END
「ねぇ…」
静寂の中、名前が口を開いた。
犯人を捕まえたと少佐から連絡が来てすぐ、名前の仕事もちょうど終わったようなので、僕たちは軍へと帰ってきていた。
この僕の部屋には名前と僕の二人きり。
なんだか名前を部屋の中に入れることさえ躊躇しなくなってきた。
最初こそは女性を軽々しく部屋に招きいれていいものか渋ったものだが…、慣れというものは怖いものだ。
そう思いながらアイスコーヒーに口をつけた時、名前が口を開いた。
「ねぇ…」
「何ですか?」
「愛情入れて甘くしてくれた?」
「してません。」
真面目な雰囲気だったのに何故こうぶち壊すのが上手なのか…。
名前は決して空気が読めないわけではないのに、こうしてわざわざ読めないフリをする。
でも、この静かな雰囲気をどうしようかと模索していたところだったので助かった。
きっと、反対に空気を読んでくれたのかもしれない。
「えー!愛情たっぷりのアイスコーヒーがいいー!!」
「自分で入れてください。」
「そんなの私ナルシストになっちゃうよ!!もー仕方が無い、コナツへの愛情を入れよう!きっとゲロ甘に、」
「何も入れずに飲んでください!」
やっぱり何も考えていないのかもしれない。
名前は拗ねたように口を尖らせ、アイスコーヒーを一口、口に含んで嚥下した。
「ね、コナツ。私、大人だよね。」
「え?はい、まぁ…」
顔に幼ささえ残ってはいるが、れっきとした大人だと思う。
「…私ね、大人になったら何でもできるって思ってたの。でもそうじゃないんだね。」
アイスコーヒーの浮いている氷を指で突く名前。
「実際大人になってみると見えない何かに追われてる気がする。大人になれば子供でいられないんだよね。でも、コナツといるとそんなの関係ないくらいありのままの自分でいられるの。大人になっても難しいことっていっぱいあるんだって大人になって知ったよ。」
「そうですね…子供のときにできなかったことを大人になってできるけれど、大人になって子供のときにあんなことしておけばよかったと思ってもなかなかできないですからね。」
「…うん。」
もっと物事が上手くいけばいいのに、と名前は小さく呟いた。
でも、上手くいったら何も面白くなんてない。
上手くいかないから上手くいくように人は頑張るのだから。
そんな平坦な道、きっとすぐに飽きてしまうだろう。
「……犯人…ヒュウガに捕まってどうなったの?」
「今頃警察行きのはずです。証拠のカメラと写真と共に。」
「そっか…。ありがとうコナツ、守ってくれて。」
「約束しましたから。」
「律儀なの?」
「…いえ、」
きっとここまでしたのは名前だからだと思います。
そうでなければ探偵にでも警察にでも行ってください。と言ってしまっていただろうから。
「じゃぁなんで助けてくれたの?」
「…何故でしょうね。」
「…今日のコナツ、なんか意地悪ね。」
「そうですか?」
きっと素直になれないだけなんですよ。
こうして向かい合っているだけで緊張しているんですから。
「そうよ!いつもなら上手に『はいはい』ってかわして話をサラッと変えるじゃない。」
「…それは……そうですね。」
だって、少しだけ素直になってみようと思ったから。
「僕だって意地悪したい時だってありますよ。」
「認めた?!うわーんコナツがいじめる〜。でもそんなコナツも大好き♪」
「はいはい。」
もう、はいはい、というのが口癖になってしまってきているような気がする。
「ここはスルーするのね…。ここはノリで『僕も好きだよ。』っていう所よ!」
「ノリでいいんですか?」
「…イヤ。……今日のコナツ、やっぱり意地悪だよ…。」
名前は拗ねて、テーブルの上に腕を置いて顔を隠した。
まるで子供のようだ。
クスリと笑って、名前の頭に手を置いた。
ピクリと反応する名前。
頭を上げようとした名前を「このままで聞いて。」と声で制した。
「ただ…嫉妬しているだけなんです。」
そう…ただの嫉妬なんだ。
「何に?」
俯いているせいか名前の声が少しくぐもっている。
「……たくさんの人が名前を好きなんです…。大勢のファンも、これから名前と出会う人も、きっと名前を好きになる。」
僕がそうなってしまったように。
「この2日間側にいて名前が遠い世界の人のように感じました。皆の歌姫で、でもやっぱり僕からしたら一般人で…。…僕は軍人です。人を殺したりだってする。」
実際、さっきだって普通に殺したいとさえ思ったんだから。
名前にだけは見せたくない黒い一面。
「名前の知らないそういう一面だってあるんです。それが名前を怖がらせることもわかっているんです。でも…それでも…」
それでも、
「好きです。」
そういうと、名前は手のひらをキツク握り締めた。
左手でその手を包み込み、右手で髪をなでる。
サラリとした髪が指に絡み、スルリと抜けてゆく様をみながらもう一度同じ言葉を繰り返した。
思っていたより案外冷静にいれているようだ。
赤くなって動悸が激しくなるかもしれないと思っていたけれど、不思議とその言葉はスルリと零れた。
決して緊張していないわけではないけれど、なんだか言ってしまうと心にスッと新鮮な空気が入り込んだ感じがする。
「名前…今でも僕を好きなら、」
「好きだよ!!!」
名前は感極まったのか、顔を上げた。
少しだけ潤んだ瞳とかち合った。
名前の髪に触れていた手は行き所をなくして空を切ったが、そのまま後頭部に手を回した。
「本当は前からもう魅かれていたのですが…ごめんなさい、勇気がなくて。」
「ううん!!いいの!こうして両思いになれたんだもん。」
「名前…、テレビに出ているときは皆の歌姫でも構いません。」
もちろん、嫉妬しないわけでもないけれど、
「だけど、僕といるときは歌姫ではない名前を見せてください。泣くときは僕の腕の中で思い切り泣いて下さい。そしていつも笑っていて下さい。」
「うん。」
「…好きです…」
本日3度目の好きを囁きながら、二人の間にあるテーブルから少し身を乗り出して唇を重ねた。
遠いようで本当は近い水平線よりも、
名前ともっともっと近くに居たいと心から思うよ。
歌姫と僕の水平線は何よりも近く、ずっと側に…。
fin
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