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パーティ開始まで残り1時間をきると忙しさは一気にピークを迎え始めた。
お泊りになられる方は客室に案内し、日帰りの方は待合室まで案内する。

メイドに呼ばれマリーカ様に呼ばれ、そしたらまたメイドに呼ばれ今度は客人に呼ばれとてんてこ舞いの数時間。

その間も結局ヒュウガに話しかける時間もなかった。
人と話している時や移動中に遠くからたまたま見かけることはあったけれど、マリーカ様にべったりされているという微妙なシーンで話しかける気さえ起きない。

また怒りや悲しみ、それに嫉妬という色んなものが湧き出てきてため息が漏れた。

忙しさでこのモヤモヤとしている感情を消そうとあちこち駆けずり回っていたら既にパーティーが始まっていた。

たくさんのプレゼントを貰っているマリーカ様。
両腕に抱えきれないほどで、売ったらいくらするんだろうと思うような貴金属や宝石などが袋や箱の中には入っているのだろう。


少し離れたところからそれを見ていると、ちょうどそこにアヤがやってきた。


「お疲れアヤ。」

「少しは落ち着いたのか?」

「うん。始まったから少しはね。」


この日のために庭師が必死に手入れをしていた薔薇の花びらを手で優しく撫でてみると、ベルベッド生地と同じく柔らかく滑らかな肌触りだった。

「名前。今一つ気付いたのだがこのパーティーは男漁りのためか。」

「あら、アヤってば今頃気付いたの?」


いわば令嬢の令嬢による令嬢のためのパーティだ。

マリーカ様は今ヒュウガに夢中なのでこのパーティーの意味があったのかは今更首を傾げたくなるけれど、本人はそれを抜きにしても結構楽しんでいるようだ。

相変わらずヒュウガにベッタリで、料理を摘んだり挨拶をしたりしている。

客人の中にはヒュウガがマリーカ様の恋人と思っている人もいるだろう。


「この場に似つかわしくないほど暗く冴えない表情をしているな。」


まるで慰められるかのように頭の上にアヤの手が乗っかってきた。

その優しさのせいで崩れ落ちそうになる理性と膝を必死に堪える変わりに、ギュウッとキツく瞳を閉じた。


「熱があると聞いたが?」

「うん。」

「平気か?」

「平気じゃない。色々平気じゃない。」


熱とか、このもやもやする気持ちとか、そんなものが平気じゃない。

瞳を開けてアヤに微笑みかけると、軽く頭を小突かれた。


「泣きそうな顔で笑うな馬鹿が。」


だって、だなんて言い訳染みたセリフは言いたくないけれど、それでも口から出そうになったその言葉を必死に飲み込んでいると、アヤが片方の口端だけ吊り上げた。


「名前、良い事を一つ教えてやろう。」

「くだらないことだったら怒るよ。」

「くだらないことだが聞け。ヒュウガの遠征の時、メールが来ないだろう?」

「え?…うん。」


『遠征行ってくるね♪』というメールからしばらく連絡がないことがある。
やっと連絡が来たと思ったら『ただいま☆』だから遠征の間は確かに連絡が来ないということになるだろう。


「あれはな、私があの馬鹿の携帯を没収しているんだ。」

「ぷっ。」


ついつい噴出してしまった。
何だその、学生が先生に見つかったみたいな『没収』って。


「笑いごとではない。少し目を離せばお前にメールばかりしてるからだ。名前にも責任があると思うのだが。」

「えぇ〜私にも??」


文句を言いながらも実は嬉しかったりする。
だって遠征(人斬り)が大好きなヒュウガが私とのメールを優先してくれるのはすごく嬉しい。

でもほぼ同時に馬鹿で阿呆だとも思うけれど。

それでも、やっぱり嬉しかった。
少なくとも今の荒んでいる心には湧き水のように感じられたのだ。


じんわりと優しさが心に広がる感覚を感じていると、そういえば後で合流するというコナツやハルセたちを思い出した。


「後で合流する予定だった皆はどこかしら?」


久しぶりに会うのだし、『護衛お疲れ様』くらいは言って回りたい。


「クロユリとハルセは出入り口を、コナツは邸周辺と邸を。ついでにカツラギと私はパーティー会場であの馬鹿は見ての通りだ。」


最後の人物に対する投げやりな言い方に小さく笑ってしまうと、本当にたまたまだったのだろうけれど、遠くにいるヒュウガと目が合って。
それも一瞬ではなく2秒ほど目が合っていたのだから気のせいなんかではないだろう。


