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「おはようございます。」


ミセスラスリーは深々と挨拶するなり、言葉を続けた。


「最近お嬢様の様子はいかがでしょうか。」

「至って普通だと思いますよ。怯えている風でもなく、穏やかに最近は刺繍をされています。」

「…。それもコンパニオンの名前様が毎日楽しませてくださっているおかげですね。」

「ありがとう。お仕事だもの、ちゃんとしなければね。」

「お若いのに関心です。」

「あら、ミセスラスリーも十分お若いわ。」


ふふ、と小さく笑いを溢し、「ではわたくしは仕事がありますので。」とまた深々と頭を下げたミセスラスリーに、私は一体この質問をされるのは何回目になるだろうかと頭の中で数えた。


背中を向けたミセスラスリーを見ながら、あぁ…多分そろそろ二桁になるかもしれない、と嘆息して、リリィ様の部屋に足を踏み入れたのだった。


「名前さん!お待ちしていたのよ!」


部屋に入るなりリリィ様が駆け寄ってきた。
何だか嬉々としていて、表情や行動にそれが溢れている。


「おはようございますリリィ様。どうなさいましたか?」


どうやら朝のお勉強の時間は終わったようで、部屋の中にいたヒルダさんは机の教科書類をバッグにしまっていた。


「これを見て欲しいの!」


そう言ったリリィ様が差し出したのはここ最近ずっと頑張っていた刺繍だった。

右下の片隅に淡く優しく咲いているスイートピー。


「……」


彼女は一体これを刺繍しながらどんなことを考え、想っていたのだろうか。


「…名前さん?」

「とても初めてとは思えないほどお上手でしたので、ビックリしてしまいました。頑張った甲斐がありましたね。」

「はい!でも貰ってくれるかしら…」

「えぇ、きっと。いえ、絶対貰ってくださいますよ。」


私がしっかりと頷くと、リリィさまは刺繍を施した花に負けないくらいの笑顔を見せた。





「…ヒュウガ、明日アヤを呼んで。」


右手にはコーヒーを持ってソファに座り、行儀悪く足を投げ出していると、お風呂上りのヒュウガが髪を拭きながら首を傾げた。


「あだ名たんが電話したら?」

「私じゃ出てくれないもの。」


ズルリとお尻をずらして後頭部を背もたれにつけると、ヒュウガは「溢すよ」と言って私の手からコーヒーを取って机に置いてくれた。


「拗ねてんの?」

「子供か私は。」

「でも難しい顔してる。」

「…んー。なんか、愛の形っていろいろだなぁって改めて思った。」

「なにそれ。」


ヒュウガは一度置いた私のコーヒーを一口飲んでまたそれを置くと、ひどく緩慢な動きで私の隣に座った。


「今のあだ名たんなら簡単に押し倒せそうだね。」


ギロリと睨んでやれば、ヒュウガはわざとらしく肩を竦めてみせる。


「で?何がわかったの?」


的確な言葉で的確なところを突いて来たヒュウガはやっぱりアヤの部下だと思う。
ムカつくくらいに頭の切り替えも勘もいい。


「明日もどうせ同じこと話さなくちゃいけないから2回も話すの面倒だわ。」

「だろうね。じゃぁオレのコンパニオンでもしてくれる?」

「金取るわよ。」

「ちゅーでいい?」

「世の中舐めてんの?」

「舐めてないよ。あだ名たん舐めたいだけ。物理的な意味で♪」

「変態。」


悪態付くが、ヒュウガはさほど気にしていないようで私の肩に腕を回した。


「あだ名たんってさ、ものすごくアヤたんに強いよね。」

「そうね。私でもそう思う。でも、引き際を見定めるのも必要なの。」


引き際を見定めているから、アヤも本気で怒らないし冗談だと流すことができる。


「何だかあだ名たんの第一印象は最悪だったから、もう上に上昇して行くしかないよね☆」

「お互い様よそれ。」


私の中でも貴方の第一印象は低かったんだから。
いけ好かない女たらしってね。


「アヤたんの弱みって何?」

「どれが聞きたい?」

「そんなにいっぱいアヤたんの弱み握ってるの?!?!」

「そうねぇ。それなりに。」


たとえば…アヤが雨の日に捨て猫を優しい顔して拾ってあげてた、とか。

こんなのが弱みだなんてなんてくっだらない。

ま、それでアヤの弱みが握れるっていうのなら、いくらくだらなかろうともいいんだけど。

軍に来た日にアヤの部屋に泊めて欲しいって私が言ったけど、アヤは意固地になって泊めてくれなかったのも、あれは部屋に猫がいて可愛がってるところを見られたくないからだと思う。

今度こそ写真にでも収めようと思ったのに。

それがわかっていたからアヤは泊めてくれなかったんだろうけれど。


「……あぁ、やっぱりくだらない…。話すのも億劫だわ。」

「いけずだねぇ。」

「それに人の弱みを簡単に話してしまったら、弱みじゃなくなってしまうかもしれないじゃない。だからやっぱり内緒にしておくわ。」


それに、その猫の思い出は私にとっても懐かしく甘酸っぱい思い出なのだ。
きっと勘のいい彼はこのことをしゃべってしまったら気付いてしまうかもしれない。

猫を拾っているアヤに私が惚れたということを。


ヒュウガに言ったように、確かに私はコンパニオンで、アヤはその令嬢の護衛が出会いだった。
全然笑わないし無口だし、何だこいつと思っていたけれど、ある日たまたまアヤが猫を拾っているのを見掛けて。

アヤも私に気付いて、少しだけ罰が悪そうに目を逸らしたのだ。

今思い出すと、あれは彼なりの照れ隠しだったのかもしれない。


我ながらなんて甘く酸っぱすぎる初恋だと笑い飛ばしたくなる。


「ねぇヒュウガ。」

「ん?」

「どうして私とアヤの関係を知りたがったの?」


意地悪く微笑みながらこれまた意地悪な質問を投げる。
だがヒュウガは顔色一つ変えることなくあっけらかんとしたまま「知りたかったから」と言ってのけた。


「理由としては不十分ね。」


理屈じゃないってやつ?と笑い飛ばせばヒュウガは少しだけムッとした。


「でも知りたかったんだよ。」

「何故知りたいと思ったの?」

「あだ名たんはオレに何を言わせたいの?」


ヒュウガの問いに私は得意げに「さぁね」と答えて自ら口づけた。


私ばかり心揺さぶられるのは嫌なの。
理不尽でしょ?

貴方も思い切り揺さぶられたらいいんだわ。


「明日には全て終わるから、抱くなら今日の内よ?」


にっこりと微笑むと、ヒュウガは熱い唇を私のそれに重ねた。


本当はどこかで自分の気持ちに気付いている私達は、仮面を被るのがあまりにも上手すぎるのね。


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