09




私はやけにスッキリした頭で布団から起き上がった。

誰もいない部屋の片隅にある机の上にはすっかり冷めているミルクティ。

頭はスッキリしているのに何故か瞼が重たくて、近くにあった鏡を見ると瞼が腫れていた。

だけど熱はひいたようだ。

しばらくそのままでボーっとしていると、昨日の夢のような出来事が記憶の片隅から『おはよう』と顔を出した。

私はまた布団へ逆戻り。
赤い頬を誰の目から隠すつもりでいるのか、私は無意識に布団の中に潜り込んだ。

心臓がうるさい。

昨日を思い出すとまだハッキリと思い出せるあの唇の感触。

アヤナミさんが触れたそこに、私は人差し指で触れた。


あぁぁあぁぁぁ!
どうしてあのいいところで気絶なんてしてしまったんだろう。


顔が熱い。
唇も熱い。

もう私は今の自分の気持ちをどうしたらいいのかわからなくて、母が起こしに来るまでの約30分間、そのままの体勢で悶えていた。





「ねぇ、キスしたら付き合うってことになるのかなぁ?」


昨日の熱などどこへいったのやら。
スッカリ気分のいい私は、お茶しにきた友人に紅茶を淹れながらポツリと呟いた。

カウンターで私の目の前に座っている一番の親友であるシキは、クッキーをポトリと机に落とす。

なんてナイスリアクションなんだ。


私は机の上に落ちた友人のクッキーを摘むと、そのまま自分の口元に運んだ。


「ちょ、なになになになに?!?!キスしたの??!!」

「…いや、してないけど。」


嘘です。
しました。


あれが夢ではないことは確認済みだ。
朝起きて父に「アヤナミさんに運ばれた」と聞いたのだから。
あれは確実に夢なんかじゃない。


「ふぅん…」


シキは私に疑いの目を向けながらも、私の試作品である紅茶のゼリーを一口奪っていった。


「あ、私の命の源が…」


ガールズトークの源なのに。


「名前も私の命の源のクッキーとっていったでしょ。」


当然のように食べられてしまった。

別にいいけど。
そういう仲だ。


「どうだろうね。キスしたからって付き合ってるってことにはならないんじゃない?」


やっぱり?
でも、

『お前が私を見ているよりもずっと、私はお前のことを見ていた。』


というのは…好きってことじゃないのかな??


「遊びっていうのもあるかもよ?」


遊び?

でもアヤナミさんが遊びでキスしたり…するかな??


「ま、本気ならいいけどさ。名前が幸せなら。」


シキ…大好き。


「でも、そこはハッキリさせないとダメよ。ちゃんと聞かないとね。」

「うん。」

「…返事したってことは、やっぱりキスされたのね。」


ニンマリと笑うシキ。

誘導尋問が成功してしまったのせいで、それからの時間ずっと質問攻めになってしまったことは言うまでもない。

が、もちろん全て笑顔で誤魔化した。


「ま、いつか話してくれたらいいわ。じゃ、今日は帰るね。」

「え?もう??」

「今日これから、軍に見学しに行くんだ〜♪」


結構な軍事オタクであるシキは、父親が偉い地位の軍人であることをコネに、たまに軍の施設の中へと入り込んでいた。

シキ曰く、社会科見学のようなものらしい。


「軍服〜軍服〜♪」


間違った。
軍事オタクというより、軍服オタクと言ったところか。


「相談に乗ってくれたから今日のはタダでいいよ。いってらっしゃい。」

「やった!」


私は浮き足立っているシキを半ば笑いながら見送った。





「あだ名たん、今日のオススメは?」


来た。


シキが帰っていってちょうど一時間が経とうとした頃、スコーンをオーブンに入れて振り向くと、いつもの席にヒュウガさんが座っていた。
いつもの席といってもカウンターなのでとっても近い。


「いらっしゃいませ…」


あれ?扉の鈴なったっけ??


