04
「もう陽が暮れるわよ?」
心配げに首を捻るをマリーカ様はご尤も。
さすがに後数刻で陽も暮れるというのに「これから街に出てきます」だなんて、普通だったらありえない。
特に貴族様は夜に出かけるなんて、パーティーか夜会、オペラなどそんなものだ。
後考えられるのは密会という浮気、ただそれだけ。
私も邸でコンパニオンをしている時は大人しくしていて男の人と遊んだりしない。
コンパニオンに良からぬ噂が立つと、その令嬢にも被害を及ぼしてしまうからだ。
だから私が男の人と夜遊びするのはどの邸にも属していない時だけなのだ。
もっとも、ヒュウガと付き合い始めてからは夜の街を出歩くこともしなくなったけれど。
ヒュウガには浮気はダメだと言っておきながら、自分は良いだなんて都合よくは生きていけない。
もしヒュウガが浮気していたら私も浮気し返して思い切りフってやる、と常々思ってはいるのだけれど。
「実はこの街はまだ観光したことがないので。」
「明日にしたら?」
「えっと、人と会う約束をしておりまして。」
「あら、貴方に恋人がいるだなんて知らなかったわ。」
意外だとばかりに笑うマリーカ様に内心で『少なくとも我が侭なあんたよりは経験豊富じゃ!』と喰らいついておく。
「そんな恋人だなんて。昔の友人がこちらに住んでいるそうなんです。なので夕食もそちらで戴いてきますね。」
「男?」
「女性です。」
ストレートに聞いてくるマリーカ様をいつもの笑顔でかわし、私は「では行って参ります。」と部屋を出た。
長い長い廊下を歩いてエントランスを出て、広い広い庭を歩いて門をくぐる。
「お待たせ。」
門の横の壁に背中をつけて腕を組んで待っていたヒュウガに声をかけると、ヒュウガは大して気にしている風ではなくサングラスの奥で笑った。
「じゃぁ行こっか♪」
「うん。」
ヒュウガにそれと無く手を掴まれて半ば引かれるように歩き始める。
しかし自分との歩幅が違うのだとすぐに気がついたらしく、ゆっくりと歩いてくれたので隣を普通に歩く。
実はヒュウガが私の部屋に不法侵入していたすぐ後に、ヒュウガにホテルに遊びに来ないかと誘われたのだ。
体調が悪いから無理はさせたくないんだけど、アヤたんが話したいっていってたから夕御飯でも一緒にどう?と誘われ、私もちょうどアヤに話したいこともあったし、にべもなく頷いた私は今こうしてヒュウガと共に街を歩いている。
「具合悪くない?」
もう大丈夫だと言っているのに、ヒュウガは未だに体調を気にしているようで、私は苦笑しながら「もう何回目よ」と肘でわき腹を突いてやった。
「歩ける?」
「全然平気よ。多分さっきのは紅茶とお菓子の食べあわせが悪かっただけ。それよりさ、ホテルって近いの?」
帰りを急ぐ人達がたくさんいて、煉瓦の街並みが夕陽に照らされて赤く見えてきている。
何だか幻想的で素直に綺麗だと思った。
マリーカ様のコンパニオンをしている間、ここをたまに散歩するのもいいかもしれない。
「うん♪もう見えてるよ。」
そう言ったヒュウガが目線で示唆した方向を私も目で追った。
しかし目が悪くなったのか、ヒュウガが示した方向には5つ星で有名なホテルしかない。
「…ヒュウガ、道に迷った?」
「え?オレの記憶力だとここがオレ達が泊まってるホテルで道もあってるよ?」
「いや、絶対ヒュウガの記憶力おかしいって!バグってるって!!ここ5つ星ホテルだよ?!?!かなり有名なホテルだよ?!?!お金持ちしか泊まれないんだよ?!?!」
「アヤたんが経費で落ちるからって☆」
あぁ、なるほど。
元々警備は嫌だったと言っていたから半ば上への嫌がらせなのだろう。
軍人さんというのも意外と大変なんだなと思った。
コンパニオンの私も実はそれなりに貰っているけれど、高給取りだとか思っちゃってごめんね。
ホテルのエントランスに足を踏み入れると、ベルボーイやベルガールがそれぞれに頭を下げてくる。
日頃頭を下げることも下げられることも慣れているけれど、あまり来慣れないこういう場所はとても緊張する。
ベルボーイたちからすると、貴族のお邸の方がよっぽど緊張するのだろうけれど。
ヒュウガは平然とエレベーターに乗り込みそれに続いて私も乗り込むと、階数を示すボタンが上から3番目が光っていた。
このエレベータには私達しか乗っていない。
ということはヒュウガが押したのだろう。
「…あの、まさかまさかですけどヒュウガさん。」
「ん?」
エレベーターの扉が閉まり、ゆっくりと上がっていく感覚を重力と内臓のせり上がり感で感じる。
降りる時もすごいんだろううなぁと思うと、頭の中にジェットコースターが思い浮かんだ。
「あのさ、もしかしなくてもスイートとか??」
「そのもしかしなくてもだよ♪一番高いとこはすでに予約されちゃったって手配してくれたハルセが言ってた。」
