04
「でね、あだ名たんはその時アヤたんに惚れたんだって♪」
昼間、街で二人を見かけ、ヒュウガを問い詰めると楽しそうに語りだしたのは、あれとの昔話。
それが私と出会った時の話だったのは多少なりとも驚いた。
「…そうか。」
そうか、あれは覚えていたのか。
あんな短時間の出来事などすでに忘れているとばかり思っていた。
心の中を何かが燻る。
「アヤたんは覚えてた?」
「…いや、覚えていないな。」
「ふ〜ん?♪」
冷たくそう答えると、ヒュウガは嘘だとわかっているのか、はたまた面白いだけなのか、ニマニマと不快な笑みを浮かべて、軽くスキップをしながら執務室を出て行った。
そうか…。
覚えていたのか。
私は刺繍をしている手を止めて窓から空を眺めた。
細かい作業ばかりしているものだから目がチカチカとする。
「少し休憩しようかしら。」
喉も渇いたことだし、紅茶でも飲みたいわ。と椅子から腰を上げて誰かいないか部屋を出た。
部屋にある鈴で呼ぶこともできるが、そういうふうに人を使うのはあまり好きではない。
足音もたたないほど淑やかに歩いていると、メイド達の会話が聞こえた。
「ねぇ、やっと旦那様が帰っていらしたと思ったけど寝室は別らしいわよ。」
「らしいわね〜。まぁ、元々政略結婚だもの、仕方がないわよ。」
「でも子供を作っておかないと跡継ぎがねぇ。奥様に兄妹はいらっしゃらないからこの代で本家旧姓家も終わりとかありえるじゃない。」
「そうねぇ。」
女は噂話が好きだというけれど…。
されてるほうはたまったものじゃない。
人の結婚生活にとやかく物を言うより、まずは自分自身を見つめなおしてほしいものだ。
噂をしているときの自分達の顔を見たらいいのに。
「奥様?」
「あ、シキ…。」
「何か御用ですか?」
「ぁ、えぇ。紅茶を一杯いただけるかしら?」
「かしこまりました。」
背後からやってきたシキは洗濯物をたくさん抱えて小さくお辞儀をした。
「待って。その洗濯物、私が畳んで置くわ。」
紅茶も頼んでしまったし、これくらいさせて欲しい。
「な、何仰ってるんですか?!奥様にさせられるわけがないです!」
「じゃぁ一緒に、ね?」
ニコリと微笑むと、シキは渋々といった顔で、でも少し嬉しそうに頷いた。
「ねぇ、シキ。」
「はい。」
洗濯物を二人で畳みながら、私は最近気になっていたことを聞くことにした。
「私って魅力がないのかしら。」
「……お、仰る意味が…」
シキの手が止まり、私も畳む速度をゆっくりにした。
「最近メイドが噂しているでしょう?そのことよ。帰っていらしても寝室はいつも別で…、」
「私には旦那様の考えは分かりかねますが、きっと奥様を大切にしていらっしゃるだけですわ。」
「…そうかしら。」
本当にそうかしら。
「口づけだってしたことないのよ?」
結婚式だって夫が忙しいからと挙げていないし…。
「えっと…、」
「…ごめんなさい、困らせるつもりはないの。気にしないで。」
「……。何かお考えがあるのだと思います。」
「…そうね。」
でもね、そろそろ寂しいわ、なんて…思ってしまうのよ。
夜、久しぶりに邸に帰ると、少しだけあれの元気がないように見えた。
コンコン、とノックの音がして、入るように促すと、メイドが入ってくる。
「何のようだ。」
確かあれ付きのメイドのはずだ。
それが私のところにくるのは珍しい。
「差し出がましいことを申し上げます。何故奥様と寝室が別なのでしょう。」
「そんなことは貴様には関係のない話だ。」
「…最近、何故お二方が夜を共になされないのかと、数人のメイド達が噂をしておりまして。ひどい者は旦那様が奥様に興味がないと申している者もおります。これ以上寝室を共になさらねば奥様のお立場がありません。」
カツラギといい、このメイドといい、無茶なことを言う。
たまに帰るようになったと思えば次は寝室を共に、か。
ではその次は何を望む。
「そんなことは知らぬな。」
あれは私を好いてはいないはずだ。
無理矢理結婚された上に、好いていない男に抱かれるなど論外。
今更寝室を共にしてもあれが戸惑うのは目に見えている。
「しかしそれでは、」
「もう良い。下がれ。」
主にそう言われ下がらないわけにはいかない。
わざと冷たく言ってやるとメイドは一礼して部屋を出て行った。
部屋の中心にあるソファに座り、体を預ける。
空を仰げば仕事疲れが一気に押し寄せてきた。
「…名前…」
瞳を閉じて、触れたくても触れられない、その存在の名を始めて口に出した。
翌日、噂をしていたメイド達は邸を追われた。
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