10
春休みも終わって、学校が始まった。
つまり、リィナさんは春のバイトを終えたということだ。
リィナさんがバイトを終えると分かって、私は正直少しホッとした。
でも、リィナさんがバイト最終日に私に言った一言。
『名前ちゃんってアヤナミさんのことが好きでしょう??』
ふふっと笑うリィナさん。
かなりビックリした。
『最初から気付いてたのよ?鎌かけちゃってごめんね。』
…え?かま??
『あんまり名前ちゃんがじれったいから、つい、ね♪私に嫉妬してる名前ちゃん、可愛かったわ♪』
あれ?
……なんか、リィナさんのノリ…ヒュウガさんに似てる…。
『くっついたんでしょう?おめでとう、名前ちゃん。』
ニコリと笑うリィナさんに私は唖然とした。
『言っておくけど、私の好みじゃないからね、あの人。』
唖然も唖然。
演技派だ、リィナさんは。
『どっちかっていうと…そうねぇ、サングラスの彼の方が好みかな。』
…お似合いだと思います、とっても。
なんてったってお二方ともどこか似てるんだもん。
「休み期間が終わるとやはりここは静かだな。」
ボーっとしていると、目の前に座っているアヤナミさんが小さく零した。
この席はいつものアヤナミさんの席だ。
最近、お客さんがいない時にだけ私はアヤナミさんの真向かいに座る。
それはもちろんアヤナミさんが望んだことで、私はいつもカウンターのほうに戻ろうとするのに、ここに引き止められる。
それが実はとても嬉しかったりする。
「お客さんがいないというのも悲しいですけれどね。」
苦笑すると、唇にアヤナミさんの唇が触れた。
私はそれを受け入れて、瞳を閉じる。
しばらくすると、触れ合っていた唇が離れた。
お客さんがいないと、こうして口づけが降ってくる。
だからアヤナミさんがカフェに来てくれているときだけは、お客さんが来ないほうが嬉しかったりもするのだ。
父には悪いけれど。
でも、私がいるときは父は裏方のほうにいてばっかりだから、これくらいは許されるだろう。
余所見をしていると、また小さく口づけが施された。
「最近では慣れたものだな。」
触れるだけの口づけを終え、アヤナミさんは紅茶を一口。
今日はニルギリだ。
「何にです?」
「口づけにだ。」
「そ、それは…アヤナミさんがいっぱいしてくるから…」
私は恥ずかしくなって、誤魔化すようにヌワラエリアで作ったレモンティのアイスを飲んだ。
これは自分用に淹れた紅茶だ。
すっきりとさっぱりと、甘くて美味しい。
でもちょっと酸っぱい。
どうやらレモンを入れすぎてしまったようだ。
「嫌か?」
「嫌じゃ…ないです。」
むしろ嬉しいくらい。
だってこんなにも気持ちが昂ぶるんだもの。
「では何か問題でも?」
「それもないです。」
アヤナミさんはいつでも自分に自信満々。
そんなアヤナミさんが私を好きだなんて未だに信じられないくらい。
「……アヤナミさんは…私のどこが好きになったんですか?」
「さぁな。」
「教えてくださいよ〜」
「では名前が私を好きになった理由を上手に述べれたら…考えてやらないこともない。」
「え?!私ですか?!?!」
思わぬ質問返しに戸惑う私。
好きなところ…
顔…声…髪の色…瞳の色…背の高さ…意外と筋肉質な体…私をしっかりと支えてくれる大きな手……
真面目で…不器用だけど優しくて…大きな器の人で……。
たくさんたくさんあるけれど…
「アヤナミさんは私の正義の味方です。困ってる時はいつも助けてくれて…、私を笑顔でいさせてくれる…。」
私は小さく俯きながら照れくさそうに笑った。
「アヤナミさんを好きな自分が好き。アヤナミさんといたら優しくなれるんです。人にも、自分にも。私を優しくさせてくれる、そんな優しいアヤナミさんが好きです。」
へへ…と照れたようにアヤナミさんに笑顔を向けると、アヤナミさんは私の頭を撫でた。
「そうか。」
「アヤナミさんは??教えてくれるんですよね?」
「考えるといっただけだ。」
「えぇ?!教えてくれないんですか??」
「……後々な。」
ずるいですよ〜と、少し拗ねたようにストローに口をつけてレモンティを飲む。
そして口を離すと、また口づけが降ってきた。
今度は深いの。
グラスを握っている手に力が入って、ギュッと瞳を閉じた。
啄ばむような口づけから、ゆっくりと舌がねじ込まれてくる。
こんなキスは初めてでどうしたらいいのかわからなくて、唇を閉じたままにしていると、舌で唇をつつかれた。
開けろ。と言わんばかりだ。
私は唾液で濡れているその唇をそっと開いた。
そうすると下唇を軽く吸われ、ぬるりとした感覚が私の舌に触れた。
びっくりして舌を引っ込めようとすると、それは執拗に追ってきては絡めとる。
何度そうしただろうか。
次第に慣らされて、私はそっと自分から舌を絡めた。
恥ずかしくて、恥ずかしくて、もう羞恥で体中が溶けてしまうのではないかと思う。
いつか脳みそまで溶け出た空っぽの頭の中に、アヤナミさんのことばかりが入ってしまえばいい…、アヤナミさんで埋め尽くされたらいいのに…なんて、そんなことを思った。
キスをしなれていない私のために、息継ぎのチャンスもちゃんと与えてくれる。
苦しくなんてないから、本当に快楽だけを感じた。
「っは……ッ…」
何分が経っただろうか…。
イマイチ時間の感覚がつかめない。
お客さんが来なくて本当に良かった。
少し前まではアヤナミさんかもしれないと、お客様が来たことを知らせるためのものであった鈴も、今ではすっかりキスを止めるためのものになってしまった。
鈴の音が鳴ったら唇を離す。
なんてドキドキするんだろう。
まるでいけないことをしているような気分にさえ陥るのだから不思議だ。
確かに私はここのオーナーの娘、兼、バイトで、アヤナミさんはこの店のお客様。
だけど別に恋愛禁止というわけではない。
それなのにとてもドキドキするのだ。
そっと唇を離し小さく息を吐き出していると、アヤナミさんの親指が私の口の端を拭った。
その姿があまりにも色っぽくて、私は少しの間呆けていた。
アヤナミさんとの恋愛は、
レモンのような酸っぱさなんて感じないくらいに、甘くて…。
- 10 -
back next
index