元に、低く吐息を混ぜた声で呼びかける。これまたピクリと反応を返すのが面自くていたずらに数度囁けば、とうとう耐え切れなくなったのか顔を真っ赤にしながら布団を剥いで若が起き上がる。
「面白がってるでしょ景吾さん!」
「若の反応が面白かったからな」
ぷりぷりと全く怖くない怒りをまき散らす若は、どうみても眠気とは無縁の佇まいだ。
「なあ、俺の帰り、待ってたのか」
ぐっ、と返答に詰まる若を見れば、もう半ば答えを言ったようなものだ。
「一人で寝るのが嫌なだけですよ」
それがどれだけの破壊力を持つ発言なのか、そろそろ自覚してもいい頃だと思うんだが。シャツもスラックスも、責任をもってクリーニングに出そう。今日は過ごしやすくてあまり汗もかかなかったし、一時間早く起きれば朝風呂も余裕だ。
「わかし、好きだ」
「ん、知ってますよ」
布団にもぐりこみながら語りかけるみたいにして愛を囁く。こそこそ話をするように、俺に囁き返す若の呼気に耳元がこそばゆくなって、それ以上の多幸感に包まれる。これから先何十年も、こうして二人一緒に眠ることが出来るのだろうか。
それはなんて幸せなんだろうか。サイドテーブルに手を這わせ、パチリと電気を消す。その手で若を抱き寄せながら、そっと瞼を閉じた。きっと明日もいい日だ。
腕の中の温もりを感じれば、直ぐに安眠へと誘われていったのだった。