黒尾と弟クン


6時半ちょっと前に研磨と校門前に行けば、そこにはまだ誰もいないようだった。今日は、合宿初日だ。

「……なんだ研磨、お前嬉しそう、ってかウキウキしてるな」
「なに突然」
「いやぁ? そういや烏野のチビちゃん、ちゃんと来るのかねえ。時期的に期末の補習とかあってもおかしくないけど」
「……翔陽って、頭悪いのかな」
「……間違っても良くは見えねえな」

今回は俺たち音駒、梟谷、森然、生川の4校からなる梟谷グループの合宿に宮城の烏野が参加する。ごみ捨て場の決戦以来、結局今まで再会することはなかったが、こうやって合宿を一緒にできることは嬉しいことだ。特にあのチビちゃんがいるおかげで研磨のやる気……というかモチベーションが上がるからありがたい。

「……翔陽、来るよね?」
「……あいつなら遅刻してでも来るだろ」

 研磨と適当に話していると徐々に部員が集まってきて、来ていないのも山本、リエーフ、仁王の3人だけになった。リエーフが早くに来ないことに対して夜久がイライラとしていたが、まだ集合時間10分前だからそこまで怒らなくてもと思う。

「おはざーっす!」

モヒカン頭が遠くの方からやってきたのがわかった。待たせる人数が増えたせいで夜久の怒りのボルテージがどんどん上がってく。これで次にやってくるのが仁王だった場合、どうなることやら。

「はよ。なあ、仁王かリエーフ見なかったか?」
「あー、仁王さんなら見ましたよ。もうすぐ来るんじゃないスか?」
「そうか……」

次は仁王らしい。昨日の名前呼びは幻聴だったのか、自宅で何度も自問自答したが結局答えは出なかった。あれは確実に鉄朗、と言っていた気がする。でもそれは俺の願望でもあるから、黒尾と呼んだ声を勝手に脳内変換して鉄朗と呼ばせるようにしたのかもしれない。いやでも黒尾と鉄朗じゃあ "ろ" しか一致しているものがない。それを脳内変換するには無理矢理すぎる気がする。自問自答と言ってもそんな馬鹿らしいことしか考えていなかった。
いつもの恋愛だったら、あっちから告白してきてテキトーに付き合って、テキトーにデートして、テキトーにやる。そんな感じだ。それでバレーのことを理解してもらえなかったり、ありもしない浮気を突きつけられて別れる。それがいつもの恋愛なんだが。こうも相手から好意を持たれていると確信がある場合と、こちらからの一方的な好意では今まで通りいかないものなのか。正直言って、俺はモテる方だとは思う。自覚ありだ。だからこそ本当に好きな人ができたときにはきっと振り向いてくれるだろうと心の奥底で思っていた。だから俺がこんなにもヘタレだとは考えもしなかった。振り向いてくれると考えている時点でヘタレだったのかもしれない。

「あっ……に……に、にに仁王さんお、おおおはようございますっ!」
「おはよう。山本くん、だったか」
「は、はい、そそそうです……!」

髪型に似合わない話し方が耳に入って仁王がやってきたことがわかった。今日も相変わらず綺麗、と言いたいところだが今日はいつにも増して寝癖が酷い。

「おはよ」
「おはよう……待たせてしまったようじゃな。すまん」
「そんな待ってないから、謝るなよ。リエーフもまだ来てねえし」
「うちの気が収まらんのじゃ」
「……まあ、いい。それにしてもよ、その寝癖……」
「いやあ、弟と一緒に寝坊してしまっての。やってる暇がなかったんじゃ」
「なに、弟クンは今日部活?」
「ああ、テニス部なんじゃ。もうすぐ大会での」

テニス部。もうすぐ大会ってことは、結構いいところまで行ってるのか。近辺の中学校でテニスで有名なところを考えたが、バレーしか頭にない俺には思いつかなかった。
どこの中学と聞こうとした時、海の驚いた顔が目に入った。

「姉ちゃん!」

俺たちのもとに走ってくるのは仁王雅美にそっくりな顔……いやあれはいつか見た顔だ。そう、LINEのプロフィール画面の弟クン。周りの奴らは見たことがないからかどよめいていて、瓜二つの顔に驚いていた。

