/ / /

 幼い頃から本が好きだった私にとって、カルデアの大図書館はまさしく地上の――否、地下の楽園といった様相であった。古今東西さまざまな書籍が整然と並ぶ背の高い書架が、広大な図書館の中にずらりと並んでいる。少し据えたような独特の匂いに包まれて、休み時間に読書に耽るのはとても素晴らしい経験だった。書類が電子化されたカルデアにあって再びこんな経験ができるとは、と司書を務めている紫式部に何度感謝したか知れないほどだ。

 そんな大図書館の中でも特に人気のない開架の間で、珍しい客人を見つけた。腰に下げたピストルを見て、すぐさま彼が西部アメリカの英霊ビリー・ザ・キッドだと気付く。図書館の中で彼を見るのはこれが初めてのことだ。物珍しさについ立ち止まってまじまじ見つめていると、視線に気付いたのか否か不意に彼がこちらを振り返って、ぱちりと音を立てて目が合った。少年はじっと見つめていた私に、少し不思議そうな顔をした後、「やぁ」と気さくに笑いかける。
「こんにちは」
 と私も返して、一瞬視線を彷徨わせ、再び彼と目を合わせた。何となく盗み見や覗き見をしていたような気分がして、ずっと彼と視線を絡ませたままでいるのは気まずかった。彼はそんな私に気付くことなく、「ねえ」と声を柔らかくして話しかけてくる。

「君、ここには詳しいの?」
「詳しい、というか何というか。よく来ますけど、詳しいってほどでもないかと」

 私が読む本のジャンルや傾向は大体固まっている。特定の書架の位置がどのあたりかということは分かっても、それ以外のジャンルとなるとさっぱりであった。詳しい、と断ずるにはいささか躊躇われる程度の知識しか有していない。しかしビリーにはそれで充分だったらしい。彼はふむ、と浅く頷いて「それならちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな」と改めて前置きした。私はそれに「力になれそうなことなら」と返して彼の言葉の続きを待つ。

「実はちょっと小説を読んでみようかと思ったんだけど、なかなかいいのが見つからなくて。良ければ君のおすすめを教えてくれないかな」

 何でもいいんだけど、……でもちょっとホラーはものによるかも。
 そう言って少し照れ臭そうに頬をかく彼に、おすすめか、と少し思案する。何でもいいというのは、ある意味一番難しい注文だ。彼のことをよく知っている人なら――例えば彼のマスターである藤丸立香なら、あるいはこの「何でもいいからおすすめを教えて欲しい」という要求に、限りなく完璧に近い形で応えられるのかもしれないが、生憎私にはビリー・ザ・キッドという英霊に関する情報が足りていない。言葉を交わしたのも今が初めてなのじゃないかと思われるくらいだ。そんな状態で彼にベストなものを勧められるかどうかと問われると、そこに関して一切の自信を見つけられなかった。
 私が思い悩んでいるのを察したのだろうか、ビリーはハッとした顔になって「あんまり難しく考えなくていいんだけど。君の一番好きな小説とか、そういうのでいいんだ」とフォローしてくれた。「そういうのでいいなら、」と何冊か候補を思い浮かべてみる。私が読むのは主に日本文学だけれど、彼はそれでも構わないだろうか。海外の小説ももっと読んでおけばよかったかなと今更ながらに考えつつ、
「それなら一冊すごく好きなのがあるんですけど……」
 と彼をその本が収まっているであろう書架まで案内した。


 私が彼を連れてやってきたのは日本の近代文学がこれでもかというほど収集されたコーナーだった。数多ある本の背表紙の中からタ・ダの文字を探して、――幸いなことに在架だったらしい。見つけ出した一冊を抜き出して、「これです」と彼に向けてそっと差し出した。「斜陽」と印刷された文庫本の表紙を、彼はじっと見つめて、タイトルを数度呟き「これが君の好きな本なんだ」と一枚ぺらりとページをめくった。
「はい。……没落していく人々を描いたものなので、ちょっと暗いかもしれませんけど。私はかず子が……――主人公が、ある意味とても強くて逞しい人間に思えて、すごく好きなんです」
 もしよかったら読んでみてください、と言うと彼はぱらぱらとめくっていたページからすっと顔を上げて、うん、と頷いた。
「一回借りて読んでみるよ」
 読み終わったら感想教える、と彼はにこやかに笑って、ありがとうと軽く礼を述べた。私もどういたしましてを返して、じゃあ楽しみにしていますと笑う。「借りてくる」と受付に向けて足を進めた彼の後ろ姿を見送りながら、一種の期待のようなものに胸を躍らせる自分のことを、私は決して無視できなかった。