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「名前、一緒帰ろー?」
「ごめん、今日も早く帰る!また明日!」
シキの誘いを断って教室を飛び出る。
それも相当な足の速さで。
アヤナミさんがくるかもしれない。
付き合い始めて今まで以上にそう考えてしまうようになった。
友達付き合いは大切。
でも、今の私には目の前に人参をぶら下げられている馬のような状態なのだ。
アヤナミさんがくるかもしれない。
来ないかもしれないのに、このドキドキ感。
早く会いたい。
一日でも早く、一秒でも早く。
「また明日って……明日学校休みですけど?」
シキが苦笑しながら半ば呆れ気味に呟いた言葉は、すでに下足室で靴を履き替えていた私には届かなかった。
運動不足。
今の私を誰かが見たらきっとそういうだろう。
走っていたら横腹が痛くなって、息切れ動悸が激しい。
腕を振って一生懸命走っていたけれど、しだいに速度も落ちてきた。
ピタリと足を止めて、両膝に手のひらを置いて地面に向かって息を吐き出す。
そして浅く空気を吸い込んで、と深呼吸をしていると、…むせた。
道のど真ん中で恥ずかしい。
そう思った瞬間、背中に誰かの手が置かれた。
それはゆっくりと上下に擦ってくれて、落ち着く。
私は一頻りむせ終えて振り向いた。
「運動不足だな。」
あぁ…言われてしまった。
「なんでこんなところに…」
しかもアヤナミさんに…。
「店に行こうとしていた。それよりももう少し運動することを勧める。」
いつもの無表情で淡々と言われてしまった。
「何をそんなに急いでいる。」
「……」
言えない。
アヤナミさんが来るかもしれないから早く帰ろうとしていたなんて…。
なんだか気恥ずかしい。
「そんな短いスカートで大爆走とは…」
ちいさくため息まで吐かれてしまった。
「短くなんて…」
「短いな。」
「そうですか??」
「もう少し長くしろ。」
命令系ですか?!?!
「それにしても、どこか行くところがあったのか?」
「……ぁ……ぅ………べ、別に…ただ、少し走りたい気分だなぁって思ってですね…。」
苦しい!
自分の言い訳、結構苦しい!!
「そうか。私は歩きたい気分だ。店まで歩きで付き合え。」
「いいんですか?!」
「行く場所は同じなのに何故別々に行く必要がある。」
「そうですよね…。」
なんか…偶然とはいえ嬉しいんですけど!
嬉しいんですけど!!
ゆっくりとしたペースで二人で歩きはじめる。
街の風景はいつもと同じなのにどこか真新しく見えるのは気のせいだろうか。
「なんか…デートみたいですね。」
軍服と制服でデート…。
なんだかある意味すごい組み合わせだ。
「……」
アヤナミさんは私の頭を数回撫でただけで、それについての返答はなかった。
「いらっしゃいませ♪」
店に二人して入ると、ヒュウガさんがいつものカウンターに座っていた。
私がいう立場なのに、ヒュウガさんに言われてしまった。
それにしても、ヒュウガさんを見たアヤナミさんは一気に氷点下の世界だ。
「何故まだここに来ている。」
「んー…あだ名たん、コーヒー♪」
どうやら一服しにきたようだ。
だが、
「うちにコーヒーはありません。」
「えー!品揃え悪いなぁもう。」
「紅茶専門店でコーヒー頼む人なんていません!」
手を洗って、ミルクティ用の牛乳をグラスに注いで出してやった。
いつもなら家に帰って着替えてくるけれど、今日はもうアヤナミさんがいるからこの制服のままだ。
少しの時間でも一緒の空間にいたい。
「La luceって紅茶専門店だったんだー。」
「今更ですか。」
失礼な人だなぁ…。
「アヤナミさん、今日は何を飲みます?」
「ルフナ。」
「はい。」
いつもの席に座ったアヤナミさんの下へ紅茶を淹れて持っていく。
すると、カウンターに戻るな…つまり、ヒュウガの元に戻るなとばかりに腕を掴まれた。
これは『目の前に座れ』という合図だ。
お客さんはチラホラ…。
でも、みんな話し込んでいるし…少しくらいならいいだろう。
私は小さく微笑んで頷くと、自分用にストロベリーティーを淹れてアヤナミさんの目の前に座った。
ヒュウガさんの視線はこの際だから気にしないことにしよう。
「その紅茶はなんだ。」
「ルフナで淹れたストロベリーティーです。飲んでみますか?」
贅沢にもイチゴを浮かべてみた。
甘酸っぱくて美味しい。
「いや、フレーバーティーはいい。」
…前に飲んだアヤナミさんが飲んだアールグレイもフレーバーティーなんだけどな…
「なんだかご機嫌斜めみたいですね。」
「あれがいるからな。」
「『あれ』って呼ぶなんて何だかお二人とも夫婦みたいですね。」
ニコリと微笑むと、アヤナミさんは複雑そうに眉間に皺を寄せた。
いや、嫌そうに…と言った方が正しいかもしれない。
私の額を軽く小突いたアヤナミさんは、私が愛情をたっぷりとこめて淹れたルフナを一口。
「痛いですよー。」
「手加減はしておいたはずだが。」
「…ちょっぴりだけ、痛いです。」
なんて嘘。
まったく痛くなんてない。
でも何だか構ってもらいたくて、私は小さな嘘をついた。
その嘘を見破っているのか、それとも本当に心配してくれているのか、アヤナミさんはまた頭をなでてくれた。
この大きな手が私はとても好き。
側にいるだけで、触れられているだけで落ち着くことができる。
できることならいつまでもこうしていて欲しいくらいに。
今はこうして支えられていてばかり。
だけどいつか…いつかは私もアヤナミさんを支えたい。
支えて、支えられて、そんな存在になれたらいい。
今はまだ、子ども扱いでもいいから…。
「名前。」
アヤナミさんの手の感触を目を閉じて感じていたら、名前を呼ばれた。
ふと目を開ける前に、唇に温かいものが触れた。
それはもう瞼を開けなくてもわかる、アヤナミさんの唇。
遠慮なく入り込んでくる舌に翻弄される。
お客さんから見えないようにメニューで上手く隠してキスしてくれているけど、どう考えてもカウンターに座っているヒュウガさんには見えている。
恥ずかしいけど…いっか。なんて思ってしまったあたり、私はもうアヤナミさんに毒されているんだろう。
最初の頃は店でするのも躊躇われたというのに。
微かに「見せ付けてくれちゃってまぁ…。…ごちそーさま。」と言うヒュウガさんの声が聞こえた。
深すぎる口づけ。
前を見て歩かないとこけるとか、スカートが短いとか、子ども扱いするのにキスだけは子供扱いなんてしてくれない。
女としてみてくれている。
何となくそう感じて、気持ちが高揚した。
唇が離れる瞬間、下唇を吸われる。
高揚していた気持ちが名残惜しいとばかりにキュンとした。
「今日は時間もないからな。そろそろあの馬鹿を連れて帰る。」
「…は、はい…」
顔赤くないかな?
大丈夫かな?
「名前、明日は出かける。」
?
そうなんですか。
つまり、明日はここに来れないと言うことだろう。
どこに出かけるんですか?とは仕事かもしれないだろうし…何となく聞きにくい。
「それと。運動不足なのに、私に会いたいがために走って帰るといつかこけるぞ。」
アヤナミさんはヒュウガさんの襟を掴むと無理矢理引きずって帰って行った。
「……バレ、てた……」
もうアヤナミさんはいないのに、恥ずかしくて逃げ出したい気分だ。
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