微熱



とぼとぼと帰り道を歩いている最中だった。

「あれ、唄杜先生じゃね?」

聞き覚えのある声につられて顔を上げる。声の方へと誘われるように視線を向けると、ほら、やっぱりな、とはにかむ宇髄先生と目が合った。

「おつかれ!今帰り?」

「おつかれ様です。今帰りです」

プライベートで先生に会うのは初めてだったので、緊張からか宇髄先生の言葉をオウム返しのように返してしまった。普段は白衣姿の彼だが、Tシャツ、パーカー、デニムとラフな格好で髪も下ろしており、気だるげな雰囲気はどことなく大人の色気が漂っている。人見知りも相まって彼の目を直視出来ず、私は視線を仄青いコンクリートへと逸らした。彼は特に気にも止めていない様子で続ける。

「唄杜先生の家ってここら辺なの?」

「まあ、遠くはないですが近くもないというか」

「ふーん…」

曖昧な返事をしてしまったが、あながち間違いではない。宇髄先生は何かを考えるような素振りをすると、悪戯を思い付いた子供のように笑った。

「唄杜先生、これから帰るだけなんだよな?」

「は、はい。そうですけど、」

何故かわからないが嫌な予感がした。

「こいつらと今飲んでんだけど、一緒にこない?」

こいつら、と親指をくいくいと後方へと指す。宇髄先生の大きな体躯で見えなかったが、頭を傾け彼の背中越しに覗くと二軒先の居酒屋の前に見知った何人かの姿を見つける。
そこには就業後すぐに集まったであろう冨岡先生、不死川先生、煉獄先生の三人が談笑をしていた。私の姿に真っ先に気づいた煉獄先生と目が合う。

「唄杜先生!お疲れさま!」

私を見つけると手を挙げ、笑みを深くする彼に心臓が大きく高鳴る。隣で無表情を決め込む冨岡先生や不機嫌そうに顔を顰めている不死川先生を後目に、煉獄先生はこちらに揚々と近づいてきた。

「唄杜先生も一緒に飲むか!」

「そんなに声張らんでも聞こえてるわ」

私がいつもに増して声量も大きく快活な彼に圧倒されている横で、宇髄先生が苦笑いしながら呟く。宇髄先生は普段とあまり変わっていないように見えたので気がつかなかったが、彼らはもうだいぶ飲んでいるのではないだろうか。後ろの二人の顔をちらりと覗き見ると、ほんのり頬が赤らんでいるように見える。

「どうだろうか」

煉獄先生がにこやかに微笑む。あまりの屈託のない笑顔に、私の心臓はもうもたないかもしれない、と思いながら、気づけば二つ返事で応えていた。



店内へと入ると、活気のいい店員さんにテーブル席へと案内される。彼らの後ろに内心そわそわしながら付いていくと、真ん中の席を勧められたが全力で断った。
私の右隣には煉獄先生、正面には不死川先生が腰を下ろす。四人は自然な流れで次は何を食べるかだとか、冗談を言い合ったりしており、いよいよ私は場違いではなかったのかと、口を硬く結びテーブルの木目を見詰めていた。

「唄杜先生、そんな怯えた顔してどうした?……あ、不死川が睨み利かしてたんだろ?」

「不死川、唄杜先生を怖がらせるな」

「睨んでねェよ!」

喧嘩腰に冨岡先生に啖呵を切る不死川先生にぎょっとしていると、宇髄先生が気にもとめない様子でドリンクメニューを差し出してくる。

「何飲む?全部不死川の奢りだから」

「…えーと、それじゃあ、ビールをお願いします」

「へぇ、唄杜先生意外と飲めるの?」

「い、いえ、普通です」

「ふーん、…あ、すいませーん!」

宇髄先生が店員さんを呼び、慣れた様子で全員分のお酒を頼む。注文した飲み物を待っている間、隣の煉獄先生が食事メニューを取り出して私の前に広げた。

「夕食がまだだろう。好きな物を頼むといい!今日は俺の奢りだ!」

「いえ!私も払います」

溌剌と宣言する煉獄先生に、申し訳ないとと両手を小さく振って断る。

「遠慮はいらん!何が食べたい?」

ずい、と豪快にメニュー表を差し出され、煉獄先生なら本当に奢ってくれそうだ、と苦笑する。勧められるがままにページを捲り、みんなで食べられそうなものはないかと唸っていると、逸品と書かれた欄にあるものを見つけた。