「今日のオススメはキャンディです。」

「キャンディ?飴?」

「いえ、キャンディという茶葉で…。」

「へぇ〜。じゃぁそれちょーだい♪」

「はい…。」


私はいつも通りのヒュウガさんの目の前で紅茶を淹れていく。
告白したこと忘れているんじゃないだろうか…と思ったりもするけれど、ずっと私の表情を見つめてくるあたりそういうわけではなさそうだ。


「あだ名たん、アヤたんにオレから告白されたって言ったでしょ?」


ヒュウガさんの一言にあわあわとしてしまう。


「あ、ご、ごめんなさい。熱でうなされてて…それで、頭の中ごちゃごちゃになって…」

「ん、別にいいよ♪」


怒ってなくてよかった…とホッとした私には『アヤたんに殺されそうになったけど♪』というヒュウガさんが小さく呟いた言葉は聞こえては来なかった。


「風邪ひいたの?」


ペタリとヒュウガさんの手が私の額に触れた。


「も、もう大丈夫です!」


ビックリして一歩その場から引くと、ヒュウガさんは面白そうに笑った。


「そんなに警戒心出されるともっと苛めたくなっちゃうなぁ〜♪」

「えぇ?!」


そんなドS発言いりません!


「いつも通り笑ってよ。」

「…は、い…」


無理です、ヒュウガさん。


「で?返事は??」


頑張って笑おうとしていた私の笑顔が凍った。

ただでさえ引きつっているような笑顔だったのに、もう悲しい笑顔になっているだろう。
見るに耐えないこと間違いないかもしれない。


「あ…その……ごめんなさい…」

「まぁ、返事なんてわかってたけどね☆」


わかってたんですか…


「ならどうして…」


告白なんてしたんですか??


「ん〜…好きだから。特に笑顔が。」


う゛、相変わらずストレート。


「あだ名たんはアヤたんのことが好きでしょ?」


私は俯いて顔を赤くした。
紅茶を淹れてヒュウガさんの前に置く。


「…あだ名たんはアヤたんの弱みになる。」


意味のわからない言葉に私は顔を上げて首を傾げた。


「大切なものを守れないほど弱いとは思っていないけど、万が一ってこともあるんだよ。その大切なものが弱みになったら…アヤたん死んじゃうかもね。」


私は必死に脳みそを回転させた。
ヒュウガさんの言葉は簡単そうでとても難しい。

また知恵熱が出そうだ。


「それは…アヤナミさんの大切な人がアヤナミさんにとって弱みで、その弱みのせいでアヤナミさんが死んでしまうかもしれない状態に陥ってしまうということですか??」

「うん♪あだ名たん頭良いね〜☆」

「……ではどうしたらいいんでしょうか??」

「弱くて自分の身も満足に守れないのなら離れるのが一番だよ☆」


私は自分の手元に目線を落とした。
何故だかヒュウガさんの目線が痛い。


「…ヒュウガさんはアヤナミさんのことが大好きなんですね。」

「…なんでそうなるの。」


いや、好きだけどね。とヒュウガさんは苦笑した。


「だって心配しているんでしょう?アヤナミさんがその大切なもののせいで死んでしまわないか。」


私は小さく微笑んだ。


「ヒュウガさんもお優しいんですね。」

「……はぁ〜…」


ヒュウガさんはカウンターに肘をつき、その手のひらに自分の顎を置いてため息を吐いた。


「あだ名たん、やっぱいい女だねぇ。こーんなイイ男フるなんて後悔するよー?」


私は小さく苦笑した。


「アヤたんよりイロイロ上手だよ?」

「色々ですか?」

「そ、イロイロ。」


自画自賛してしまうほどいろんなことが上手なのだろうか。


「あだ名たん、イロイロが何か分かってないでしょ。」

「え?色々なんですよね?」


私が首を傾げると、ヒュウガさんは「アヤたんも大変だー♪」とまた面白そうに笑った。


「あの…一つ聞いてもいいですか?」

「ん?」

「アヤナミさんの弱みになってしまうくらいの大切なものってなんですか??」

「…わかってなかったの?え?今の会話で?」

「はい…。」

「……これはこれは。手強いねぇ♪」

「当たり前だ。私を幽霊から守ってやると言ってのけた女だからな。」

「ぷっ。何それ♪」


……ああああ、アヤナミさん!!

いつの間に?!?!


ヒュウガさん、笑ってる場合ですか?!
驚きましょうよ!


「どうして鈴が鳴らないんですか?!」


まさかマジック?!?!


「それなら外に落ちてたよ?」

「早く言ってください!!」


だって聞かなかったじゃん。とヒュウガさんは笑った。


「んじゃ、オレはお暇しようかな。お代はアヤたんにつけてね☆」


私はチラッとアヤナミさんのことを見た。

目線が一瞬だけ交じり合って、私はすぐに目を逸らした。


うぅ、また逸らしてしまった…。


「あ、そうそう。あだ名たん、オレねホントは紅茶嫌いなんだー♪」


ヒュウガさんはにこやかにそれだけを言うと、店を出て行った。


「…やっぱり。」


だと思った。

いつも最後まで飲んでないんだもん。
それにいつもオススメ聞いてきて、好きな茶葉なんて一つもなかったみたいだし。


私はヒュウガさんに出した一切飲まれていないキャンディを片付けようと手をカウンターに伸ばした。

そこで気がついた。
アヤナミさんがその席に座ったのだ。


「……い、いいんですか?いつもの席じゃなくて…。」

「あぁ。」

「……今日は何にしますか?」

「ヌワラエリヤ。」

「はい…。」


アヤナミさんにずっと見られている。
注文をとる時も、そして紅茶を淹れている今も…。

手が…手が震える。

まるでお客様から見られてドキドキしている初心者みたいに…。

もうスッカリ慣れているはずなのに…


「焦げ臭いな。」

「はい?」

「何か焦げている匂いがするが?」

「………あぁっ!スコーン!!」


私は慌ててオーブンを開けた。

中にはスコーンらしき物体がある。


「やっちゃった…」


話に夢中でスッカリ忘れていた。

丸こげのスコーンを取り出して、私はため息を吐く。
これはもう食べれない。


「もう熱は下がったのか?」

「はい。昨日は…その…あ、ありが、と…ございました。えっと…今日はリィナさんは休みで…」


2連休中だ。


「私は名前に会いに来た。」

「でも…リィナさんの休み聞いていたじゃないですか…」


私は少しだけ拗ねたように言って、スコーンをゴミ箱に捨てた。


「聞こえていたのか。」

「ヒュウガさんが教えてくれたんです。」

「なら今私がここに来ている理由がわかるだろう。」


私は紅茶の砂時計を引っくり返した。


「理由、ですか??」


理由??


「私はあの女に休みを聞いてそれを知っている。だが今日、ここに来た。」

「…つまり……わざとリィナさんがいない日を狙って…??」

「あの女がいないと思って昨日来てみたが、お前が熱をだしていたのは計算違いだったがな。」


リィナさん…
ごめんなさい。

私もやっぱり、この人が好きです。


「昨日のことは覚えているのか?」

「はい…。」

「そうか。名前、先程のヒュウガへの問いに答えてやる。」

「さっきの問い??」

「私の弱みはお前だ。」


私は奥歯を噛みしめた。
まるで、幸せを噛みしめているようかのように。


「それって…アヤナミさんも好きってこと…ですか?」

「そうなるな。」


アヤナミさんはカウンターから身を乗り出して、私の唇にキスを落とした。


「昨日のようにだけは倒れてくれるなよ。」


呆然としている私を他所に、アヤナミさんは喉の奥で笑った。


嬉しさと驚きで息が一瞬だけ止まって、私はすぐに深く息を吸った。
焦げたスコーンの匂い。


私の心臓も焦げ付きそうです。

- 9 -

back next
index
ALICE+