すれ違いベクトル
2→←8
試験一週間前になると立海大付属中では全ての部活動が休止状態となる。いくら強豪校のテニス部といえど、学生の本分は学業だから御多分にもれず一週間勉強に集中し続けなければならない。
今日の放課後は仁王くんと勉強会をする予定を立てていた。私が所属するA組に放課後になればふらりと現れて、前の机をくるりと反転させ向かい合う形で教科書を広げる。
解いているのはどうやら数学で、頭ではきちんと構築されているのか途中式を省いてどんどんと答えだけが書き連ねられていく。
自分は古文の現代語訳にいそしんでいて、ただ静かに時間が流れていった。
その時だ。そんな空間を突如として誰かの声で突き崩された。
「あ、あの、仁王くん…ちょっと、時間もらってもいいかな」
いつの間にやら仁王くんの側に一人の女子生徒が立っていた。確か仁王くんと同じクラスの、――さん。彼も相手が誰だか、そして何の要件だか勘づいたのか、私に一言、すまんの、と声をかけて教室を後にした。ええ、と簡素に返答して、また手元の文章へと視線を戻す。
『つらくもおはしますかな』
「薄情でいらっしゃるなあ」
ああ、そうだ。
これはまるで仁王くんみたいだ。
いつだって飄々としていて人の心をひどくかき乱すのに、ずっとそばに居てはくれない。やっと手に入れた気がするのに、いつだって君の瞳はどこか遠くを見ていて、自分だけを見続けてはくれない。
「彼女さんを放っておいて私と逢瀬を重ねるなんて、どっちにも不誠実だと思いませんか」
私の問いに答える人物は今この場にはいない。文章を読み進めながら、頭の片隅で恐らく彼女に振られているに違いない仁王くんが帰ってきたときに、なんて声をかけるかを思案する。
(いっそのこと私と付き合いますか)
だなんて、思い余って言ってしまわないように。しっかりと考えなければ。手の中のシャーペンをぎゅっと握り直した。
*
「また振られましたか」
「告って来たのは向こうなのにの、どうして俺が振られるんかのお」
頭の後ろで腕を組んで、椅子の背もたれを使って大きく背中をのけぞらす。ぼやくように返事をすれば肩を竦めた紳士は、知りませんよ、と随分とつれないご様子だ。
柳生との勉強会の中断を食らいながら彼女についていけば、人気のない廊下の突き当りで随分と問い詰められた。
全然かまってくれないだの、部活がない日ぐらい一緒に帰りたかっただの、果ては何故柳生と一緒にいるのかまで質問攻めにされて、早くもうんざりしていた。
「付き合う前に言っとったじゃろ、テニスが一番で他のことは同じくらい大切に出来んって。それでもいいって言ったんはお前さんの方じゃき」
どうやらその言葉は随分と地雷だったようで、まるで般若のように眼を吊り上げて怒るものだから、心がどんどん冷え込んでいく。
「もういい!私と別れて!」
「いいよ」
ようやく聞きたい言葉が聞けた。言質はとった、これでもうフリーだ。告白避けにはなるものの、彼女を作るのは嫌なリターンが多すぎたことを悟る。ゆらゆらと尻尾を揺らしながら、背中越しの彼女のヒステリックな声を聞き流す。
「柳生さんに慰めてもらわんとの」
いっそ柳生が付き合ってくれればいいのに。自分から好きだという三文字すら言えないことを棚上げして、そんなことを考える。
けど、あのお堅い柳生では、男同士で付き合うなんて発想が浮かぶことさえないような気がする。だから恋人になれないのならせめて一番近くで、誰にも奪えないほどの親友の立ち位置を、せめて。
向こうもそんな感情を少しだけ俺と共有していてはくれないかと思いながら、リノリウムの廊下をA組に向けて早足で歩き進めた。