09




朝日が眩しかった。

一晩寝ても気持ちも頭もさっぱりしておらず、気だるさが残っている。
昨晩薬を飲んだからこれでも楽な方なのだろう。

そう思うとヒュウガの心遣いがありがたくて、また気分が沈んだ。


もぞりとベッドの中で身じろぐ。
まだ寝ていたいと体が信号を送っているのだけれど、ぼんやりとする頭の片隅ではもう起きて用意をしなければと思っている。

思っているだけで体は動かない。

もう一度もぞりと寝返りを打って二度寝の体勢に入ったところで、もう起きなければ本当にヤバイと体までもがそわそわと落ち着かなくなってきた。

私の部屋にはメイドさんは起こしにはこない。
人に起こされなくても起きるのが私だ。

だから二度寝なんてしてしまったら、完璧遅刻は目に見えている。


数秒間だけ全身の力を抜いて息を吐き出した後、新鮮な朝の冷たい空気を肺へと取り入れてやっとの思いでベッドから上半身を起こした。


恐らく体が重いのは風邪のせいだけではないだろう。
マリーカ様に会うのが躊躇われる、ヒュウガに会うのが気まずい、そんな色んな気持ちが複雑に絡まってこうなってしまっているのだと思う。


晴れない気持ちを洗い流すように洗面所で顔を洗う。
歯を磨き、いつもの服装より綺麗に着飾って。
でも主役のマリーカ様が翳むような服装ではなく。

髪を梳かして化粧を施した頃にはマリーカ様との朝食の時間5分前だった。

部屋を出てリビングへ行くと、すでにマリーカ様は座って食事を取っていた。


「おはようございますマリーカ様。」

「おはよう名前。気分はいかが?」

「えぇ、もうすっかり。ご心配おかけしました。」


あくまで普通に。
笑顔を絶やさないように普通に。

普通に普通に、と内心呟くと何が普通なのやら訳がわからなくなってきたけれど、とりあえず微笑んでおけばいいのだと言い聞かせる。


テーブルの上には相変わらず食べきれないほどの朝食。
スコーンにマフィンにクロワッサン、それに添えるようにジャムにはちみつ、バターにクロテッドクリーム。
オムレツ、キドニーのソテー、ベーコンにソーセージなど。

たくさんある料理の中で、私はミネストローネだけを朝食に選んだ。


「食欲がないのなら軽めのリゾットでも作らせましょうか。」

「いえ。十分です。」

「お口に合わない?」

「まさか。とても美味しいです。」


マリーカ様のことだ、ここで口に合わないなんて言った暁にはシェフを即刻クビにしてしまいそうで必死に首を横に振る。


「それよりマリーカ様。本日はお誕生日おめでとうございます。」

「ありがとう名前。こうやって歳を取っていくのね、人間って。」


感慨深そうにため息を吐くマリーカ様に「まだお若いのですから、お気になさらなくても良いと思いますよ。」と小さく苦笑する。

「でも同じ歳の友人はこの前結婚したわ。私ももう結婚しないといけない歳なのよ。」


フォークをお皿の上に置いてテーブルに肘をついたマリーカ様。


「いいえ。結婚しないといけない歳なんてありませんよ。好きな人ができ、お付き合いを重ねて、結婚したいと思った時が来たらしたらいいんです。何事にもタイミングというものがあるのですから。結婚したいから恋人を作るというのもありですが、恋人を作ってから『この人と結婚したい』、『この人とずっと一緒にいたい』と思うほうがよっぽど素敵だと思いませんか?」


少しだけ問うように首を傾げると、マリーカ様はポカンと口を開けてこちらを凝視してきた。


「名前、貴女…意外とロマンチストなのね。意外だわ。」


何故『意外』を二回言ったんだと片眉が上がった。


「名前は世間体とか気にしないの?周りはどんどん結婚していくのよ?あの子はまだ結婚してないのよって影で言われてるのよ?」

「人は人、自分は自分です。私は結婚しなくても自分の人生を謳歌している人の方がとっても素敵だと思います。もちろん結婚して謳歌するのもすごく素敵です。結婚してもしなくても日々を謳歌していたらそれでいいんです。胸を張って生きていけばいいんです。」

「……名前は謳歌しているの?」

「しているように見えますか?」

「見えるわ。」

「ではそういうことにしておきましょう。さ、マリーカ様。おしゃべりはここまでですよ。お食事が終わったのでしたらお着替えの時間です。」


私は半分ほど食したスープのスプーンを置いて気合を入れなおし、マリーカ様と共にリビングを出てマリーカ様の部屋へ入ると、そこにはヒュウガと着付けをするためにメイドが3名いた。

部屋に入った瞬間にヒュウガの香りがして、それでいて視線が交じりあったけれど「もう!ゆっくり食べ過ぎちゃったわ!早く着替えさせて!」というマリーカ様の声によってそれは途切れた。


