05




カツラギさんが淹れてくれたコーヒーを一口嚥下してカップを机の上に置いた。

目の前の2人は私が切り出すのを待っているようで、アヤは座ったまま腰を屈めて膝に肘を付き、手を組んでいる。
カツラギさんはというとアヤの隣に立ったままこちらを見下ろしてきていた。


「あのね、マリーカ嬢がヒュウガに惚れてるのよ。」


私は肘掛に右ひじをついて面倒臭そうに息を吐いた。

なのにだ。
カツラギさんは朗らかな笑みから苦笑へと変わり、アヤは背中をソファにつけて『なんだそんなことか』とばかりに腕を組んだのだ。


「何、その態度。」

「別にそれは私達の問題ではないだろう。お前達の問題だ。押し付けるな。」

「いやいや!もう少し考えなさいよ!」


確かにこの問題は私にとって死活問題そのものだ。

マリーカ様が惚れているヒュウガと私が付き合ってるとバレた暁には絶対妬まれて恨まれて解雇決定だ。

仕事先は引く手数多だからマリーカ嬢のところをクビになったとしても大して被害はでないけど、『主の好きな人をコンパニオンが取った』だなんて噂ながされたら噂好きの社交界では一気に広まりをみせ、仕事だって減るだろう。
それだけは勘弁してほしい。

しかしそれだけに留まらないのが社交界だ。

人から人へ噂が広まる度に尾ひれはひれがつくのが当たり前。
それが暇を持て余している令嬢達だったらこの噂は格好の的。

人の噂も七十五日といえど、七十五日もあったらこの区だけに留まらないはずだ。


想像したら少しだけ身震いした。
路頭に迷うことになったらムカつくからヒュウガに責任取ってもらおう。

なんて一瞬思ったけれど、家庭に収まるような性格をしていない私の事なので、どうにかしてでも働いているんだろうなぁと思った。


「アヤの言うとおり私が一番痛手を負うけれど、ヒュウガもアヤも負うのよ?2人だけじゃなくブラックホークという組織そのものが。最悪の場合は軍全体が。」


例えば、ある学校の生徒一人が煙草や飲酒、万引きなどをしたとしよう。
それが先生にバレて捕まった段階から噂というものは広がるのだ。

いくら先生たちがそのことを隠していたとしても、その捕まった生徒から友人へ、そのまた友人へ……きっとキリがない。

いつしか学校全体に広がり、その学校の生徒達が自分達はしていないからと親に言えば、親は自分の子供がしているわけではないからと友人や知り合いに話してしまう。

そうしたらまた友人へ、知り合いへと噂が流れ、今度はその学校に関係のない人間にまで広まってしまうわけだ。

その学校に関係のない人間は口を揃えて言うことだろう『あの学校は』と。

その頃にはすでに手遅れと言っていいほどの尾ひれはひれがついた噂が流れているはずだ。

たった一人の生徒から『あの学校』という全体にまで事が大きくなるという事実。

それが軍であろうと変わらない。
世の中の仕組みがそうであるのだから、それが学校であろうとも職場であろうとも変わらないのだ。

特に今回は貴族という厄介なものが控えている。
被害は相当大きいことだろう。


アヤもカツラギさんも頭がキレる。
先程の私の言葉一つで全てを悟ったのだろう。
アヤは「どうしたらいい。」と言葉を投げてきた。


「そうね、やっぱりまずは私達が顔見知りじゃないということを続けた方がいいわね。」

「何故面倒なことをしたんだお前は。別に知り合いだったとしてもいいだろうが。付きあっていないと言えば問題などないはずだ。」

「その言葉はマリーカ様の性格を知ってから言って。あの性格を知ったらそんな言葉言えなくなるはずよ。マリーカ様ってば馬鹿のくせに女の勘は阿呆みたいに鋭くって。ついでにいうと異性に興味があるわね。ありすぎるくらい。」

