エピローグ
私達の依頼は事が終わるまでコンパニオンと護衛をするという内容だったので、全てが終わった今ここにいる必要はなくなった。
何だかあっという間のようにも感じる。
寂しさはないけれど、また来たいなと思えるくらいには馴染んだと思う。
結局ここに来て私は一人で眠ることなどなかったなぁ改めて思う。
寝る時も起きるときも、ヒュウガの香りがしていた。
アヤと違って香水をつけていないらしいのに、彼が持つ香りは嫌いじゃなかった。
ベッドを2回ポスポスと叩いた私は、すでに纏めた荷物を持って玄関先で待っているヒュウガとアヤの元に掛ける。
「今までお世話になりました。」
見送りに来てくれたリリィ様やヒルダさん、ミセスラスリーなど、メイド達に小さく微笑み掛ける。
「またコンパニオンが必要になりましたら、ぜひいつでもお呼びくださいね。」
リリィ様とは楽しくお話もできたことだし、約束の編み物だって教えてさしあげていない。
お菓子も紅茶も文句なく美味しかったのでまた舌鼓を打ちたいものだ。
「今度は素敵な婚約者ができたらお呼び立てすることにいたします。」
ニコリと微笑んだリリィ様に苦笑する。
私は幸運の女神でも恋のキューピットでもないのだけれど、彼女達がそう思っているのならわざわざ弁解する必要もないと思っている。
彼女達が思うことによって幸せなのなら、私の存在理由は確かに必要とされるのだから。
「えぇ、その日を楽しみにお待ちしておりますね。では、その日までお元気でリリィ様。」
皆様もお元気で、と微笑んで踵を返す。
ヒュウガとアヤも私に続いて踵を返し、私の荷物を自分の荷物と一緒にホークザイルへとヒュウガが積んでくれた。
運転席にはコナツが座っており、どうやらお迎えに来てくれたようだ。
「名前さん!」
ふとリリィ様に呼び止められてホークザイルに乗り込む一歩手前で振り向く。
「名前さんは喜んで貰えた?」
主語がないため何を喜んでもらえたのかが分からずに首を傾げると、リリィ様は「刺繍です!」と言葉を補った。
あぁ…、と思いながらホークザイルに乗り込んでいるヒュウガを視線だけで見やる。
「さぁ…どうでしょうね。」
私は口の端だけを吊り上げてリリィ様に返事を返す。
「なにせ『ありがとう』とも言われていませんから、わかりません。」
「まぁ!そんなひどい殿方はおやめになったほうがいいですわ!」
「そうですね。私もそう思います。」
にっこりと微笑んだのはリリィ様へ向けてなのか、それとも少しだけ然知った顔をしたヒュウガに向けてなのか。
私は小さく頭を下げてホークザイルへと乗り込んだ。
最初はゆっくりと走り出したホークザイルも、しばらくするといつものように早く走り、あっという間にリリィ様たちは見えなくなった。
運転席にはコナツ、助手席にヒュウガ。
その後ろに私で隣にはアヤが座っている。
「ねぇアヤ。」
窓の方を向いたまま話しかけると、その窓に映ったアヤと視線が合った。
返事はないけれど、私の質問に答えてくれる気はあるらしい。
「アヤはまだ持ってる?」
「捨てた。」
主語さえないというのに、アヤは即答した。
私が丹精込めて縫った紫の花菖蒲をあっさり『捨てた』とは…。
開いた口も塞がらないけれど、何となくだけどそれが嘘だとわかってしまった。
アヤは昔から私に嘘をつくのが下手だ。
そして私はその嘘に気付いていても気付かないフリをする。
今だって「そ。」と素っ気無く返した。
嘘をつく時にあからさまに目を背けるのは止めた方がいい。
わかりやすすぎてつい笑ってしまいそうになるから。
今は嘘をつくことだって得意だろう。
好きではないだろうけれど、相手に悟られない程度には上手に嘘がつけるだろう。
だけどアヤが昔のクセを未だに私に見せてくれるということは、それだけ気を許してくれているのかもしれない。
恋人という甘い関係なんかではないけれど、このアヤがそれだけ安心して信頼してくれているのはとても嬉しい。
誇らしくさえ感じるのだから不思議だ。
恋人ではないけれど、電話だって取ってくれないけれど、何だかんだと好かれているのだと思う。
それはもちろん昔なじみとしてで。
アヤは私と体を交えたあの晩を引きずってなんかいない。
それは私も同じだ。
でもやっぱり私みたいに少しくらい引きずったかもしれない。
だけど今は2人とも違う。
好きだけど、その好きではない。