「マリーカ様がのんびりされたのですよ。まだ時間には余裕がありますから落ち着いてください。」


そう言って私は極力自然にヒュウガから目線を逸らし、マリーカ様のドレスをそっと手に取ってメイドに手渡した。

着替えの為に奥の部屋にマリーカ様とメイドが入っていってしまうと、ヒュウガと2人っきりになってしまったことに息苦しさを覚える。


薬ありがとう。
昨日はごめんなさい。

切り出す言葉はたくさん出てくるけれど勇気が出なくて切り出せない。
その上昨日の気まずさからか目だって合わせられない。

さっきはたまたたま合ったけれど、故意的にとなると全くもって合わない、合わせられない。
私の目線はこの数秒の間ずっと床を見つめている。


「熱は?大丈夫?」


少し離れた場所にお互い立っていたのに声はすごく近くで聞こえ、その事に驚いて顔を上げるとすぐ隣まで近寄って来ていたヒュウガと目が合った。

つい一歩退いてしまったけれど、彼は何も言わない。


「あ、…うん。大丈夫。」

「…そっか。ならいいけど。」


謝るなら今だと本能が告げるが唇が震えてどうしようもなくなっていると、まだ若手のメイドが3人ばかり半ば滑り込むようにこの部屋に入ってきた。


「名前様!」

「良かった、ここにいらしたんですね!!」

「大変なんです!」


心底ホッとしたような笑みを少しだけ浮かべる若手メイド達に首を傾げて「どうしたの?」と問う。


「マービスロント家のご令嬢がご到着されたんです!」


マービスロント家の令嬢といえばロザリナ嬢だ。
この家柄に引けを取らない程の名門一家。
そしてマリーカ様のご友人。

到着の予定はパーティーの始まる1時間前の11時30分だったはずだ。

というか普通は朝方に到着なんてしない。
本来なら非常識極まりない。


「何でも予定より早く着いたとのことでして。」

「ご令嬢は?」

「エントランスに…」

「ご令嬢をエントランスに放置?!?!」


若手とはいえどやって許される失敗と許されない失敗がある。
招かれざる客人といえど、客室に通すのが当たり前だ。
3人もこのことを知っているのなら1人くらいは案内だってできただろう。

私は口元に手を当てて一瞬だけ絶句してすぐさま頭をフル回転させた。


「いいわ、私が挨拶に向かいます。案内もするわ。貴女はミセスフロージアにこのことを伝えて。貴女は三階の一番陽のあたる綺麗な部屋に紅茶を運ぶ用意をして。」

「でもあの客室はセヴァリア家のご令嬢が入られる予定で。」

「無礼を働いたのはこちらの方よ。至急もう一度お泊りになっていかれる方の部屋を見直して入れ替えて頂戴。」

「わかりました。」

「貴女は私といらっしゃい。荷物を持って差し上げて。」

「はい。」


早足でヒュウガの横を通り過ぎて部屋を出る。
結局謝ることもお礼をいうこともできなかった。

悔やみたいけれどそんな時間も暇もない。

私はエントランスに辿りつくなりその場に立っていたロザリナ嬢に深く頭を下げた。


「お待たせして申し訳ありません。私はマリーカ様のコンパニオンをしております名前=名字と申します。この度は遠いところご足労いただきありがとうございます。」

「いいえ、わたくしが不躾にも早く着いてしまったのだから頭を上げて頂戴?」


意外にもロザリナ様は線が細く優しい笑みの持ち主だった。
本当に意外だ、あのマリーカ様のご友人なのだから。
マリーカ様には言えないけれど。


「そういっていただけるととてもありがたいです。」

「名字さんのお噂は伺っております。とても優秀なコンパニオンなのですね。今度はぜひ私のコンパニオンも勤めていただきたいわ。」

「ありがとうございます。ご縁がありましたらぜひ。お疲れでしょうし、もしよろしければお部屋までご案内させてくださいますか?」

「えぇ、お願いするわ。」


にっこりと微笑んで部屋まで案内すると、やはり疲れていたのか椅子に座ったロザリナ様。


「ロザリナ様、ご朝食は召し上がっていらっしゃいましたか?」


もしやと思って訪ねてみるとロザリナ様は少しだけ眉を下げると「実は朝の予定が狂ってしまったから食べていないの。」と言われたので、「では軽めに朝食を用意いたしますね。」と返事を返すと「ありがとう」とやんわり微笑まれてしまった。

もし本当にロザリナ様が私をコンパニオンとして雇いたいのなら今すぐにも雇われたい気分だ。


部屋を出てメイドに朝食を持っていくように言いつけて、私は一旦マリーカ様のところへ戻った。


「見て名前!どうかしら?」


部屋に入るなり、昨日とは違って化粧や髪形までバッチリ決めているマリーカ様はとても楽しそうに訪ねてきた。


「お綺麗ですよマリーカ様。」

「そうよね。ありがとう。」

「…。」


『そうよね』って言葉が余計だ。
転職を考えるべきなのかもしれない。
このマリーカ様はいつまでたっても手に負えない。


「あら?そういえばヒュウガ…、さんはどちらに?」


ヒュウガを呼び捨てにしそうになったけれど、必死に繋ぎなおした。
マリーカ様は気分が昂ぶっているのか、気にしている様子は全くない。
その事にホッとしつつ、やはりヒュウガの姿が見えないことに内心首を傾げる。


「『アヤたん』とかいう軍人に連れていかれたわ。部下の方や応援に仲間が来たからって警護の最終確認なんですって。」


アヤに連れて行かれたんだ…。

私も忙しいけれどヒュウガだって忙しいんだよね、と寂しくもなって、それと同時に完璧にタイミングを逃がしたなと内心苦笑してしまう。


「その確認が終わったらまた来てくれるって言っていたわ。」

「…、良かったですね。私は中庭の会場の方を用意が出来ているか見回ってきますね。」

「えぇ。」


また部屋を出てパタリと扉を閉める。
その扉に少しだけ背中を預けてため息を一つ吐くと、やけに熱い息が吐き出された。

忙しい間は熱があることなんて忘れてしまうくらい仕事モードだけれど、こうして少しの時間でも空くとダルさが一気に襲ってくる。

その上ヒュウガともすれ違い。

もしかしてこのまま会えないんじゃ、なんて馬鹿みたいなことを思って一人自嘲するように笑った。


- 9 -

back next
index
ALICE+