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額にひんやりとするものが乗せられて目が覚めた。
ひどく緩慢とした動きで瞳を開けると頭と体が重たく感じられて、息が荒かった。
汗でしっとりとしている肌が気持ち悪くて少しだけ眉を顰めていると、ヒュウガの顔がひょこりと視界から顔を出して覗き込んでくる。
「気分どう?」
「大丈夫。」
「オレあだ名たんの大丈夫は聞かないことにしてるから。」
じゃぁ何で聞くんだと思うけれど、それより何で聞いてくれないんだと言いたくなった。
でも思い返せばヒュウガに幾度となく『大丈夫』かと尋ねられたけれど、全てに『大丈夫』だと返したような気がする。
これじゃぁ聞いてくれなくなるのも頷ける。
「心配かけたくなかっただけだからね。」
何で辛いと言ってくれなかったのか、とか喧嘩になりたくなかったから先手を打って言っておく。
するとヒュウガはキョトンとした後に笑った。
「知ってる♪でも結局心配かけたら一緒だよ。」
「…ごめん。」
少しだけ顔を背けると、額に乗っていた冷たい手拭がズルリとベッドに落ちた。
きっとヒュウガが運んでくれたのであろう、いつもの私の自室のベッドに安心感を覚える。
「やけに素直だね、やっぱりまだ具合悪いのかな。」
「どういう意味よそれ。」
素直だったら気持ち悪いってか。
ギロリと睨んでやれば、ヒュウガは肩を竦めて私の頭を撫でた。
「冗談冗談♪」
「私どれくらい寝てた?」
「ざっと3時間ってとこかな。」
ということはパーティーも終わっている時間ということか。
随分長いこと眠っていた気がする。
「パーティーは?」
やはり中止になったりでもしたのだろうか。
せっかく人が寝込むほど頑張ったというのに、中止になっていたりしたら悔やんでも悔やみきれない。
「大丈夫、きちんと終わったよ。マリー嬢の悲鳴は邸内だけにしか聞こえなかったみたいだし、客人は中庭にいたらか誰もこのことに気付かずに1時間前に終了したよ。」
「そう…」
「犯人は単独犯で人がいなくなる時を狙って入ってきた強盗だったみたい。もう警察にアヤたんたちが引き渡してる。だから安心していいよ。もうちょっと寝たら?」
「平気。もう帰るんでしょう?」
ヒュウガ達の仕事は終わったのだからもうここにいる理由はない。
ここで寝てしまったらまたいつ会えるかわからないのだ。
メールとか電話とかじゃなく、ちゃんと面と向かって謝りたい。
私が起き上がろうとすると、ヒュウガは肩に腕を回して起き上がるのを手伝ってくれた。
すぐ側のソファに置いていたカーディガンを肩にかけてくれたヒュウガはスポーツ飲料も手渡してくれる。
至れり尽くせりで重病人になったような気分だ。
しかしそれを一口飲み、また二口飲んだ。
意外と喉が渇いていたようだ。
「あのねヒュウガ、話しが…あるの。」
私が持っていたペットボトルをテーブルに置いたヒュウガは、何を考えたのかいきなり自分の両耳をそれぞれ両手で塞いでみせた。
そのポーズはまるで子供が『聞きたくない』と駄々をこねるようで、話を切り出した私が呆気に取られる。
「な、なにしてるの?」
「別れ話は聞かないよ。」
何を先走って考えているのやら。
私は「違うから…」と呆れ顔で言うけれど、ヒュウガは一向にその手を離そうとはしない。
世話のかかる子供だこと、と内心呟いてその両手首を掴んで引っ張るが全くビクともしない。
「人の話しはちゃんと聞きなさいよ。」
「嫌。」
ヒュウガの手はまだ両耳をふさいでいる。
なのにちゃんと受け答えをしているということは、少しでも聞こえているのだろう。
私は無駄な体力を使ってしまったと後悔しながら、両手を膝の上に置いた。
「あのね。私、人生で初めて嫉妬というものをしたの。」
少し声を大きくしてしっかりとヒュウガに聞こえるように言うと、ヒュウガはやはり聞こえていたのか耳から手を退かして目を丸くした。
と思えばすぐににんまりと笑顔が浮かび上がった。
「へぇ、認めるんだ?」
「『何に?』『誰に?』って聞かないってことはわかってたわね。」
鋭く睨むと、ヒュウガは大げさに肩を竦めて笑った。
「意外とわかりやすくて。」
なんて腹立つ男だこと。
