12
「名前さん、刺繍以外にも得意なことあるの?」
午後の和やかな雰囲気の中で紅茶を一口嚥下すると、リリィ様が他にも知りたいわとばかりに聞いてきた。
この様子だと、昨日できた刺繍入りハンカチは渡せたようだ。
「そうですね、編み物もしますよ。冬でも夏でも。」
「夏でも?!」
「糸は毛糸だけではありませんから。麻やジュートなどでポーチやコサージュとか、レース糸ではコースターとか色々できるんですよ。」
「編み物でしたら私も少し得意なの。もっと色んなものが作れるようになりたいわ。」
「そうですね、教えて差し上げたいのは山々なのですが、今日は大切なお話があるんです。」
「大切なお話し?」
「えぇ。」
私がそろそろ時間かな、と時計の針を見たところで扉がノックされた。
どうぞ、と声をかけてあげると中に入ってきたのは、今日ヒュウガに足を運ぶように言われたであろうアヤ、それにヒルダさん、それからアヤを案内してきたであろうミセスラスリーに最後はヒュウガだ。
「名前さん?」
リリィ様は入ってきた面々に少なからず驚いているようで、首を傾げた。
「私が呼んだんです。恐らく、今回の件に関与している人物でしょうから。アヤ、あれを。」
アヤに手を出すとその手の上に一枚の紙が乗せられた。
それをテーブルの上に置くと、リリィ様の顔が固まる。
それと同時にヒルダさんがごく僅かに息を飲んだのがわかった。
「単刀直入に言います。この脅迫状を送ったのはリリィ様、貴女とヒルダさんですね。」
責めているわけでも責めたいわけでもないのに、リリィ様の表情は段々と暗くなっていく。
ミセスラスリーはこの突きつけた事実にただただ驚いて目を開いている。
3回ほどの瞬きの間、静寂が部屋に落ちた。
だがその静寂もヒルダさんが口を開いたことによってどこかへ逃げていってしまったけれど。
「名前さん、証拠もなしに疑うなんて…。それに私だけならまだしもお嬢様までお疑いになるだなんて。」
信じられないとばかりにリリィ様を庇うヒルダさん。
私の中でそのリリィ様の表情だけで憶測から確信に変わったのだけれど、ヒルダさんはそのことがわかっていないはずもないのに隠したいらしい。
「最初は疑いもしていませんでしたよ。」
ただ、ふと引っ掛かったのはリリィ様とヒルダさんの間柄だ。
私が来たときにはすでにリリィ様はヒルダさんをすごく信頼してた。
初めてあった時、『ヒルダ先生が仰った通り』と言っていた。
その後にコンパニオンは必要ないと言ったことから察して、私達が来た段階でもリリィ様はコンパニオンはいらないとダダを捏ねていたのだと思う。
でも、ヒルダ先生というカヴァネスが言った言葉とコンパニオンが私ということに半信半疑ながらも来たのだろう。
よほどヒルダ先生に固執しているように見えた。
事実、かなりの信頼を置いているのだろう。
それはガヴァネスと令嬢として長年ずっと過ごしてきたからなのだろうが、二人にはある一つのものを共有しているように見えた。
それが物であれ、人であれ、何であれ。
その共有しているものが『脅迫状』という『嘘』であれば、より距離は縮まったことだろう。
そう考えると、コンパニオンである私を不躾にも部屋から追い出した在りえない事実にも頷けるのだ。
きっと、2人は脅迫状について何かしらの話をしていたに違いない。
「でもリリィ様は身の危険に晒されているにも関わらず怯える様子さえ見えなかった。」
毎日変わらずヒルダさんとお勉強をして、私と刺繍やお話をして。
睡眠さえもしっかり取っていたようだ。
「私の…演技が下手だったのね。」
リリィ様からポツリと呟かれた言葉につい苦笑してしまう。
確かに大根役者ばりの演技だったけれど、実はこの脅迫状をアヤから見せて貰った時から一つの憶測として考えていたのだ。
だっておかしいのだ。
この『リリィナ・フォン・ファイエルバッハを攫いにいく。攫われたらすぐに現金3億ユースを振り込め。でなければ娘の命の保障はしない。』という脅迫状そのものが。
脅迫状というのは一方的な要求を突きつけると共に文面に書かれている要求が実現されない場合に報復などを行うと脅すもの。
だけどそれは人であれ物であれ情報などであれ、何かを奪った状況でなければ成立はしない。
なのにこの脅迫状は『娘を攫う』と宣言した上での脅迫状なのだ。
本来ならこの脅迫状は『娘を攫いに行く』ではなく『娘を攫った』であるべきだ。
だって怪盗じゃないのだから。
こんな『攫います』なんて脅迫状を送ったら警備は厳しくなって、攫いにくくなる。
もしこれが本当に誰かの脅迫状だったら、よっぽど自分の腕に自信があるのか、スリルを快感とするド変態低脳だとしか思えない。
まるで娘の身を案じろと言わんばかりの脅迫状。
答えは自ずと出る。
娘の身を案じて欲しい人を探せばいいのだ。
そんなの一人しかいないけれど。
娘本人以外にはね。
アヤは最初から気付いていたんだと思う。
それでいて任務を遂行したのは恐らく私と同じ理由だ。
ただ、確証がなかったから。
そして護衛の自分達では身分の高いお嬢様に話しかけるのはタブー。
だから私を呼んだのだと思う。
コンパニオンの私なら令嬢と話せるし、リリィ様も話し相手の私になら口も軽くなる。そう思って。
