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愛してるといわれたことなんてない。

ましてや好きだといわれたこともない。

私達の結婚はあくまで政略結婚。

互いのメリットのために側にいる。






「名前お嬢様、今日は天気も良うございます。どうでしょう、お庭で紅茶など飲まれては。」


小さい頃からの私付きであるメイドのシキは、窓辺で呆けていた私に声をかけた。

きっと夫のところに出向いてから、こうして部屋の中にばかりいるから気を使ってくれたのだと思う。


「あらシキ、もうお嬢様はダメよ?」

「そうでした、奥様。」


二人でふふっと笑いながら、私は重たい腰をあげた。


「そうね、お部屋に篭ってばかりでは勿体無いくらいの青空だわ。シキ、紅茶の準備をしてくれる?」

「かしこまりました。」


私はゆったりとした物腰で庭へと向かう。

パーティーも開けるような広い庭。
塀の壁を伝って歩こうものならきっと30分はかかってしまうのではないかと思うほどだ。

父が用意した新居はまだなんだか落ち着かない。
慣れ親しんだ家とは違う新しい家。
文句の付け所なんてないのに、やはり落ち着かない。
新居に1ヶ月以上も一人だなんて落ち着くわけがない。


「今日はアッサムにしてみました。」


広い庭の片隅にある椅子に座って待っていると、シキが紅茶を持ってきた。


「ではミルクティにしてもらえる?」

「はい。」


シキの淹れるミルクティは格別だ。
私もこれくらい上手に淹れれるようになりたいが、何度シキと同じ手順でしてもこれほど美味しくはできない。


「ん…やっぱり美味しいわ。」


シキのミルクティは世界一ね。と微笑むと、シキは少し照れくさそうにはにかんで一礼すると邸の中に入っていった。

テーブルの上に残されたスコーンと紅茶を口に含んで、小さくため息を吐いた。


「今日も帰っていらっしゃらないのかしらね。」


夫のところへお弁当を持って行き、お菓子を持ってブラックホークの方々に改めてご挨拶もちょうど先日済ませたが、夫は未だ帰ってはこない。

何だか不倫している夫の帰りを待つ妻の心境で、あまり心穏やかではなかった。
浮気をしているような方ではないように見受けられたのだけれど、男性は浮気する生き物だと前にシキが言っていたから不安だ。

夫が私を何とも思っていなくても、私は夫が好きだから。
とても胸が苦しい。


それに、やっぱり私のことをブラックホークの皆様にお話になっていらっしゃらなかった。
知っていらっしゃったのはカツラギ様だけで、後の方々は私の存在自体知らなかった。
それはとてもとても…嫌だった。


思い出しただけで胸中に広がる黒いもやもやを押し止めようと、紅茶を一口飲んだ。









「今日も帰ってあげないの?」


名前が来てからというもの、ヒュウガは口で、残りは目線での訴えがひどい。

帰ってあげてください。という目線は、ヒュウガが私にそう言ったことでまたひしひしと感じた。

仕事はどうした。
確か明日期限の書類の提出がまだなのだが。


「貴様には関係のないことだ。仕事をしろ。」

「えー。絶対待ってると思うよ?」

「…あまりあれと関わるな。」


あれはきっと無理矢理この私と政略結婚をさせられたのだ。
この前のように食事を持ってきたのだって、旧姓上級大将から言われたからに違いない。

私はミロク理事長からあの家柄は利用できると言われ、乗り気ではなかったがあれと出会った。
あれも恐らく父親に、結婚したら私を利用できるからと無理矢理背中を押されたに違いない。

お互いのメリットは未だそこに存在する。


「…馬鹿馬鹿しい」


小さくそう吐き捨てると、書類をカツラギに手渡した。


「アヤナミ様、そろそろお帰りになられませんと。」


カツラギもあれの味方かとため息を吐いた。


「アヤナミ様が奥様を大切にして差し上げなければ、奥様のお立場がないのでは?」

「…つまり家に仕えているメイド達に下に見られるというわけか?」

「はい。結婚したとはいえあくまで奥様は貴族です。誰よりも疎まれやすい存在。」


確かにカツラギの言いたいことは分かる。


「アヤナミ様が下の者達に奥様を大切にしているところを見せなければ、下に見られることは必須です。」


結婚するとは面倒なことだ。
自分一人のことだけを考えることは出来ないということか。


もう何度目かわからないほどのため息をもう一度吐き、腰を上げた。





カツン、と左の薬指に嵌めている指輪がティーカップの持ち手に当たった。

形式上貰った指輪。
シンプルなものを選んだのはとても夫らしいと思う。
そもそも、夫が選んだのかさえ妖しいのだけれど。


「そろそろ寒くなってきたわね。」


もう陽も暮れようと太陽が傾いた時、私は肌寒さに身を縮こまった。

このままでは風邪をひいてしまう、と思った瞬間、ふわりと肩掛けがかけられた。

こんな気の利いたことをしてくれるのはシキだ。
私がお礼を言おうと振り向くと、そこには夫がいつもの無表情で立っていた。


「もう陽も傾き始めた。邸の中に入るぞ。」

「え?あ、はい。」


夫の3歩後ろを歩く。


「初めてお帰りになられたのに、お出迎えできなくて申し訳ありません。」


夫が帰ってきたら一番最初にお出迎えしようと心に決めていたのに、気付かなかったなんて。
どうせ…と言ったら少し皮肉になってしまうかもしれないが、帰って来てくれないと心のどこかで思っていたところがあったのかもしれない。


「明日はお休みなんですの?」

「仕事だ。」


ということは、明日休みでもないのに帰ってきてくれたということか。

あ…どうしよう、嬉しい。


「お食事は何時になさいます?先にお風呂に入られますか?」

「…お前はメイドのようなことを聞くのだな。お前のすることではない。」

「いえ、夫の意向を聞くのは妻の務めですわ。それに少しは家のことをさせてくれないとダメ人間になってしまいますもの。」


メイドは全て私の家事を取っていってしまう。
それは彼女達の仕事だからと理解しているし、助かってはいるが、私にも少しは手伝わせて欲しい。
せめて夫の身の回りだけでも。


「…では先に食事を取る。」


その言葉に私は小さく頷いた。


「わかりました。では料理長に伝えて、」

「そんなことこそメイドにさせろ。」

「…はい。」


私は遅れてやってきたシキにその旨を伝えると、夫の部屋へと入った。


「上着をおかけします。」


軍服の上着を脱いでいる夫に手を差し出せば、無言でそれを渡され、なんだかやっと少しずつ私は結婚したのだと実感が湧き出てきた。

自分の服よりも遥かに大きいそれをハンガーにかけながら、私は幸せを噛みしめた。

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