03
ヒュウガの怒りは尤もだと思う。
かくいう私もアヤに電話を取って貰えない時『何で出ないわけ?!』と散々携帯に文句を言ったものだ。
そんな私だからこそ、アヤのような『電話にでると面倒そうだから』みたいな理由ではないことだけはわかってもらいたい。
もらいたい…のに、ヒュウガは確実に怒っている。
それも私の腰に腕を回して。
小さく身じろぐと、更に引き寄せられた。
こんなことしなくても、ブラックホークの少佐から逃げ果せるとは微塵も思っていない。
強くもない私が立とうとした瞬間に拘束されそうだ。
しかし瞳だけは先程から部屋の隅っこだったりウロウロウロウロとしてしまっている。
何だろう、これでは私が悪者のようじゃないか。
久しぶりに会うからといって、引け目があるからといって、弱気の私なんて私らしくない。
「ちゃんと、理由ぐらいあるのよ。」
そうだ。
ちゃんとした理由があるのだからこれほどまでに迫られなくてもいいはずだ。
なのにヒュウガは「へぇ?」と更に身を寄せて顔を覗いてきた。
少しだけヒュウガの胸板を両手で押して抵抗してみたが、思っていた通りビクともしない。
そこがまたキュンと来もするが、ムカつくところだ。
いけ好かないやつ。
ホントこの言葉がヒュウガにはお似合いだ。
「言ってみて?」
ほら、とりあえず言い訳あるなら聞いてあげるからさ。みたいな態度のヒュウガを殴りたい衝動に駆られる。
何だその態度は!表情は!
言っておくけど、ヒュウガの方が私のこと好きなんだから、私の方が立場は上なんだからね!
惚れた方が負けっていうでしょ!
なんっっっていう屈辱だ。
「言わない。」
ハッキリバッサリそう言って思い切り力を込めて胸板を押した。
しかしそれでもヒュウガはキョトンとしただけでビクともしない。
むしろ数秒置いてヒュウガが真顔になった瞬間、苦しいくらいに今度は両腕で胸板に押し付けられた。
「んっ、ちょ、っと、くるし。」
息は出来るものの、ずっとこのままだと辛い。
男と女の差は日常の出来事でさえ大きく違うと感じるのに、こんなことをされては少しだけ怖くなった。
「言って?」
脅しにも似たそれに背筋がゾクリとする。
頭までも胸板に押さえつけられているせいで、ヒュウガが今どんな表情をしているのかはわからないけれど、笑ってはいないだろう。
怒っているのだろうか?
声色は明らかに怒気を孕んでいるけれど、押さえつけたまま髪を梳く手はどこか優しい。
この矛盾した行動が更に私を追い立てる。
初めて男性が怖いと思った。
アヤだって、今まで関わった男だって、どこかしら何かしら優しかった。
名前を呼ぶときも、体を重ねる時も。
なのに今ヒュウガはどうだろうか。
この状態での優しさは逆に怖いのだ。
先程飲んだ紅茶が胃の中でグルグルとし始めて、私は口元を手で軽く押さえた。
「…あだ名たん?」
「…」
何か気持ち悪い…。
「あだ名たん?どうしたの?」
私の体調が優れないことに気がついたのか、ヒュウガは私の体を離すなり俯く顔を下から覗き込んできた。
そこに先程の怒りはない。
ただただ心配している、そういった感じでホッとすると気持ち悪さが増した。
「…吐く、かも。」
そう言って体を小さく丸めると、ヒュウガは私を抱き上げてトイレに駆け込んだ。
その揺れさえ気持ち悪くて、ヒュウガの肩口をギュッと握る。
トイレで下ろされて、便器に縋りつくと背中をゆっくりと撫でられる。
何だかその優しさに泣きそうになった。
そしてふと思う。
私はいつこんなにも弱くなったんだ、と。
ヒュウガに出会って、触れて、重なって、急に弱くなったような気がする。
簡単に揺れ動かされて脆いのだ。
