08




「ねぇヒュウガ、どうかしら?」


明日のパーティーの為に仕立て屋に来てもらったのは1ヶ月前。
すっかりドレスもできあがっていて、もう一度袖を通してみようという話しになったのは10分前。

明日着る予定のハチミツ色のドレスは、ベアトップシャーリングドレスだ。
裾が短いのも可愛いが、今回はロング。
その代わりに肩は出ていて、令嬢らしいように清楚な感じを必死に仕立て屋に出してもらった。

マリーカ様は本来なら丈も短く背中も胸元も開いているものを希望したが、それはあまりにも貴族の令嬢が着るようなデザインではないと、必死に言い聞かせたのだ。

特に今回恋人を見繕うパーティーだ。
たくさんの露出もいいけれど、一ヶ所だけ露出するというものは清楚の中にも色香が出る。
特に男は露出が少ないほうが想像力が豊かになるもの。

たくさん想像させちゃえ!と仕立て屋のデザインに書き加えたのが今仇となっているような気がするが、ドレスの色は少しだけコナツの髪の色を連想させて心が和やかになる。

そういえばコナツもクロユリも残りの全員も明日警護に狩り出されるらしい。
遠征があったらしく遅れての合流だが、また彼らに会えるのは何だか嬉しかった。

到着は当日の朝になるらしいが、それでも心強い人達ばかりで私は安心してコンパニオンの仕事を出来そうだと微笑む。

しかし心の中は大荒れだった。
雨風は吹き荒れ、竜巻さえ起こっているような心情だ。

それもそのはず。
ドレスを着て見せているマリーカ様はヒュウガにべったりべたべた。

しかも『どうかしら?』なんて問いかけている始末。
その上ヒュウガも『似合うよ♪』だなんて言っているから救いようがない。

ヒュウガがマリーカ様の警護になって数時間。
見るに耐えないほどに2人はくっついている。

朝のティータイムも、昼食時も、午後のティータイムも、夕食もそしてそれが終わった今も。

何だかもう明日の恋人さがしパーティーはしなくてもいいんじゃないかと思えるくらいだ。


「髪は後ろで纏め上げたらもっと可愛いんじゃないかな?」


ヒュウガの何気ない一言にマリーカ様があからさまにしょんぼりとした。
確かにあまり言われたくない一言ではあったけれど、80%は演技だと思う。


「ヒュウガさん、このドレスの時にその髪型は今上級貴族の令嬢の中で流行っているの。」


すかさず私がフォローを入れると、「だったらいいんじゃない?」と首を傾げるヒュウガ。

さん付けで呼ぶなんてここでしかないからぜひ堪能してもらいたいところだ。


「いいえ。上のクラスを真似して身に着けた趣味や持ち物、それに習慣でさえも下級貴族らしいと批判や非難されてしまうのです。なので今回マリーカ様は髪に飾りをするだけで下ろしたままなんですよ。」


人間の階級を無意識のうちに考えてしまうという貴族様の中にもルールというものがあるのだ。
それを破ればバッシングされるし、仲間はずれにされてしまったりだってする。
貴族であろうとも一般民であろうともすることは一緒だということだ。

ただ、無駄に矜持が高いのが貴族。
何が正義ではない、何が悪ではない。
何事も階級だけで決まるのだ。


「ふぅん。ごめんね、余計なこと言って。」


ホントにね、と内心で毒づきながら「いいえ」と微笑んでおく。
マリーカ様はヒュウガの手を取って上目遣いという女の必殺技を使ってきた。


「髪下ろしたままでは似合わないかしら?」


『ううん、そんなことないよ。可愛いよ。』という言葉を待っているかのような態度と言葉に吐き気がする。

スープしか飲んでいないというのに、夕食のスープが胃の中でグルグルグルグル。
色んな感情は頭の中で渦を巻いていた。


しかもヒュウガは案の定「そんなことないよ。可愛いよ♪」と言ってのけたのだ。

この場に包丁があったら刺してるかもしれない。


私は阿呆らしくなって、ぐったりと椅子に座った。

吐き気はするし何だか体が重たいしでため息を吐く。
いや、この2人のせいでため息が出ているような気がしてならない。

恐らくこの2人が私の目の前から消えてくれたら、清清しいくらいに体調だって良くなるはずだ。


「名前、具合でも悪いの?」

「いいえ、少し疲れてしまっただけですよ。」


マリーカ様に適当に笑顔を向けて冷めた紅茶を飲み干すと、喉を通る冷たい感じがとても気持ちが良かった。


「疲れているなら休んでもいいわよ?もう後一時間で仕事も終わりじゃない。」

「でも、」

「明日も早いのだから今日はゆっくりしなさいな。」


私を心配してくれている気持ち半分、ヒュウガと2人きりになりたいという気持ち半分といった表情をしている。


私はヒュウガと一瞬だけ目が合ったけれど、『あぁもうどうでもいいや』と半ば投げやりに立ち上がった。


「ではお言葉に甘えさせていただきますね。おやすみなさいませマリーカ様。」

「おやすみ名前。」

「ヒュウガさんも、おやすみなさい。」

「…おやすみ。」


引きつる笑顔を内心でひっぱたいて、必死に笑顔を作って部屋を出た。

とりあえずベッドが恋しい。
お風呂に急いで入ってベッドにダイブしたい。

寝る前にもう一度吐き気止めと頭痛の薬を飲んで寝ようと自室の扉を開けた。

雪崩れ込むように浴室に入り、いつもならちