06
部屋に入るとまず紹介されたのはガヴァネス(女教師)のヒルダ=エッカートだった。
そういえばさっきリリィ様が「ヒルダが仰った通り」と言っていたから、ずっとこの部屋にいたのだろう。
彼女はシルバーフレームの眼鏡をかけており、一般のガヴァネスより若く見えた。
20代後半から30代前半といったところだろうか。
知的なイメージのシルバーフレームが似合う雰囲気は、少しだけ近寄りがたさを感じさせる。
だけどもリリィ様はとっても懐いているようで、先程からヒルダさんに尊敬の目をキラキラと向けてばかりだ。
「はじめまして。名前=名字です。よろしくお願いしますね。」
「ヒルダと申します。こちらこそよろしくお願いいたします。」
その醸し出す雰囲気とは真逆で、声や仕草は優雅なものでお淑やかさが垣間見える。
それもそうか。
ガヴァネスもコンパニオンのように貴族令嬢のお仕事だ。
つまり、ヒルダさんもどこかの貴族の出なのだろう。
エッカートという家柄はあまり耳にしたことがないから、あまり階級は高くないのかもしれない。
「それではリリィお嬢様、今日はわたくしはこれで。先程お伝えした宿題はしておいてくださいませね。」
「わかってるわヒルダ先生。」
宿題を言いつけられたのに楽しそうに微笑む令嬢なんて始めて見た。
普通は誰だって嫌がるのに。
それほど信頼、尊敬しているのだろう。
よほど教え方が上手なのか。
これなら宿題をしないなんてことはないだろう。
ヒルダさんが部屋から出て行くのを見送って、私はちょうど3時を差している時計の針に気付き、メイドにお茶の準備をするように言いつけた。
「疲れた…」
コンパニオンは基本、そのお邸で寝泊りをするので自室が用意されるのが決まりだ。
3食おやつ付き。私はこの仕事のここが気に入っている。
しかしやはり初日はどこの邸でも疲れる。
所謂気疲れというやつだ。
ベッドに大の字になって天井を仰ぐ。
食事はリリィ様ととったので、あとはお風呂に入るだけなのだが一度ベッドに寝転がってしまうと中々起きる事ができない。
電気も点けっ放しなのだから消さないといけないと思うも、瞼は重たく落ちてくるばかりだ。
昨晩ヒュウガと寝たせいでいつもより眠る時間が削られたからだろう。
あの好きな香りに絆されず、さっさと寝てしまえば良かったのだろうけれど後の祭りだ。
まさかあそこでヒュウガがノッてくると思っていなかったのもある。
恐らく私の印象は最悪だったはずなのに、どうして抱いたりしたんだろうと思うけれど正直聞くのも馬鹿馬鹿しいと瞼を下ろした。
どうせあの一夜の関係なのだから、理由がどうあれヒュウガは私を抱いた、私はヒュウガに抱かれた、それでいいじゃないか。
あーでもムカつくくらい上手かったな…なんて思ったところで、ふわりと昨晩包まれた香りがした。
「…ヒュウガ、音もなく勝手に入ってくるのはどうかと思う。」
私はヒュウガ達と違って一般人で戦えるわけでも気配が読めるわけでもないのだから、こんな心臓に悪いコトは二度としないでほしい。
「寝てるかと思って♪」
「寝てたらどうするのよ。」
重たい瞳を開けると、ベッドの傍らにヒュウガがこちらを見下ろすように立っていた。
「紳士がする行動じゃないわね。あ、紳士じゃなかったか。」
上半身を起こしながらヒュウガを見上げると、彼はベッドに腰掛けた。
「え〜。紳士だったでしょ?昨晩。」
「夜だけね。それで、何?何の用?」
ヒュウガだって見回りやリリィ様の部屋の前に立ったりと忙しかったはずだ。
早々に帰って寝たらいいのに。
「昼間は話し掛けられないから、話すなら夜か朝だなぁって思って。」
確かにただの雇われ軍人がコンパニオンに話しかけるのは、あまりいただけないとされている。
令嬢に話しかけるのも右に同じ。
話しかけるなら付き添いとしてコンパニオンがいないといけない。
メイドでは役不足で、令嬢と異性が2人きりで話すことはタブーだ。
「人目忍んで来たの?まだ初日だからそんなに気になったことなんてないわよ?さっさと帰って寝たら?っていうか私が今すぐにでも寝たいの。帰れ。」
「あだ名たんって二重人格みたいだね。」
「どーも。」
人格が二つもあるように見えるくらい使い分けができているってことで、褒め言葉として受け取っておくことにする。
「お風呂入った?」
「入ってない。」
「なのに寝るの?」
「疲れたから明日の朝入ることにする。」
「オレが脱がせてあげるよ?」
…
「一体何っ!さっさと部屋に戻りなさいよね。」
24時間体勢なので、今回ヒュウガ達にも部屋が用意されているらしい。
恐らく私の部屋より確実に狭いだろうけれど。
「暇なんだよね。」
「ぎゃー!いいってば、明日の朝入るってば!」
服を脱がしに掛かろうとするヒュウガの手の甲を抓って止める。
無駄に叫んだせいで眠気がどこかに飛んでいったような気さえする。
「もー入ってくるわよ!貴方も部屋に戻りなさいよね。」
ベッドから立ちあがると、今度はヒュウガがベッドに横になった。
「な・ん・で・寝るの。」
「オレの部屋のベッド硬い。」
「え、そんなに?でも仕方ないでしょ。」
「貴族って嫌い。」
「そういう世界だもの。ほら、降りて。」
ヒュウガの腕を掴んで引っ張るも、ビクともしない大きな体。
「人来たらどうするのよ。」
「大丈夫。この部屋鍵掛けてる」
それさえ音しませんでしたよ。
どんな神業なのよ一体。
「護衛はいいの?」
「今はクロたんとハルセが担当してる。」
「コナツは?」
「もう寝てると思うよ。」
「じゃぁヒュウガも、」
「オレも寝る。」
そういってヒュウガは布団に潜り込んで完璧寝る体勢に入った。
ダメだ。
部屋に戻せる気がしない。
私は小さくため息を吐き、目が覚めてしまったため一先ずシャワーを浴びて来ようと浴室へつま先を向けた。
戻ってきた時にはすでにヒュウガは熟睡していて、更に深いため息が出るハメになるのだけれど。
その日は仕方がないからヒュウガの隣で丸くなって眠った。
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