舌で転がす7度8分の微熱
言の葉の飽和の続き



 「今日も素敵だね」と歯の浮くような台詞が鼓膜を震わせた。後ろを振り向くと案の定ビリーがコーヒーカップ片手にふわりと笑っている。お世辞が上手いんですね――喉元まで出かかった言葉を飲み込んで「ありがとうございます?」と返すと、彼は少し面白そうに肩を揺らして「なんで疑問形なのさ」と言葉を放った。

「私のどこが素敵なんだろうと思いまして」
「もしかして疑ってる?君は素敵だよ、その長い黒髪もちょっと切れ長の目も、不器用な笑顔も。僕は好きだな」
「……見た目だけじゃないですか」

 私の声は自分でも驚いてしまうほど拗ねた音をしていた。それがとにかく気恥ずかしくてふいとビリーから視線を逸らしたけれども、私が気付いたことに彼が気付かぬはずもない。ビリーは私の隣に当たり前のように腰を下ろしながら、「あ、見た目だけじゃ嫌だった?」とからかい半分に口にする。揶揄の響きを多分に孕んだその声に、「いいえ、見た目だけで充分です」と突っぱねると、彼はくつくつと喉を鳴らし、湯気のたつコーヒーをこくりと嚥下して、
「君は中身も充分魅力的だよ。勤勉で優しくて、ちょっとひねくれててさ」
「……可愛いんですか」
 ぽそ、とこぼした瞬間、ビリーがはっと目を丸くしたのがわかった。彼の驚いたような視線は真っ直ぐ私に注がれて、驚愕以外にも色々の複雑な感情を伝えてくる。が、それはあまりにぐちゃぐちゃと混ざり合っていて、鈍感な私にはどれが何の感情なのかまでははっきりとはわからなかった。
 しばしの沈黙が二人の間に横たわっていた。少し気まずいような、それでいて落ち着くような不思議な静寂を割いて、ビリーが「そうだよ」と肯定の言葉を放つ。

「可愛いんだ。……でもちょっと驚いたな、君が自分で可愛いって言うようになるなんて思ってなかったから」
「私だって思ってませんでしたよ。でもあれだけ言われれば何となくわかります」
「言い過ぎって思ってる?」

 ちらりと隣を見やると、にんまりと笑みを浮かべたビリーと視線がかち合った。私が何と返しても動じることなく、普段通り、軽薄でそのくせ無条件の信頼を置いてしまうような言葉を返してくるに違いない――そんな予感がして、私はぐっと押し黙ってしまった。彼の前で押し黙るなど「そう思っています」と白状するようなものではないかと思いながらも、うまく誤魔化すための言葉がどうしても出てこなかった。
ビリーはそんな私にふっと微笑んで、「可愛い女の子に可愛いって言うのは当たり前だろ?」と軽い調子で口にした。頬を撫でる五月のそよ風のような軽さだった。おそらく彼は本当にそれが当たり前だと思っているのだろう、と思って、ついつい顔を顰めてしまった。

「そんな顔しないでもいいじゃない」
「……何だか誰にでも言ってそうだと思って。可愛い子、ここには大勢いるじゃないですか」

 類は友を呼ぶとでも言えばいいだろうか、この組織はサーヴァントもスタッフも美形揃いだった。近くに美しい人や可愛らしい人がいるとそれに触発されて自分も美しくなっていくとでも言えばいいだろうか――あるいは初めから美しかったのかもしれないが――、とにかくカルデアには美男美女と呼び習わされるような人物が多く在籍している。可愛い女の子に可愛いと言うことが当たり前なら、ビリーは多分他の女性陣にも私に言っているような口説き文句を言っていることになりはしないだろうか。それはちょっと、不愉快だ。
 ビリーは私の言葉にふっと薄い笑みを刷いて、それってさと口を開いた。

「何です?」
「何だか嫉妬してるみたいだなぁって。……妬いた?苗字さん」

 ちり、とひりつくような熱が頬に集まった。悪戯っぽく笑う彼の青い瞳は、甘い光を宿して柔らかく煌めいている。からかうような口調のくせに、その双眸は妙に真剣だ。それが不思議に気まずくて、全てを見透かされてしまうような気がして、私はパッと目を逸らしてしまった。
「妬いてなんか――」
「心配しなくても君だけだよ」
 さらり、告げられた言葉にどくりと胸が震えて、顔がかっと火照りを増した。熱くなった頬を、彼の細い指がそっと撫でていく。それを振り払うこともできず、ただばくばくと喧しい心音が彼に聞こえてしまわないようぐっと胸を押さえたまま固まる私に、ビリーは柔らかく、水飴のような甘さを孕んだ笑みを浮かべて。
「苗字さんだけだから」
 安心して、と告げられた声の糖度にぞくりと背筋が粟立ったのには、知らないふりをしたかった。




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