06




「あ、そういえば。」


未だに窓辺に立っている私を背後から抱きしめているヒュウガが「何?」と首を傾げたのを窓ガラス越しに見る。


「浮気してないでしょうね?」


その窓ガラス越しに目を細めると、ヒュウガは私の首筋にいくつかキスを落としながら「してないよ。」と呟いた。

「ホントに?」

「ホントホント。」


女遊びが激しそうだからあまり期待はしていなかったのだけれど、どうやら本当にしていないようだ。

嘘を見抜くのが得意な私に、これで嘘を貫き通しているのなら逆に拍手を送りたい。
見抜けなかった私も馬鹿だとぜひ賛辞を送る。
嫌味で。


「だからたまってるんだけど♪」

「…あ、そ。」


知ったこちゃないとばかりに横から迫ってくるヒュウガの顔を手で覆う。


「泊まっていったら?」

「んー、悪くない誘いだけどコンパニオンの最中に朝帰りはちょっとね。」

「友人のところに遊びに行くって言ってきたんでしょ?なら話しが弾んでるから明日の朝に帰るって電話したら?」

「それほどまでに泊まっていって欲しいわけね、貴方は。」


確かにヒュウガと会うのは久しぶりだからしてあげたいのも一緒にいてあげたいのも山々だけれど、こちらとしても体裁というものがある。

貴族はとくにそれにうるさい。
面倒臭いことは避けて通りたいのだ。


「しないから。」


ね?いいでしょ?と言ってくるヒュウガに私ははしたなくも「は?!?!」と大口を開けて問い返した。


「え、な、何を?」

「セックス。」


一体目の前の男は誰だろうか。
ヒュウガの皮を被った別人だと言われても今なら納得できそうな気がする。
というかできる。
むしろそうだろう。

ヒュウガが一晩女と、それも恋人である女と一緒にいて何もしないわけがない。
少なくとも私の認識ではそんな硬派な男ではなかったはずだ。


「熱でもある?」

「ないよ。」

「別人とか?」

「何それ?」

「何でもない、こっちの問題。」


一体本当に彼はどうしたのだろうか。

訝しげな顔をしているであろう私の頬にヒュウガがちゅ、と口付けてきた。
体温も香りも声も顔も全部がヒュウガそのものなのに、どこか違和感さえ感じさせる。


もしかして、まだ怒っているのだろうか。

アヤたちに話してヒュウガに話さなかったマリーカ様のことではない。
私がヒュウガの電話に出ないことについてだ。

確かにヒュウガは珍しく怒りを露にして私に詰め寄ってきた。
あの場面で私が「吐きそう」だなんて言わなかったら、きっと別の何かを吐き出されていただろう。
電話に出ない理由とやらを。

彼は意地になっているのだろうか。


「…怒ってるの?」


口から零れた声は何故か微かに震えていた。


「ん?内緒話しのこと?怒ってないよ♪オレはそんな子供じゃなーいの。」


そう言って笑うヒュウガに『違う。電話の件だよ』と本当は言うべきなのだと思う。
だけど私は今ヒュウガが笑っているのならそれでいいのかもしれないと口を噤んだ。

結局「泊まってってよ」「泊まっていって。」「泊まってー」「泊まらないと呪われるよ」というヒュウガの泊まれコールに押されて、私は携帯電話でマリーカ様に今日は友人の家に泊まってくるという旨を伝えたのだった。


「はい、明日の朝食後ぐらいまでには戻ります。それでは失礼いたします。」


意外も意外、マリーカ様はあっさりと許可を出してくれた。
『明後日は忙しいのだから早く帰ってきなさいよね。』といったお言葉付きだったけれど。


「終わった?」

「うん。別に構わないって。」


タイミング良く浴室から出てきたヒュウガはタオルを頭に乗せていた。


「よかったよかった♪」

「駄々を捏ねた甲斐があったわね。」

「うん♪」


…嫌味なんですけど。

というか、ヒュウガの『泊まらないと呪われる』って、誰にだ。
ヒュウガにか?
そんなねちっこい男には思えないんだけれど。
たまに女々しくはあるけれど。


「あだ名たんもシャワー浴びてきたら?ルームサービスでいいならその間に頼んでおくけど。」

「うん。あ、カプレーゼ食べたい。あとは適当に任せるわ。」


後ろ手で右手を振って浴室へと入った。


シャワーを浴びながら、今更ながらに思い出す事が一つ。
最終的にはただの子供のように「泊まって泊まって泊まって泊まって泊まって泊まって」と駄々を捏ねたヒュウガのことだ。
あの時の光景をカメラにぜひ収めたかったと今更ながらに悔やみながら体を擦る。

彼は本当にしないつもりなのだろうか。
お風呂だって「一緒に入ろ☆」とか言われると思っていたのに、何も言われず「入ってくるね♪」だったし、彼の行動や言葉の節々に違和感を感じ、私は未だにそれを拭いきれないでいる。

