06




桜の花が芽吹き始めた今日この頃。
アヤナミさんと最後にあったのは梅が芽吹き始めた頃だったから、一ヶ月近く会っていないことになる。

お仕事が忙しいのだろうか、とか、お仕事中に話かけたから怒っているのだろうか、とか、不安要素はたくさんある。

今日もカウンターに肘をついて扉が開かれるのを待つ……と言いたいところだけれど、最近はそうはいかない。

お菓子も売り始めたからかお客の足も増え、時間帯によってはてんてこ舞いだ。

だから父がバイトを入れた。
可愛らしく女性らしいリィナさん。
まだ慣れないけれど、とてもいい人だ。


私は忙しい日でもずっとずっと待っていた。
いつ来てもいいように、あの人の座るあの日当たりの悪い席には誰も案内せず、日当たりのいい席を勧めて。

お昼を過ぎて客足も減ってきた午後5時頃。
その待ち焦がれた人はやってきた。





「久しいな。」

「いらっしゃいませ、アヤナミさん。」


あぁ、
頬が緩む…


アヤナミさんは案内するまでもなく、いつもの席に座った。

オーダーを取りにアヤナミさんのもとまで駆ける。


「走ると転ぶ。」

「だって久しぶりなんですもん。」


なんだか嬉しくって♪と言えば、アヤナミさんは少しだけ嬉しそうに口の端を吊り上げて笑った。


「この前はお仕事中に話しかけてごめんなさい。」

「いや…。あの後何もなかったか?」

「??はい。」

「ならいい。」


ヒュウガさんとのことだろうか??
何にもないに決まっているのに。


「今日は何にしますか?」

「そうだな……」

「決まっていないようでしたら、セイロンの最高級の紅茶が手に入っているんです、どうですか??」

「あぁ。それをもらおう。」

「はい!まだいろいろ入っているんですよ〜。また今度飲んで見て下さいね。」


では、もうしばらくお待ちください!とまた駆ける。


ちょっとだけ躓きそうになったのは内緒だ。


仕事の時に会ったアヤナミさんとは違う今のアヤナミさんは正直ちょっとだけ安心する。
冷たくない声色、むしろ温かみさえ感じるのに、あの時のアヤナミさんは…正直怖かった。

もしかしてものすごく偉い人なのだろうか。
部下だっているし…
偉い人なのかもしれない。


紅茶を淹れながらいろいろと考え込む。
だが手つきは慣れたもので、テキパキと淹れていく。


「お待たせしました。」


紅茶を持っていくと、アヤナミさんは顔を上げた。

相変わらずお美しいお顔です。
かっこいい…

と、こちらが見惚れてしまうほど。


「そういえば、店員が増えたんですよ。」

「…あぁ、そのようだな。」


言われてから気付くとは…余程興味がないらしい。


「父と二人では大変だから春休みだけの短期のバイトで女性に一人、入ってもらったんです。」


もう一人入ったお菓子職人の水輝さんは半年間更新の契約だけれど。


慣れてしまえばこのくらいのお客様だったらどうにか捌けると思うし。


「そうか。それより先程躓きそうになっただろう。これからは室内では走るな。」


あ……
バレてましたか…。


「はい…」


恥ずかし。

どうしてアヤナミさんには恥ずかしいところばっかり見られちゃうんだろ。

もっと可愛いところとか、器用なところとか…
良い所を見て欲しいのに。

…可愛いところも器用なところもないけれど。
いや、どうにか可愛い子ぶってみたら案外いける…?


『アヤナミさぁん♪今日の紅茶、美味しいですかぁ??』


とか…ブリブリに可愛く………やっぱ無理。

まずキャラじゃないよね…。
というか、生理的に無理。


「名前、考え事か?」

「へ?あ、い、いえっ!なんでもないんです。」


やばい。

アヤナミさんの目の前で別世界に行っちゃってた。


「ご、ごゆっくりどうぞ♪」





「んー…」


考え事しているとき、アホ面見られたかもしれない。

私は他のお客様のオーダーであるウバのミルクティを淹れながら、チラチラとアヤナミさんを横目で見て唸った。
カウンターはもはや私の肘置きとなりつつある。


「名前ちゃん。」

「はい。」


バイトのリィナさんが話しかけてきた。

リィナさんは長い髪を揺らして、大人っぽく笑う。


「唸ったりしてどうしたの?」

「いえ…。なんでもないんです。」

「体調が悪いならゆっくりしていてね。」

「はい。リィナさんも休憩してください。今空いてますし…。」


私がそういうと、リィナさんは小さく首を横に振った。


「あの人のこと、ちょっと見ていたくって。」


それは恋する女の子の顔だった。

嫌な予感がした。

中途半端なこの時間、日当たりのいい席にはバラつきはあるものの、ちょこちょこと人が座っている。
だが、リィナさんは日当たりの悪い方を見たのだ。

その方向には一人しかいない。

たった一人…
あの人が…


「あの人と仲がいいの?」

「え…」

「あの銀髪の男性のことよ。」





「名前はなんていうのかしら。」

「……」


アヤナミさんです。とは何故か言えなかった。

笑顔を崩さないでいるのが精一杯で、急に呼吸をするのが難しく感じられた。


「かっこよくて素敵ね。」


恋する女の笑顔。
子供のように笑う私とは違った大人な笑顔。
それはとても綺麗で。


その笑顔をボーっと見ていた私は、人肌に温めておいたミルクの器を傾けてしまい、中のミルクを零してしまった。

急いでそれをふき取る。


恋愛は自由だ。
誰が誰を好きになろうとも、自由な世界。

リィナさんは私より年上だからアヤナミさんと歳は近い。
そしてアヤナミさんと並ぶときっとお似合いだ。

リィナさん目当てで店に来る人だって少なくない。
そんなリィナさんがアヤナミさんを素敵だといった。

そして、


「私、あの人のこと名前も何も知らないけれど、好きだわ。好みだもの。」


とも言った。


私がアヤナミさんの恋人だったら「私の恋人なんです」と牽制できたかもしれない。

でも、そんなことできる権利は私にはなくて。
私も「好きなんです」というほどの勇気もなくて。


モヤモヤとした黒い何かが胸を覆った。


それを吐き出すこともなく、その日のアヤナミさんの会計はリィナさんが笑顔で行なった。

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