流れゆく景色を見ながら、コナツにホークザイルを止めるように言う。
「ここでいいわ。」
「でも、」
「軍に戻るよりここからの方が次のお邸に近いの。ほら、私優秀だから次のお邸だって決まってるのよ。」
実際、アヤから頼まれていなかったら今はもう次のお邸にいただろう。
なんていったって私は引く手数多なのだから。
冗談めかしてウインクして止まったホークザイルから降りる。
「送ってくれてありがとねコナツ。」
「いえ。」
「アヤ、私からの電話は何があってもちゃんと取ってよね。今度取らなかったら押しかけるから。」
「…」
安易に想像できたのか、アヤは至極嫌そうな顔をして嘆息した後に小さく頷いた。
「あ、ヒュウガはハンカチ大切に使ってね。」
ホークザイルから荷物を下ろし、お邸までお送りしましょうかと言うコナツを手で制して首を横に振った。
「じゃぁ、他のみんなにもよろしく言っておいてね。ついでに猫ちゃんにもよろしく♪」
私はアヤにウインクして、僅かに怒りを見せたアヤから逃げるように踵を返した。
あーあ、やってらんないわ。
なんでヒュウガとの別れを惜しみそうだったからとホークザイルを降りたのやら。
次のお邸なんてここから1時間はあったはずだ。
コナツに送ってもらえばよかったなと思うけれど後の祭り。
どれもこれもヒュウガのせいだ。
角を曲がりポケットから地図を取り出したところで肩を掴まれた。
風に乗ってふわりとあの香りがした。
香水でもない、彼の香り。
「あだ名たん、」
「…何?」
何で彼はここにいるのだろうか。
いや、ホークザイルを降りて追って来てくれたのだとわかるけれど、どうみてもこの男、去る者追わずのタイプに見えるというのに。
「ハンカチありがと。」
あ、結構気にしてたんだそれ、と苦笑する。
「いーえどーいたしまして。アヤたち待ってるんじゃないの??いいの?」
「うん、でもちょっとだけ時間貰ってきた。」
はて、他に話すことなどあったかと首を傾げる。
「あだ名たん、前にオレに言ったよね。アヤたんと寝たから何か関係的にも微妙で、好きって言われても困るでしょ?って。」
「…うん。」
だって昔の出来事は消したくても消せるものではない。
それに私は別になかったことにしたいわけでもないのだ。
だが、ヒュウガからすると微妙に決まっている。
決まっているのだ。
なのにヒュウガは「オレ、構わないよ。」と、こともなげに言ってみせた。
「…構うはずないよ。自分の上司とただの女が一夜を過ごしているのに、その女と自分も一夜を過ごした挙句…恋人なんて…。いつかヒュウガは思うよ。この体を『アヤたん』は抱いたんだなって。」
自嘲の笑いを浮かべると、ヒュウガは掴んだままの手に少しだけ力を入れたようで肩が痛んだ。
「それはすでに思った。」
「…思ったわけね。あ、そう。」
自嘲の笑みから呆れに変わる。
「でもオレは、アヤたんとあだ名たんに昔の関係があってよかったと思ってる。」
この男は一体何を言っているんだ。
関係があってよかっただなんて…、ありえない。
そんなこと思うはずない。
「だからこそオレたちは出会えたわけだしね♪」
何だか泣きそうになった。
馬鹿だと罵って好きだと言ってあげたい衝動に駆られる。
だけど私は必死に笑ってみせる。
これは私の意地だ。
ちっぽけな女の身勝手な意地。
「…口説いてるの?」
悠々たる面持ちで問いかけると、ヒュウガはしばらくキョトンとしてから目を細めて笑った。
「口説かれたいの?」
「あら、口説きたくないの??」
デジャブ、パート2だ。
「口説かれる気、ある?」
「そうね、貴方次第かしら。」
にこりと微笑むと、ヒュウガは私の肩を掴んでいた手を頬に添えてきた。
「好きだよ、あだ名たん。このままあやふやな関係は嫌なんだよねオレ。だから口説かれてくれない?」
「あら、あやふやな関係は嫌だなんて貴方、意外と女たらしだけど、たらしに向いてないのね。」
「知らなかったの?」
心外だとわざとらしく驚くヒュウガの背中に私も腕を回した。
「キスして。それから、浮気しないって今ここで誓って。」
「了解♪」
「浮気したら慰謝料ふんだくって半死半生状態にアヤとしてあげるわ。」
「それは怖いねぇ♪」
少しだけ肩を竦めたヒュウガは「浮気なんてしないよ☆」と笑みを浮かべてキスを一つ贈った。
END
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