「十分でしょ?!?!スイートで何が不足なのよ!」
「アヤたん的にはもうちょっと嫌がらせしたかったみたいだよ。」
「私だったらこんな嫌がらせ最高に嫌だわ。」
やること成すこと一見地味に見えるけれどかなり派手だと思う。
エレベーターを降りて一歩踏み出すと床のマットさえもふかふかで、まるで某アニメの猫バスの中を連想させてしまった。
「オレの部屋は1086でカツラギさんが1088、オレたちの間がアヤたんの1087だよ。」
一部屋一部屋指を指しながら教えてくれたヒュウガが1087のアヤの部屋のチャイムを押す。
すると中からカツラギさんが出てきた。
「お待ちしておりました。さぁ、どうぞ。」
どうやらアヤと話していたらしくカツラギさんが中に入るように促してくれる。
「お邪魔します。」
先に入っていったヒュウガの後を追って部屋に入ると、ソファに思い切りふんぞり返っているアヤの姿。
嫌味なくらいに長い足は組まれており、目線だけをこちらに向けられる。
先程マリーカ様のお邸で久しぶりに会った時とは180度違った傲慢不敵な態度に、私はにんまりと口角をあげて勧められてもいない向かいのソファに座った。
「久しぶりね、アヤ。カツラギさんもお久しぶりです。」
「名前さんのお姿を見た時は驚きましたよ。」
純粋に驚いたと告げてくるカツラギさんに笑顔を返すと、簡易キッチンのような場所に入っていった。
コーヒーでも淹れてくれているのだろうか。
あの人はどこに居ても気が利く。
ぜひ一家に一人いて欲しい。
「まさかお前に会うとは思っていなかった。」
足を組みなおして口を開いたアヤにニッコリと微笑みかける。
「あらアヤってば、敬語で話してもいいのよ?」
お邸で私に敬語を使った時はさぞかし屈辱だっただろう。
思い出したのか今も急に眉間に皺を寄せて不機嫌になった。
アヤの背後の壁に背中をつけて腕を組みながら立っているヒュウガは、私達の会話を楽しそうに聞いている。
「貴様に会わせてやったんだ、貴様が私に敬意を払って敬語でしゃべろ。」
「冗談やめてよ。笑えないわ。それよりマリーカ様のパーティーの警備に狩り出されるだなんてお疲れ様。」
「嫌味しか言うつもりがないのなら即刻帰れ。」
「やーねーもう、カルシウム足りてないんじゃない??カリカリしちゃって。アヤが私に話しがあるんじゃないの?」
そのために私はヒュウガとここまで来たのだ。
マリーカ様に嘘までついて。
ヒュウガと一緒だったなんてバレたらマリーカ様は私をクビにするだろうか。
クビまでにはしなくとも、妬まれて恨まれて呪われそうだ。
「あぁ。警備をするにあたって聞いておきたい。」
イヤイヤながらもやることはやる。
そういうアヤが好きだ。
視界に入っているヒュウガにこんなこと言ったら、またあの怖い感じに迫られるのかもしれないので黙っておく。
「恨みや妬みをクジュぺリア・フォン・ルッソ・ステーフロンスト・ルシエフェル家に持っているようなヤツはいるか?」
「よく噛まずに言えるわね。」
何回聞いても長ったらしい名前で嫌になる。
もういっその事魔法の呪文か何かでいいじゃないか。
呆れながらそう言ったところでカツラギさんがコーヒーを持ってきてくれた。
「そうねぇ、恨みや妬みをもたれていない貴族の方が少ないわね。」
「なるほど。」
「だけどクジュぺリア家は秀でて目立ってはいないわ。かなり地位が高いから逆に羨ましがられるでしょうけど。旦那様も奥様も貴族らしく気高く傲慢でもあるし、娘のマリーカ嬢なんて貴族の娘っていう鑑みたいな人よ。」
「そうか。やはり地道に警備するしかないのか。」
狙ってそうな人適当に殺して早々に切り上げるつもりだったな、アヤ。
「頑張って。」
アヤの質問タイムは終わったらしく、会話が一度そこで途切れた。
私は窓から見える景色を眺めて小さく息を吐いてヒュウガの方を向く。
「ねぇヒュウガ。喉が渇いたからホテル一階の自販機でジュース買って来て?」
ヒュウガはキョトンとして、カツラギさんが淹れたばかりのコーヒーを視線で指す。
「炭酸が飲みたいの。お邸じゃ炭酸なんて出ないんだもの。ね?お願い。」
「ん♪」
特に文句を言うわけでもなく、ヒュウガは小さく微笑んで部屋を出て行った。
誰がどう見ても私がヒュウガを追い出したこの状況に、アヤさえも訝しげに顔を上げる。
きっと追い出された本人も気付いていただろう。
後で聞き出されることは間違いないかもしれない。
「ちょっと、聞いて欲しいの。」
私はいつもより真面目に呟きながらも、面倒臭いことになったとばかりにため息を吐いた。
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