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 その人の名前を、私は知らない。私は店員で、彼はこの店のお客様の一人だから、名前を知らないのも当然といえば当然だ。童顔に小柄で高校生か、中学生くらいに見える彼が、こじんまりと営業しているこの店の密かな常連客であることと、ジャズ雑誌の愛読家であること、たまに歴史なんかも嗜んでいるらしいことだけが、私が知っている彼の情報だった。
 煌めくような金髪に、くすんだネイビーグレーの瞳を持つ青年――あるいは少年の彼は、私にとって単なる客の一人ではなかった。よく言えば癒し、もっとあけすけに言うなら意中の人だ。意中の人。好きな人、とも言い換えが効くし、むしろその方がメジャーだと思うのだけれどもはっきり「好き」と言ってしまうのは何だか恥ずかしいので、少しぼかした言い方になることを許して欲しい。
 と、レジカウンターにものが置かれる音で作業の手を止めた。「ありがとうございます」と顔を上げると、そこには例の彼が人懐こそうな笑みを浮かべて立っている。
「お願いします」
 と発せられたその声は、少し掠れた、耳触りのいいボーイソプラノである。歌を歌ったらきっと綺麗に伸びるだろうなと考えながら、レジを入力していく。今日の購入品は、海外の五人組バンドのCDと薄い海外文学の文庫本だった。購入品をいちいちチェックして気に留めておくだなんて、まるでストーカーのようで辞めたいのだけれど無意識に記憶に留めてしまうので致し方なかった。
 彼が代金をコイントレーに置く間に、商品を袋詰めしてカウンターの上へ差し出す。「ありがとう」と掠れた声が降ってきて、じわ、と充足感が心に満ちた。
「440円ちょうどお預かりします。レシートはご入用ですか?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
 不要レシート入れにレシートをそっと投げた耳に「お姉さん」とボーイソプラノが滑り込んでくる。はい、と顔を上げると、そこにはきらきらと輝かんばかりの可愛らしい笑顔が広がっていて。
「お仕事、頑張ってね」