08




「名前様、お嬢様がお呼びでございます。」


ミセスラスリーが呼びに来たのは私がバルコニーに来てから2時間が経った頃で、ちょうど縫い物も終わった時だった。


「わかったわ。」

「その…お嬢様のご様子はいかがでしょうか。」


ミセスラスリーは話しかけるかどうか瞳をしばらく逡巡させた後、やっと口を開いた。
その言葉に体調が悪かったっけ??と内心で首を傾げるが、あぁ脅迫状の件かと思い出した。


「えぇ、あまり気になされていないようです。」

「そうですか。…それはようございました。」


あ、ヒュウガとしゃべっているところ見られたかしら、と思って前を向くと、ヒュウガはすでに私の後ろに立っていた。

ウインクをしたヒュウガに、素早いわねぇ…なんて思いながら裁縫道具をしまい、私は完成した縫い物をポケットに入れた。


私が部屋に戻る最中も3歩後ろからはヒュウガが歩いてきている。

何だかストーカーみたいで笑えた。

思えば、話したり話さなかったりはしたものの、結局2時間ずっと二人でバルコニーにいたわけだ。

暇なのね、私もヒュウガも。


ヒュウガがリリィ様の部屋の前に立ったのを見て、私は部屋に入った。


「お待たせしましたリリィ様。」

「いーえ、私こそお待たせしてしまってごめんなさい。」


どうやらすでにヒルダさんは仕事を終えて帰っていってしまったようだ。


「リリィ様、手を出してください。」

テーブルに裁縫道具を置いてリリィ様の向かいに座り、私はごそごそとポケットにしまった先程完成したてのそれを取り出すと、リリィ様の手に乗せた。


「これは…スリーピン?」

「はい。先程の時間に作ったんです。宜しければ貰ってください。」

「いいの?」

「えぇ。」

「ありがとう!名前さんってとても器用なのね。この花も色とりどりで綺麗だわ。」


スリーピンのサテン生地に施した色鮮やかなガーベラはピンクや黄色が主だ。
私のリリィ様のイメージでもある。


「可憐なガーベラがリリィ様にはとても似合うと思いまして。きっとリリィ様が可憐だからですね。」

「そんな…、でも嬉しい。つけてもいいかしら?」

「つけて差し上げますわ。」


私が椅子から立ち上がってリリィ様の三つ編みを解こうとすると、リリィ様は「待って!」と私の動きを制した。

少しばかりいつもより声が大きかった気がする。


「どうしましたか?」

「あの…、その、三つ編みは解かないでほしいの。」

「……。…わかりました。」


私の中で何故?どうして?という疑問が浮かび上がるが、それをストレートに口に出すのは躊躇われて、一先ず頷いて耳の上のほうにスリーピンをつけた。


「三つ編みが気に入っているんですか?」

「え、えぇ。子供っぽいかもしれないですけれど笑わないでくださいませね。」

「笑ったりなんかいたしませんよ。さぁ、出来ました。」


手鏡を渡してあげると、リリィ様は「わぁ」と感歎の声を上げた。
あげた甲斐、作った甲斐があるというものだ。


「素敵ね。私お裁縫は苦手だからこんなに上手にできないの。」

「ではハンカチの刺繍から初めてはいかがですか?」

「できるかしら…」

「私で宜しければ教えて差し上げます。」


こうしてよく他の令嬢にも教えたものだ。
下手な人、上手な人、短気な人、細かい人、色んな人がいたけれど、リリィ様はどのタイプの人間なのだろうか。


「できたものは大切な人にプレゼントするといいと思いますよ。」

「大切な、人……。」

「どうなさいますか?」

「したいわ!教えてくれますか?」

「もちろんです。一緒に頑張りましょうね。」


裁縫箱から刺繍糸や刺繍枠を取り出しながら微笑むと、リリィ様はいつになく真剣な顔で頷いてみせた。


用意はしてあげて刺繍の仕方を教えてあげると、時々指に針を刺しながらも一生懸命に取り組んでいた。

私も教える片手間に刺繍を始める。

さて、何を縫おうか…と思っていると、集中し切っていたリリィ様がふと顔を上げた。


「名前さんも誰かにあげるんですの?」


言われてハタと気づく。

あげるのもいいと思うけれどアヤには随分昔にあげた覚えがあるし、リリィ様には今スリーピンをあげた。
他にあげてもいいかもしれないと思う人物なんて、今扉の外できっとこの会話を聞いているであろういけ好かないやつぐらいだ。


「…そうですね、気が向いたら、ですね。」


曖昧に濁して、私はまた針を指に刺して痛がっているリリィ様に苦笑した。

どうやらリリィ様は裁縫は苦手だけれど一生懸命頑張るタイプのようだ。


「リリィ様は誰にあげるんですか?」

「えっ?!?!……な、内緒です。」


少し照れくさそうに言うリリィ様に、ふと想い人でもいるのかと聞きたくなったけれど、また指を刺されても可哀想なので今は止めておいた。





私は浴室から部屋に戻るなり呆れた。
怒りを通り越して呆れた。

この邸に来てからというもの、毎晩ヒュウガが私の部屋で眠るからだ。


「ねぇ、いい加減にしてくれない?」

「だってオレこのベッドがいいもん。」


いいもんって何だ。
そんな可愛い子ぶっても全然可愛くなんてないんだからね。


「いつもいつも真ん中に陣取って眠るから私が狭いのよ。」

「ソファで寝たら?」


はぁ?!?!


「なんで私がソファなんかで寝なきゃならないの。」


男の風上にも置けない最低な男ね!
女の私にソファで寝ろだなんて!!
むしろそのベッドは私のだというのに。


憤慨しながら『もう、出てけ』とベッドに横になっているヒュウガの腕を掴んで引っ張る。
動かないことはわかっていたが、せずにはいられない。


「もー。じゃぁこれでいい?」


ヒュウガは私の腕を取るとベッドに引き込み、ギュウッと抱きしめてきた。
しかも私の両足はヒュウガの足の間に挟まれ、身動きが取れなくなってしまっている。


「ちょ、重い!」

「これなら狭くないでしょ?」

「ある意味で狭いわ。」



でもやっぱりこの香り落ち着くのよね。

多分、私が本気で追い出そうとしないのはこの香りに絆されているせいだ。


きっとそうだ。


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