「煉獄先生、さつまいもの天ぷらがありますよ!」

「よもや!…頼まないわけにはいかないな!」

「こっちには大学芋もあります!」

「うむ!それもいただこう!」

わかりやすく喜ぶ煉獄先生に、こちらまで嬉しくなってくる。

「他にも何かないですかね…あ!鯛めしも」

ありますよ、と視線を煉獄先生へと向ける。すると頬杖をついて、こちらを覗き込むようにしている彼と目が合った。一緒にメニュー表を見ているだろうな、と思っていた私はぱちくりと目を瞬かせる。いつも相手を射貫かんとばかり大きく見開かれている両目は、微笑んでいるためか細くなり頬は少し上気している。

「れ、煉獄先生…?」

「いや、愛らしいな、と思ってな」

「…へ、ぁ」

一瞬、呼吸が止まった気がした。あ、愛らしい…?煉獄先生は私に言ったのだろうか。しばらくの間、私は呆然としていたが、彼がさらに笑みを深めたので勢いよく目を逸らしてしまった。わかってはいたが、煉獄先生は随分酔っているようだ。でなければ、愛らしいなんて言うはずがない。
私は彼の顔を見れなくなってしまって、どうしようかと思っていたところで飲み物が運ばれてきた。

「乾杯といきますか」

宇髄先生がおつかれー!とグラスを前に出したのを皮切りに、それぞれがグラスを手に取る。

「唄杜先生、お疲れさま」

「お、お疲れさまです」

私もみんなに倣ってグラスを交わす。この時ばかりはタイミングが良かったと小さく息を吐いた。



ーーーそれからそれぞれが他愛のない話をして、私も随分と気が緩んできた。手洗いから帰ってくると、煉獄先生と宇髄先生の姿はなく、不死川先生の背中がぽつんと寂しそうにしているのが見えた。その端には壁に寄りかかり、静かに寝息をたてる冨岡先生が。風邪を引いてしまわないか、と持っていた膝掛け掛けようとすると、おい、と低い声が聞こえてくる。

「そんな馬鹿ほっとけェ」

ほら、と不死川先生が茶碗に盛られた鯛めしを差し出してくる。

「あ、ありがとうございます」

私が受け取ったのを確認すると冷める前に食えよ、と一言添えて別の茶碗に手を伸ばす。自分を他所に、煉獄先生や宇髄先生、寝ている冨岡先生の分まで手際よく取り分けている様を、知らずのうちにじっと見ていた。

「不死川先生は兄弟がいらっしゃいますか?」

無意識に出た言葉だった。彼は少しの間、動きを止めると私へと視線を向ける。

「…あァ、下に六人いる」

「通りで!面倒見がいいと思ったので…私は一人っ子だったので、兄弟がいるのが羨ましいです」

「そんなんでもねぇよ。うるせぇだけだ」

目線を斜めにずらし、ぶっきらぼうに答える彼に、私は少し思い違いをしていたようだと感じた。最初は粗暴で厳つい印象だったが、案外彼は優しい人なのかもしれない。

「なんだぁ?不死川、唄杜先生口説いてるわけぇ?」

「普通に話してるだけだろうがァ!」

不死川先生と話している途中で、いつの間に帰ってきたのか宇髄先生が揶揄うように不死川先生の首に腕を回す。それを鬱陶しそうに払い除けると、宇髄先生は私の隣にどかっと腰掛けた。

「ヤケになっちゃって、さらに怪しいぞ」

「うるせェ!」

ガヤガヤと言い争っている二人を見ながら、堪えきれず欠伸を噛み殺す。腕時計を見れば、日はとっくに跨いでいた。



210114