「雅治? どうしたんじゃ?」
「そのバック俺のじゃ! 返せ!」

仁王雅美と並んだその姿は、写真で見るよりはそっくりではなかった。とはいえ、あの写真ではわからないが身長もほぼ一緒で瓜二つなのには違いない。そしてこの子は本当に中学3年生なのか。色気が漂う中学生なんて見たことがない。
辛子色の珍しいジャージを身に纏った弟クンは姉のスポーツバックをひったくって、自身が持っていた同じスポーツバックを姉に突き出した。

「だから違うもんにしろって言ったんに」
「ちょうど同じのしかなかったんじゃ!」
「雅治は姉ちゃんのこと好きじゃのう……」
「違うぜよ!」

二人の会話を聞いてると弟クンが年相応にみえてきた。ただの反抗期の弟だ。
彼はスポーツバックの件を否定しているが、実際店には数種類のスポーツバックは必ずあるので一つしかなかったなんてありえない状況だ。だからきっと彼は姉ちゃんが好きなんだろう。今は言えないだけで。

「……姉ちゃん、髪ボサボサで見苦しいぜよ」
「え、さっきも言われたんじゃが……」

仕方ないのう、と言うと姉の髪を手で梳かし始めり。その姿は弟が姉に、というより兄が妹に手を焼いているように見える。思ったより仲はいいらしい。

「すまんの」
「だったら自分でやってきてくれ。……じゃあな」
「ああ。真田くんに迷惑掛けんように」
「それはどうかのう……」

そう言って彼は去っていった。きっとサナダクンというのは彼の部活の人なんだろう。少し離れたところで二人の動向を見守っていた山本が近寄ってきて、興奮した様子で何かを言っているがあまり耳に入ってこなかった。

「本当に弟クンとそっくりだな」
「まあ姉弟だしの」
「……つかぬことをお伺いますが、弟クンは本当に中3デスカ?」
「中3じゃ。老けてるけど中学生じゃよ」
「色気やべえって……!」
「よう言われる」

いや、よう言われるってなんだよ。聞かれることにはなれた様子で仁王は少し呆れた口調で返事をした。それに対して苦笑いをすると、彼女は目を細めて俺ではなく俺の後ろにいる何かに視線を移した。

「ん? あれは灰羽くんか? やけに青白い顔をしとるが……」
「あ? リエーフ? あいつギリギリセーフだったのか」

振り向けば全速力で走ってくるリエーフの姿が目に入った。彼女の言う通り、顔色が悪い。現在時刻は6時59分。ギリギリセーフだ。だから青白い顔をしながら走って来ているのか。

「おい! リエーフお前もっと早く……」
「夜久さああああああん! 雅美さんがああああ!」

「……うち?」
「お前、なんかやった?」
「いや、やってない……ハズ」

時間に間に合わない焦りからくる顔色の悪さではなかったらしい。それにしても仁王についてなんて何かあったのか。怪訝そうな目つきでみんながリエーフを見つめる中、リエーフは今にも死にそうな顔で言い放った。

「雅美さんが、男だったんです!!」

「……は?」

仁王雅美が男? 何を言ってるんだこいつは。

「……ふっ……クククっ……!」
「雅美さん! 嘘ですよねえ!!」
「ククっ……は、灰羽くん、それ、うちの弟じゃよ……ふっ……!」
「……へ?」

その場にリエーフと研磨を除く部員の笑い声が響いた。流石に、それはありえない。よほど面白かったのか仁王が一番長く笑っていた。リエーフはその事実に今度はドッペルゲンガーなど言い始めたが、仁王が写真を見せると納得したようだった。

「本当、灰羽くんは単純で面白いのう。からかいがいがある」
「まあ、馬鹿だからな」

そういえばまた笑う彼女をみて少しだけリエーフに嫉妬した。今彼女を笑わすことができているのはリエーフで俺ではない事にひどく醜い感情を持っていることに、苛立ちを覚えた。ただ、彼女のあの笑顔はまだ部員に見せていないその事実が俺の心を満たしている。


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