不安になる。
これで『押してだめなら引いてみろ作戦だったんだ☆』だなんて言われたら、私は間違いなく彼を刺すだろう。

彼のためにも私のためにもそうでないことをただただ願うばかりだ。

鼻で笑った後、きゅ、と蛇口を捻ってお湯を止めるとバスローブを着て髪を乾かし、部屋に戻った。


「あだ名たんナイスタイミング♪ちょうど今ご飯来たよ。」


部屋には私が希望したカプレーゼやパスタなど4種類のお皿がテーブルに乗っていた。


「嫌いなものない?」

「ないわよ。」


椅子に座ってフォークを手に取る。


「おいしそうね。」

「そりゃぁ高級ホテルのルームサービスだからね。」

「アヤも思い切ったことするわよね。」


二人でクスクスと笑いながら食事に手をつけていく。

カプレーゼのトマトもひんやりと冷えている上に、バジルソースの風味も良くて文句無しだ。

一通り一口ずつ全種類食べ、最後にもう一口カプレーゼを食べてフォークを置いた。


「もう食べないの?」

「うん。なんか食欲ないみたい。」


何だか胃も気持ち悪いし、と苦笑すると水を差し出してくれるヒュウガ。
それをありがとうと受け取って飲み干すと幾分かスッキリした。


「大丈夫?」

「大丈夫。ほら、夕方ごろも気持ち悪くなったでしょ?きっとそれが長引いてるだけなのよ。明日には全快してると思うから。」

「辛かったら言ってね。」

「だから大丈夫だって。」


ものすごく心配してくるヒュウガに苦笑して、彼が食べ終わるのを窓から街を見下ろしながら待つ。

先程まで赤かった街並みもすっかり闇に包まれて暗く、所々に転々と電燈があるだけだ。
第1区のような派手さはないけれど、こういう街並みもいいなぁと思う反面、やっぱり少し物騒だなとも思う。
夜に街を歩くのは止めておいたほうがいいほど明かりが少ない。


「ごちそうさまでした。」


丁寧に手を合わせてそう言ったヒュウガを見やると、テーブルの上の料理は綺麗に無くなっていた。


「美味しかったわね。」

「うん♪」


ヒュウガも満足そうに頷いて食器を下げに来てもらうように電話をした。

その間に洗面所で歯を磨いていると、ヒュウガも遅れてやってくるなり歯を磨き始める。
2人並んで歯を磨くだなんて何だこの微妙な図は。


「もうねふの?」

「なんへいっへるはわはんはい。」


ヒュウガの問いに『何て言ってるかわかんない』と返したら、ヒュウガはヘラリと笑って口を濯ぐまで何も言わなかった。

私も次いで口を濯ぎタオルで口元を拭いていると、まだそこにいたらしいヒュウガが「もう寝るの?」と聞いてきた。

きっとさっきの言葉もこれを言っていたのだろう。


「今何時?」

「9時だよ。」

「早いといえば早いけど…寝る?」


読みかけの本も持ってきていないし、テレビを見る気にもなれない。
ここ最近の忙しさで疲れもたまっているし、明日明後日に控えて眠るのもいいかなと思った。


「そうだねぇ、オレも軍からここまで遠出してきてなんか疲れたし♪」

「体力ありそうなのにね。」

「夜は特にね♪」

「自分で言うな自分で。」


わき腹を肘で突いて寝室の扉を開くと、二人で眠るにも十分すぎるほどの大きなベッドがドンと置いてあった。


「うっわ、大きい…」


ベッドに近寄って手でふかふか感を感じてからそのまま潜り込む。


「あ、でもふかふか感はマリーカ様の邸のベッドと全然変わんないかも。」


というかむしろ邸の方がふかふかだ。


「貴族ってすごいねぇ。」


ヒュウガもベッドに潜り込んで、私の肩を引き寄せて右肘を立てるとその手に頭を乗せた。


「あら、ベッドをトランポリンみたいに飛ばなくていいの?」

「あだ名たん、オレを一体いくつだと…」

「冗談よ冗談。」


ぷぷ、と笑ってヒュウガの胸板におでこをくっつける。

私なりの『別にいいよ』という合図だった。
彼もわかっているだろう。
だけどヒュウガは私の頭にキスを落としただけで、胸もお尻も触ってくることはない。

ここまでくるとヒュウガの方が具合が悪いんじゃないかと疑いたくなるが、見上げて顔色を見るも全くいつも通り。


「どったの?」

「んー…何でもない。」

「変なあだ名たん。」


ヒュウガはそういうなり私の瞼や額、頬や鼻の頭、そして最後に唇に啄ばむようなキスを落とした後、ポンポンと布団越しに体を寝かしつけるように叩かれて「おやすみ」と言われた。

先程まで肩肘ついていた右腕も私の頭の下にあり、瞳を閉じているヒュウガも完全に寝る体勢だ。


ものすごくモヤモヤする。
いつもならヒュウガの香りはとても落ち着くのに、何故だか今日は一向に落ち着くことも出来ず、むしろそわそわしてしまってばかりだ。


「おやすみなさい…」


瞳を閉じてそういうと、もう一度「ん、おやすみ」と声が掛かってきて、もやもやとしていたけれど近頃の疲れと寝不足も祟ってかあっさりと眠りに落ちた。

ヒュウガがしばらく眠っている私を見ていることも知らずに…。


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