「では私は警護に戻る。」

「…ぇ、えぇ、お疲れ様アヤ。」

「あぁ。」


アヤの後姿を見送って、私もコンパニオンの仕事を再開させようとパーティー会場を見回す。

今回招いた令嬢の何人かは私がコンパニオンを勤めていたこともあって、それぞれに挨拶をして回る。

恋人がいたり、結婚したりとしている彼女らはとても今を謳歌しているようでキラキラと瞳が輝いていた。

しばらく話した後、つい長話をしてしまったと、立食なので所々に置いてあるテーブルの上を見て回るとカトラリーの減りが意外と早いことに気がついた。

もう少し多めに補充しようと一度邸内に戻る。
メイドも客人もパーティー会場に付きっ切りなので、人気はほとんどない。

確か予備のカトラリーがここに…、と一応の為にメイドに用意させておいたカトラリーを取り出して入れ物ごと持てる分だけを持ち上げる。

これをメイドさんたちに各テーブルに置いていってもらおうと振り向くと、すぐ後ろにヒュウガが立っていたようで、ぶつかってしまった。

ヨロリ、としてしまった体を支えるように肩に手を添えてくれたヒュウガを見上げる。


「ありがと。マリーカ様は?一人にしていいの?」

「今、部屋でドレスが汚れたって着替えてるよ。」

「そう。でも側に居なくていいの?」

「こうでもしないと話せないと思って。」


確かに。

内心頷いて目を逸らすと、持っていたカトラリーを取られてすぐ脇のテーブルへと置かれてしまった。

長話する気満々といったところか。


私はヒュウガから一歩距離を置こうと身を引こうとしたが、ヒュウガの手が私の右腕を掴んでいるせいで引くに引けない。


「痛い。離して。」

「嫌だ。」


まただ。
また、この感じ。
前に苦しいくらい抱きしめられた時と同じ感覚。

少しだけヒュウガが怖いと感じる。

いつものヘラヘラ笑っているヒュウガとは少し違っていて、このヒュウガもヒュウガなのだろうけれど怖いと思う。

表情こそ落ち着いて見えるけれど、いつになく手荒い扱い。

恐らく彼は本気で怒っているのだ。
誰にも本気を見せない男が、私には本気を見せてくれている。


怖くもあり、嬉しくもあり、何にもしゃべれなくなってしまう。


「まだ怒ってる?」

「……怒ってるのはヒュウガのほうじゃない。」


顔を逸らし、震える唇を叱咤して必死に言葉を紡ぎだす。
そうするとヒュウガは少しだけだけれど表情を和らげた。


「怒ってないよ。」

「嘘。」

「昨日も似たような会話したよね。」


和らげただけじゃなくクスリとヒュウガが笑ったので、この心臓に悪い雰囲気は払拭された。
しかし払拭されたからといって問題が解決したわけではない。


「まぁ…少しだけ怒ってるかな。」

「ほら、怒ってるんじゃない。」


怒られて当然なことを私はたくさんしている。
その自覚さえあるのだから怒られたって何の疑問もない。

電話にでなかったこと、嫉妬して冷たくあたったこと、手を払ったこと。

きっと細々したところでだって傷つけたのだろう。
私が気付いていないだけで、彼が傷ついたことはたくさんあるはずだ。


「あだ名たんが何を悲しんで、何を怒って、何を考えているのかオレに教えて?」

「知ってどうするのよ…。」

「悲しんでいるんなら極力悲しまないようにしてあげたいし慰めてあげたい。怒っているのならあだ名たんが何に対して怒っているのかちゃんと理解して謝りたいし仲直りしたい。」


スルリとヒュウガの大きな手が私の頬に触れたと思ったら前を向かせられ、視線が交じり合う。
意外にもヒュウガの瞳は穏やかだった。


「それにあだ名たんがどんなことをどう考えてどう感じているのか知りたいんだ。あだ名たんのことが好きだから。」


じんわりと涙が溢れてきた。
瞬きを一回でもしてしまったら零れ落ちそうで、震える睫毛を必死に堪える。


震える唇で声に出せるかどうかなんてわからなかったけれど、『私も好き』と言おうと口を開いたところで急にマリーカ様の悲鳴が聞こえてきた。

声の大きさからしてこの邸内だろうことは伺える。

ヒュウガも気付いたのか、瞳が真剣みを帯びていた。


「今のマリーカ様の悲鳴よね?!」

「うん、そうだね。あだ名たんはここで待ってて。危ないから隠れててね。」

「嫌よ、私も行くわ。」

「ダメ。」


首を振るヒュウガを置いて、次の瞬間に私は地面を蹴って走り出していた。

ヒュウガは驚いたように瞳を開いていたようだったけれど、すぐに私の後を追いかけてきてあっという間に追いつかれる。


「あだ名たん戻って。」

「うるさい馬鹿!」

「ば、ばかって…ひどいあだ名たん…」


走りながらも口論は続く。


「黙って走ってそのグラサン落ちないように気をつけなさいよね。」

「落とさないよ!」


第三者がこの会話を聞いたら悲鳴が聞こえてからの会話じゃないとツッコミたいだろう。
しかしこれでも私は真剣だった。


声がしたであろうマリーカ様の部屋の前に行くと扉は蹴破られていて、すでに交戦が終わった後だった。

中には2名ほどのメイドとマリーカ様が部屋の端で震えており、気絶しているようだが侵入者であろう男をコナツがザイフォンで拘束しているところだった。


「あ、少佐。どうやら盗み目的だったようです。」

「ナイスコナツ☆」


ヒュウガが満足げに口の端を吊り上げて微笑むと、コナツは褒められたのが嬉しかったのか、少しだけ照れたようにはにかんだ。

しかしその表情も一瞬で消え、コナツは部屋の端で震えているマリーカ様に近寄った。


「お怪我はありませんか?」

「え、えぇ…」


辛うじて頷いてはいるものの、その顔は青ざめているままだ。


「それは良かったです。少佐、この男を警察に引き渡してきますね。」

「よろしくコナツ♪」


そんな2人の会話を私は朦朧としてきた意識の中で薄っすらと聞いていた。

熱があるのに急に走ったりして熱が上がったようだ。
まともに食事も取っていないからか貧血もひどい。


「良かったねあだ名たん、怪我人も出なくて。…あだ名たん?あだ名たんっ?!?!」


もう立っているのさえ辛くて、私はガクリと膝から折れて意識を手放した。


ヒュウガの慌てた顔なんて始めて見た気がした。


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