今の私に体力があったならそのムカつく頬をひっぱたいていただろうが、残念なことに熱に浮かされているこの体にそんな体力は残されていない。
「いつから?」
「マリー嬢がオレを護衛として側に置いておきたいってわざわざ外までやってきて言った時かな。確信したのはその後部屋で握手した時♪」
あの時は手の骨折れるかと思ったと笑うヒュウガを今殴ったとしても神様は見逃してくれることだろう。
こいつ、ろくな死に方しないなと思う。
「それでピンと来ちゃったんだ♪マリー嬢がオレに気があるからあだ名たんはアヤたんたちにしか話さないことがあって、初めて会ったフリをしたんだってね☆」
「ねぇ、一回地獄巡りでもしてきたら?」
それでその腐った性格どうにかして帰ってきて欲しい。
頭イタイ。
「断るくらいしなさいよね。」
いくら無礼になったとしても、ヒュウガならそのよく回る口でどうにでもできそうだ。
「オレが断らなかった理由教えてあげようか?」
「えぇ。」
「じゃぁちゅーして?」
「ふざけないで。」
「本気だよ。」
「じゃぁ別に言わなくてもいい。」
「いいの?気にならないの?」
気にならないといえば嘘になる。
でも『ちゅー』という対価は何だか癪だ。
「じゃぁさ、言うからちゅーして?」
「どっちにしろしなくちゃいけないじゃない。」
どっちを選んでもキスは決定事項らしい。
こいつの脳みそは一体どんな色でどんな形をしているのか気になるところだ。
真っピンクだったら笑ってやりたい。
「断らなかったのはあだ名たんの側に居られると思ったからだよ♪」
ほら、ちゃんと言ったからちゅーして?と顔を近づけてくるヒュウガに恥ずかしくなる。
彼は今自分が何を言ったのか理解して言ったのだろうか。
私と居たいからだなんて、何だか私の怒り損のような気さえしてくる。
そんなことをあっさりと言ってのけるヒュウガが恥ずかしくて、でも嬉しくて。
ヒュウガは更に「ほらほら♪」と顔を近づけてくるから余計恥ずかしい。
しかしこのままでは話も進みそうにない。
私は複雑なため息を小さく吐いて、すでに瞳を閉じているヒュウガの頬に小さくキスを落とした。
「え?それだけ?」
「頬でも唇でも額でもキスはキスでしょう?文句でも?」
頬というのがご不満だったようだが、私の『文句があるならいってみろよ』という瞳を向けると「ちぇっ」と舌打ちに似た独り言だけで終わった。
「嫉妬されて嬉しかった?」
嫌味をたっぷりと込めて言ったのにヒュウガは少し考えたように瞳を逡巡させて苦笑いするなり「複雑だった。」と言った。
ヒュウガのことだから『うん、とっても♪』という返しだろうと思っていたのに、意外な答えに首を傾げる。
「嫌だった?」
「ヤじゃないよ。ただあだ名たんにもこんな気持ちさせてるんだって思ったら、嬉しいの半分複雑半分になった。」
ヒュウガの言いたい意味がイマイチわからなくて、必死に考えるけれど熱に浮かされている脳では働きが悪いのか答えは出てこない。
「ほら、嫉妬って妬みとか僻みとかそんなものを嫉妬っていうでしょ?モヤモヤして、人を羨んだり妬んだりしている自分がみっともなく思えたりするのに、それでも嫉妬って止まらなくてさ。人を恨んだりだってしたくないのに妬んだりして。」
ヒュウガは自嘲するように笑った。
何だかその笑みが自分とダブる。
妬み、僻み、恨み、
マイナスの感情に支配される感覚は心の中で燻り続けるのだ。
「正直、あだ名たんがアヤたんと2人っきりで居るのに焼きもち妬くし、羨ましいなって思う。でもこの嫌な感情をあだ名たんにもさせているんだなって思ったら嬉しいのに嬉しくなくなった。」
私はヒュウガとマリーカ様の仲を嫉妬している中、ヒュウガも私とアヤの仲を嫉妬していたのだ。
持ちたくもない、感じたくもない僻みや妬みを持ってずっとお互いに黙っていたことに私も自嘲した。
「ヒュウガ、」
伝えたらいいんだ。
ちゃんと言葉や行動にして。
「好きだから。」
あの人より私の事を好きでいて。
あの人より私の事を大切にして。
そんなこと言わないから。
「ちゃんと、好きだから。」
ただ『恋人』というポジションに立っていられるのは私だけだと実感させて欲しい。
私の『恋人』というポジションは貴方だけなのだから。
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