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 悲しいことがあったの、と部屋の入り口から声が聞こえた。ベッドに突っ伏していた顔をドアの方に向けて、ちらりと恐る恐る窺うと、ビリーがふわふわした柔らかな髪を揺らして、出入り口を塞ぐようにして立っていた。
「ビリー、」
 と発した声は醜くひしゃげて震えている。先程までぐずぐずと啜り泣きしていた顔も、涙と洟とでぐしゃぐしゃになっていることだろう。こんな情けないシーンは見られたくなかった。特に彼には一番見られたくなかったのに、と思ったらまたつんとした熱が目頭に集まって、私は彼の問いかけに答えることなく再び顔を伏せた。
 ビリーはそんな私を見て小さくため息をこぼし、コツコツとブーツの踵を鳴らしてこちらに歩み寄ってくる。電動式の自動扉が自然に閉まって、室内には仄暗い闇が再び舞い戻ってきた。「近付かないで」と言いかけた言葉は、掠れた声では上手く形にならず空中分解して消えていく。空気中に霧散した拒絶に、敏い彼は気付いたのだろうか、「嫌だよ」と短い拒否の声があって、やがてぎしりとスプリングが軋んだ。
「何で来たの」
 どうにか震えを抑えて鼻声で問いかけると、ややあって、
「君が泣いてるから」
 と端的な答えがあった。

「泣いてると来るの」
「泣いてなくても勝手に来るけどね」
「……どうして?」
「どうしてって。そりゃあ君が大事だからだよ」

 す、と顔にかかった髪を彼の細い指が退けて、目尻に溜まった涙を拭ってくれる。優しい手付きに込み上げた涙をぐっと堪える私に、ビリーは再び「悲しいことがあったの」と問いかけた。今度のそれにはこくりと浅く頷いた。悲しいこと、つらいこと、悔やみきれないこと、――私がぐずぐずと鼻を鳴らしている理由は色々あった。様々な理由が複雑に絡み合っていて、私自身何が理由で泣いているのか分からないほどだった。
 ビリーはただ頷くだけで何も言わない私をそっと撫でて、君が泣いているのは僕も少し悲しいと幾らか辿々しく口にして、「起きれるかい」と問うてきた。
「……ん」
 小さく返事をしてのろのろと身体を起こす。ぐちゃぐちゃに汚れた顔もこの薄闇でははっきりとは見えないはずだ。それでも堂々と晒すのは居た堪れなくてそっと顔を伏せてしまった。

「……ビリー」
「ほら、おいで。……抱きしめてあげる」

 彼がゆるく手を広げたのがなんとなく視界に映った。薄ぼんやりとした光が象る輪郭を、どうにか辿ってそれを理解する。「いいの?」と尋ねると、「いいから言ってるのに」と苦笑が返ってくる。ぼたぼたととめどなく流れる涙を拭って、洟を啜って、おずおずと彼の腕の中に身体を寄せると、ビリーはすぐさま私を抱き留めてくれた。穏やかで暖かな、慈愛に満ちた抱擁だった。




Thema:「ほら、抱きしめてやるよ」/この台詞で素敵な作品を