こんな自分は嫌いで、らしくない。
私は気持ち悪い胃の辺りを服の上から掴んで瞳を閉じ、ヒュウガの手の温もりだけを感じた。
結局吐きはしなかったものの、10分近くトイレに居た。
体は底冷えしてしまって、ソファにだんまりと座っているとヒュウガが毛布をベッドから剥ぎ取ってきた。
その様子をボーっと眺め見ていると、ふとヒュウガと目があって毛布でしっかりと包まれた。
その横にヒュウガも座って、私の肩を抱き寄せる。
「びっくりさせてごめんね。」
あろうことかヒュウガが謝ってきた。
私は少しだけ瞠目して小さく首を振り、ひどく緩慢な動きでヒュウガの肩に頭を預けると頭にキスをされた。
冷たい静寂が流れる。
なのにヒュウガはそれ以上問い質さなかった。
別に理由を言ってもいいけれど、喉まで出掛かっている理由を矜持が押し返すのだ。
だからといって私から都合よく会話を変えられるはずもない。
そこまで都合のいい人間ではないし、なりたくない。
何かしゃべって、と目線をさ迷わせていると、ヒュウガの手が頭をゆっくりと撫ではじめた。
「そういえば、会うの1ヶ月ぶりだね。」
「…うん。」
「昨日メールしたばっかりなのに会えるなんて嬉しいな♪」
「私がここに居るって知っててメールしてきたんだと思ってた。」
「知らなかったよ。ただ貴族の邸を護衛することになったから、どんな家かあだ名たん知ってるかなって思っただけ。あわよくばその邸に居て欲しいなって思ったら、すごい偶然でビックリしちゃった♪やっぱ運命だよね☆」
「馬鹿。」
小さく苦笑して、頭を撫でていない方の手を取ってギュッと握って顔を上げると、久しぶりに口づけが降ってきた。
深くはないけれど、触れるだけのキスで十分すぎるくらい優しくて愛おしさを感じた。
「体調悪いの?」
唇を離して抱きしめられていると、降ってくる心配そうな声に首を横に振る。
「悪くないわ。全然元気よ。」
「ならいいけど…。」
「そういえばアヤたちは?」
ヒュウガと一緒にこの邸を出て行くのを見ていたのに、ここにはヒュウガしかいない。
今更といえば今更といった質問だ。
「先にホテルに帰ったよ。」
「ホテル?」
「うん♪軍から遠いから出張みたいな感じ。」
「へぇ、出張とかするのね。」
意外だとばかりに驚くと、ヒュウガは何かを思い出したのか苦笑した。
「アヤたんは散々嫌だって言ったらしいんだけど、前のリリィナ嬢の脅迫状の件が被害も出ずに丸く収まったからってまた依頼されて。」
被害が出なかった?そりゃそうだ。
だってあの事件はすべてリリィ様とガヴァネスのヒルダさんの策略だったのだから。
父親にたまには私を見て欲しいという自作自演の。
リリィ様のためにこの件はアヤが真相を隠して報告書を出してくれたので、第三者から見ればさぞかしブラックホークは優秀だっただろう。
唯一つ、海に落ちたとされる脅迫状を出した犯人を捕まえられなかったことがスッキリしないだろうが、事実報告書に書いてあるそんな人物なんて存在しない。
「この邸の主はリリィナ嬢の友人の友人の親戚の邸らしいよ。」
それはまた地味に遠いわね。
「どこからかオレたちの噂を聞いたんだろうね。アヤたんは心底嫌がってたけど。」
「でしょうね。」
ただでさえリリィ様の時の件も乗り気ではなかったみたいだし。
警備とか警護とか面倒そうだものね。
「で、そのホテルに3人で明後日まで?」
「部屋はもちろん別々だよ☆アヤたんが絶対オレと一緒は嫌だって。」
……あぁ、何となくわかる気がするわ。
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