「…結構言いますね、名前さん。」

「本当のことなんですよ。」


にっこりと微笑んでカツラギさんに言うと、苦笑だけが返された。


「ヒュウガには言わないで下さいね。」

「どうしてですか?」

「『オレってばモテモテ☆』とか『嫉妬した?』とか何とか言ってきてマリーカ様より面倒臭そうだからです。」


こちとらあさってのパーティーに向けて忙しいっていうのに、そんなヒュウガに構っている暇なんて全くない。


「ではヒュウガにはどう伝えるつもりだ。」

「知り合いじゃないほうが色々な面から情報を聞き出しやすいでしょ。って言っとく。」


私は残りのコーヒーを飲み干して立ち上がるとアヤに踵を返した。


「上手くやってよね、アヤナミ参謀長官殿♪」


部屋を出る一歩手前の段階で振り返るなりそう言うと、一睨みされたので私はニヤニヤ笑みを残して部屋を出た。


廊下に出ると、壁に持たれて立っているヒュウガがそこに居た。

追い出したことなどわかっているくせに、ご丁寧にも炭酸のジュースが彼の手には握られていることに内心苦笑する。


「オレの部屋来る?」

「陽が暮れちゃうわ。」


そろそろ帰らないと。と続けたかったのに、ヒュウガはその一言だけで置いてけぼりにされた子供のような顔をした。


「明日も会えるでしょう?明後日だって会えるわ。」

「そうしたらまた会えないんだよ?」


むむ、意外と手ごわい。

拗ねてるヒュウガの手に手を握られるとひんやりと冷たくて、ずっとジュースを持っていたんだろうなと思った時には「じゃぁ少しだけね」と微笑んでいた。


隣の部屋の鍵を嬉しそうにカードキーで開けたヒュウガは扉を開くなり私に入るように勧めた。


「ありがと。」


結構レディファーストなのね、と口にしながら部屋に入るとアヤの部屋の間取りとは少し違うだけで窓や簡易キッチンの位置は同じだった。


そのまま一面の窓に近寄って街並みを見下ろす。
先程は座ってだったが、立って見下ろすと少しだけその高さに足がすくんだ。


「結構高いのね。」


飛び降りたら絶対助からないんだろうなぁと物騒なことを考えていると、背後でコトリと音がした。

窓ガラス越しにヒュウガを見るとテーブルの上にジュースを置いた音だったようだ。


「この街はほぼ煉瓦で出来ていて素敵ね。夕陽で赤く染まって赤煉瓦に見えるのも綺麗だわ。」


今はもう夕闇に支配されていっているけれど。


「あだ名たんの方が綺麗だよ。」

「あ、そ。」


この男は何てキザなんだろうか。
馬鹿だろう、馬鹿。
囁かれた私の方が恥ずかしい。

きっとこういうところもマリーカ様の好みなんだろうなと思ったら、ちくりと心臓が痛んだ。


背後から抱きしめられて唇を耳に寄せられる。
不意に来た、と思った。


「さっきアヤたんたちと何話したの?」

「知りたい?」

「うん。」

「知らないフリをしていた理由をしゃべっていたの。」

「あ、それオレも聞こうと思ってた。ねぇなんで?」

「貴族の邸なんてどこに敵がいるかわからないのよ。だから知り合いじゃないほうが色々な面から情報を聞き出しやすいでしょ?」

「なるほどねぇ。そうやってアヤたんたちとオレを騙す作戦立ててたんだ♪」


ヒュウガはおかしそうに笑ってバッサリと私のセリフを斬り捨てた。


「あのねぇ、貴方も大人なら今ので納得したフリくらい続けなさいよ。」


騙しきれるとは思っていない。
けれど騙されたままでいてくれるとは思っている。

そこに何か理由があるのだと彼ならわかってくれるから。


「本当のこと言う気ない?」

「ないわね。それに強ちさっきのが嘘だとは限らないのよ?」

「そうだろうね。でも理由は別にある。違う?」

「そうね。」


私が体に回されているヒュウガの腕に手を添えると、ヒュウガは『ちぇっ』と舌打ちというよりは口で呟いた。

本当に子供のようだ。


「まぁいいや。あだ名たんの嘘、オレが見破ってあげるよ☆」

「まぁ、大した自信ね。」


窓越しにヒュウガにニッコリと微笑むと、ヒュウガも口の端を片方だけ吊り上げて笑った。


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