でもリリィ様は最後まで私にしゃべらなかった。
それはきっとヒルダさんがしゃべらないように横から口を挟んでいたのだと思う。
恐らく、「しゃべってはこの計画が無駄になってしまいますよ」とでも言って。
「リリィ様、昨日出来上がったスイートピーの入った刺繍のハンカチを誰にあげたか、あててさしあげましょうか?」
俯いていたリリィ様は顔を上げて不安そうにこちらを見つめてきた。
「お父様、ですよね?」
その言葉にあっさりと頷いたリリィ様は小さくため息を吐いた。
「ヒルダ先生を責めないでね名前さん。私が相談したの。お父様が私を構ってくれないから、どうしたら構ってくれるのか。」
きっとリリィ様一人では成し得なかったことだろう。
そこにヒルダさんというスパイスが加わったことによって、勇気と知恵を貸してもらったのだ。
そしてヒルダさんも小さい頃から可愛がっていたリリィ様が悲しんでいることに心動かされた。
ヒルダさんはリリィ様を想って知恵を貸し、リリィ様はその知恵を使って父親を恋しがった。
リリィ様と出会った日に私が『婚約者はいるのか』と聞いたとき、さびしそうな顔をした理由は婚約者が出来ないからではない。父親が忙しく構ってくれず寂しかったからだったのだと今ならわかる。
リリィ様はスイートピーを刺繍しながら何を思ったのだろうか。
ふと、本棚に並んだ本の一冊に目が止まる。
推理小説の本が並んでいる片隅に、一冊だけ植物図鑑がある。
きっとあの図鑑には花言葉も書いてあったに違いない。
スイートピーの花言葉は『優しい思い出』。
リリィ様はきっと、昔のように可愛がってもらいたかったのだ。
母親を小さい頃に亡くしてしまった分、愛情を父親に求めたけれど、父親は仕事や貴族達との友好を深めることに忙しかったのだろう。
案の定、私は仕事があるからと雇い主であるリリィ様のお父様と会ったことなどない。
「…その三つ編みを解きたくない理由も…」
「名前さんが思っている通りだと思うわ。…昔ね、小さい頃お父様に三つ編みが似合うって言われたの。私、褒めて欲しくて。でもだめね、ハンカチだって渡せたというより父がいない時を狙って机の上に置いただけなのよ。」
自嘲染みた笑顔を向けてくるリリィ様にどう切り替えそうかと考えていると、ミセスラスリーが口を開いた。
「お嬢様、ご主人様はとても喜んでいらっしゃいました。」
あぁ、そうだった。
そのためにこの事実を知らないこの人を呼んだのだったっけ。
「…ラスリー、本当?」
「えぇ、本当にございます。」
「リリィ様、よくお考えください。お父様は確かに忙しかったのだと思います。でもそれは偏にリリィ様のためなんです。仕事をすることでより裕福になり、貴族達との友好を深めることでより良い婚約者を見つけて幸せにしたかったのでしょう。」
「そんな…私は、お父様に私を見て欲しくて…それだけで、いいのに。」
ついには両手で顔を覆って泣き出してしまったリリィ様の背中に手をあててゆっくりと擦ってあげる。
「回りくどいやり方はだめです。心のままに行動することも大切です。好きなら好きと、話したいなら話したいと言葉に出してください。きっと喜ばれますよ。絶対にリリィ様のために時間を見つけて話す時間くらい取ってくださると思います。」
だってリリィ様のお父様は、今回の脅迫状一枚で軍の、しかもブラックホークさえも動かしたのだから。
「ミセスラスリーが毎日のように私に『リリィ様は元気ですか』と聞いてきていましたが、それは主人に言われていたのでしょう?リリィ様が不安がっていないか心配で。」
「…はい。」
ミセスラスリーは私の推測に少し驚いたのか、少しだけ瞠目して頷いた。
「…名前さんって、探偵のようですね。コンパニオンよりそちらがのほうが向いているんじゃないんですの?」
「あら、リリィ様。何か勘違いをされていらっしゃいますね。私は可愛らしいリリィ様だからこそお父様との誤解を解きたかったんですよ。」
素直で花が咲くように笑うリリィ様でなければ、きっと私はコンパニオンという仕事を全うしただけだっただろう。
この役割はアヤ達の役目なのだから。
「アヤ、お願いがあるの。」
「…わかっている。」
久しぶりに口を開いたアヤは深く息を吐き出した。
「どうせお前のことだ、この件の真相は誤魔化せとかいうのだろう?」
「うん。犯人は街の見知らぬ男だった。逃げる最中に足を踏み外して海に転落し、死亡したものだと思われる。これでどう?」
「お前にはほとほと呆れるな。」
「でも嫌いじゃないでしょう??ここにいる皆様だけで真相は墓場までお持ちくださいね。」
それぞれが頷き、リリィ様だけは複雑ながらもやはり安心したように微笑んだ。
心のどこかで悪いコトをしているという罪の意識はやはりあったのだろう。
二度とこういうことをしなければそれでいい。
私は使いすぎた頭に栄養を与えるために、お茶菓子として出されていたチョコレートを口に入れた。
滑らかな口溶けに舌鼓を打ちながら、高級なチョコは口の中で溶けていった。
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