05
アヤナミ様にはブラックホークという大切なものがありますよね?
私にも大切なものがあるんですよ。
それは貴方との思い出と想いです。
あの日、あの時の出会いは大切な思い出。
今、この時、貴方を慕う想い。
これだけは、誰にも譲れません。
刺繍の糸がきれて、買出しに街へと下りてみた。
下りたのはもう夕方で、早く帰らなければシキに心配をかけてしまう。
少し足早に刺繍糸を買い、ほくほくと満足して岐路を歩く。
夫はまだ帰ってこないだろう。
最近はいつも、陽が沈んでからしか帰ってこないから。
それよりも今日、帰ってくるのかすら妖しい人。
「少し寒いわね…。」
上を羽織って出てきたものの、夕方はとても冷え込む。
邸に帰ったらまず紅茶を淹れて貰いましょう。と考えながら、両手の指先同士を擦り、少しでも暖を取ろうとしていると邸の門のところで夫の姿を見つけた。
どうやら今日はヒュウガ様にホークザイルで送ってもらったようだ。
門の所で夫を下ろしたヒュウガ様はこちらへ向かってくると、ニッコリと笑って手を振って私の横を通り過ぎていった。
私も急いで手を降り返し、軽くお辞儀をする。
遠くなってゆくヒュウガ様から目を離し、前を向くと夫がこちらを向いて待っていた。
まだ門までは少し距離があるのに私に気付いて待っていてくれているようだ。
それが嬉しくて、足早に…、ついには走って夫の元へ。
「おかえりなさいませ。」
夫の元へついたときにはすでに息が切れて、肩で息をしていた。
「何も走ってこなくても良い。」
「だって、私、う、嬉しくて。」
運動不足だ。
この距離で息を切らしてしまうなんて…。
恥ずかしいけれど嬉しくて、どうしようもない気持ちが溢れてくる。
「何処へ出かけていた。」
「刺繍糸を切らしてしまったので街へ。」
「そうか。…帰るぞ。」
「はい。」
門の前だといっても邸までは少し歩かなければいけない。
その少しの時間でも一緒に並んで歩けるのはすごく嬉しい。
夫の後に続こうと足を動かすと、コホンと咳が出た。
「風邪か?」
「いえ、空気が冷たかっただけなんです。」
「つい最近まで暑かったが急に冷え込んできたからな。……風邪には気をつけろ。」
「はい。」
夫には後ろにいる私の表情なんてわからないだろう。
心配されたことが嬉しくて、まさか頬を染めているなんて思いもしないのかも知れない。
軽く俯いて歩いていると目に付いたのは揺れる夫の手。
白い手袋をはめているけれど、その手に触れたいと思った。
その手に私の手を重ねたら果たして夫は握り返してくれるのだろうか。
「あ、あの…」
「なんだ。」
「……いえ、何でもないんです。」
気にしないでくださいと目を逸らすと夫は小さくため息を吐いた。
「言いたい事があるのならハッキリと言え。」
「いえ…、本当に大したことではなくてですね…、」
「…。」
夫の目線が先を促す。
ちょっとした出来心というものもあったのに、これでは尋問されているような気分だ。
「…あの……手を…」
「聞こえぬ。」
夫は耳を凝らしてくれていたようだったが、それ以上に私の声が小さくて聞こえないらしい。
「…手を、繋いで欲しい…のです。」
あぁ、こんなに恥ずかしいなら言わなければよかった。と内心後悔する。
絶対断られるに決まっているのに。
否、という答えを待っていると、夫は何も言わずに私に手を差し出した。
「…え?」
あまりにもビックリしてその手と夫の顔を数回交互に見ると、夫は私から目線を逸らした。
「繋ぐのだろう?」
「よ、よろしいのですか?」
「…たまにはな。」
私はドキドキとうるさい心臓を押さえつけながら、その差し出された手の上に左手をそっと重ねた。
ギュ、と握られ、今度は先程よりもゆっくりと二人並んで歩き出す。
いっそのこと、このうるさいくらいのドキドキが夫に伝わればいい。
そうしたらどれほど私が貴方を慕っているのか、わかってくれると思うから。
言葉では伝えきれないくらいの苦しく甘いドキドキ。
全部貴方に伝わってしまえばいいのに。
「…ノリウツギもそろそろ枯れてしまいますわね。」
「好きな花か。」
「はい。とても。」
「なるほど、お前に良く似合う花だな。」
「そうですか?ありがとうございます。」
ニコリと微笑むと、握られている手に少しだけ力が篭ったように感じた。
「ノリウツギは『乙女の夢』や『しとやかな恋人』という花言葉らしいですわ。」
今こうして手を繋いで並んで歩くというのは少し前の私の夢だった。
今はその夢が叶っている。
白く、可愛らしい花。
「淑やかな恋人、か。淑やかなのは当たっているが、少なくとも恋人ではなくすでに私の妻だがな。」
「…後悔、しておいでですか?私と結婚したこと。」
「私は後悔するようなことなど何一つしない。」
その言葉に、パァッと胸の中で花が綻ぶように嬉しくなった。
「わ、私、私、」
言ってしまおう。
あの日、出会った時から貴方が好きなんですと、
今も、昔も、大好きなんですと。
「旦那様、奥様、おかえりなさいませ。」
数人のメイドが私達を出迎えた。
いつの間にか邸の入り口まで来ていたらしい。
「どうした、また何か言いかけただろう?」
「…いえ、また後日言いますわ。」
今日はタイミングが悪かったようだ。
手を繋げただけでも満足なのに欲張ってしまった。
何だか神様に意地悪されてしまったような気分だ。
後悔していないと聞けただけで一歩前進。
今日は手を繋いだだけでも何十歩も何百歩も前進できたような気がする。
「お食事とお風呂どちらになさいますか?」
「お前はどちらがいい。」
「わ、私ですか?そ、そうですね…歩いたらお腹が空いてしまいました。」
照れたように笑うと小さく夫も微笑んだような気がした。
「では先に食事にしよう。」
「はい。」
手を繋いだまま食事を取る部屋までの通路を歩く中、この手がいつまでも離れなければいいと、切実に思った。
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