07




「あ、名前、」


背後からフラウの声がして、私は振り返ることなくダッシュ!!!

この3日ほどこんな感じで過ごしていた。

フラウだけではない。
司教という司教を避けて避けて避けまくっているのです!

逃げ足だけは速いという持ち味をこれほどまでに生かしているのは、恐らく教会に逃げてくる時と今くらいだ。


「ふぅ、ここまで来たらいいかな。」


全速力で教会の中庭を突っ切り、ラゼットのいる水場までやってくるなり私は荒い息を整えるためにしゃがみこんだ。


「♪」

「あ、ラゼット。今日もいい天気だね。」

「♪♪」


最初こそ人魚というラゼットの存在に驚いたものの、その可愛さと人懐っこさからラゼットが可愛くて好きだ。


「ねぇラゼット、大切な人と離れるのはイヤだよね?」


だいぶ荒い息も収まり、私は手近な石の上に腰を下ろした。
ラゼットはいつものようにニコニコと笑っているだけだ。

私がラゼットの頭を撫でていると、懲りずにもフラウが「名前ー!」と追いかけてきていた。


「げ。」


しつこい男は嫌われますよ、フラウさん。
私はしばらくそっとしておいて欲しいのに!

フラウが急にこうして追いかけてくるようになったということは、ルナとの別れの日が近いということなのだろう。

こうなりゃ奥の手でぃ!


「ラゼット、この顔に変えてフラウ足止めして!」

「♪」


私は懐から対フラウへの秘密兵器というエロ本を取り出し、とびきり美人な女の人の顔をラゼットに見せた。

ラゼットが頷いて私の言うとおりに顔を変えてくれたのを見届けると、その場を脱兎の如く逃げ出した。

水場あたりでフラウの「うぉっ!!」という歓喜にも似た声が聞こえるまであと3秒。









「ふぃ〜。」


今日もどうにか逃げ果せました。

私はやり切った感で額を拭いながら自室のベッドに腰掛けた。


お風呂も入ったし、後は寝て朝になったらまた夜まで逃げるだけだ。

さすがの司教様たちも夜に女の子の部屋にまでは入ってこない。
それが唯一の救いだった。

たまにシスターさんたちが説得しにやってくるが、無理矢理部屋に入ってくることはないので、結局のところ誰も私の説得に成功した者は誰一人としていない。

ルナはまだ自分が里親に引き取られるだなんて知らないようで、毎日ケロッとして皆と遊び、私に構ってと近寄ってくる。

可愛い可愛いルナ。

抱き上げればまだ軽くて、首に巻きついてくる細く短い華奢な腕。
ルナの頬を私の頬で擦るとプニプニとしていてとても気持ちいい。


後どれくらいルナとこうしていられるのだろうか。


いくら私が逃げ回っていても、私はルナの母親でも家族でもなんでもないから、きっと私が了承してもしなくてもルナは引き取られるんだろう。


テーブルの上に置いていたコップの水を一気に飲み干し、今日も不貞寝しようとしたちょうどその時だ。

ガチャリと扉が開き、フラウがズカズカと入ってきた。


私は寝間着。
完璧逃げるモードではないこの状態を見計らったようにやってきたフラウに、私はベッドの上で立ち上げると、そのまま鳩尾向けてとび蹴りを発射した。

が、今回はあっさりと右足を掴まれ、宙ぶらりんな状態になってしまった。


「ひきょーものー!」


やばい頭に血が上る!
吐く!
夕飯でるよ!


「夜なのに女の子の部屋に何しに来たわけ?!」

「お前が逃げるから話しに来ただけだろ。お前が逃げるから。」


何故二度言う?!?!


「そんな強調しなくても…」

「散々逃げ回りやがって。」


ベッドにポイッと投げられ、私は急いで体を起こした。
フラウは我が物顔で椅子に座り、こちらをみている。


何だろう、何で私ってばつい正座しちゃったんだろう。


「ル、ルナの話なら聞かないからね。」

「お前が里親の件に賛成してくれねーとルナが行けねぇだろ。」

「ふんだ。私の意見なんてあってないようなもののくせに。どうせ私が頷かなくてもルナは里親のとこに行くんで、ぶへっ!」


枕を投げつけてやれば、フラウはその枕を難なく受け止めて私の顔面に投げつけてきた。


こいつ、女にも容赦ねぇ。


「ルナを一番可愛がっているお前の了承なく里親に引き渡せるかよ。」

「え、何、つまり私が頷かない限りルナは里親のとこに行かないってこと?!」


やっほーい!
ひゃっほー!
よろれいひー!!


「喜ぶな。大体ルナのことを真剣に考えてやれば里親のところに預けるのが一番だってわかるだろ。そんなガキでもあるまいし。」

「何。それって私がルナのこと真剣に考えてないっていうわけ?」


プッチンきました。


頭に血が上って、気がつけばフラウを椅子ごと押し倒してその上に跨り、胸倉を掴んでいるこの状況。

なのにも関わらず、フラウは痛がる素振りも見せずに私を見上げている。


「私は、ずっとルナと一緒にいたの!これからもそうなの!」

「言い方が悪かったな、確かにお前はルナの幸せを真剣に願ってる。だけどな、お前は願ってるだけでまだ何もできないんだ。」


未成年の私はルナの保護者になってあげられない。
経済的にだってルナを包んでやれない。

そんなのわかってる。


「…はっきり言うね、フラウ。」

「でも里親はルナをちゃんと学校に行かせてやれる。親代わりになって甘えさせてくれる。ルナはまだ小さいんだ。父親も母親もまだ必要だ。」

「わかってるよ。」

「だけどな、きっと里親よりもお前が一番、ルナの幸せを望んでる。だろ?」


鼻の奥がツンとした。


「そんなの…当たり前じゃない。私が一番ルナのこと愛しちゃってんだからぁっ!」


妹が欲しかった私はルナが産まれた時、言葉には言い表せないくらい嬉しかった。

生まれたばかりのルナは小さくて、泣いてばかりで、でもそれでもかわいくて。
畑仕事で忙しいルナのお母さんの変わりに私がよく面倒を見た。

泣き声を聞けばお腹が空いたのか、おしめを変えて欲しいのか、全てがわかるほどにずっと側に居た。

初めてルナがしゃべったのは『ママ』でもなく『パパ』でもなく、『名前』だった。

私の手を掴んでぎこちなく歩き始めたルナ。

そんなルナの成長をずっと見てきた。


でももう見れなくなるんだと思うと、涙が溢れて止まらなかった。


「ルナと離れたくないよ…。」


とめどなく溢れてくる涙を必死に拭っていると、フラウが優しく私の頭を撫でた。


「でも…、ルナが今より幸せになるなら、…養子にいっちゃってもいい…。」


嫌だけど。
でもいいの。

嫌だけど、いいの。


フラウの大きな手によって胸元に引き寄せられ、私は抗うことなくフラウの胸元にしがみ付いて泣いた。


「また一つ、イイ女に近づけたな。」


慰めでもないその言葉は、今の私には最高の褒め言葉だった。


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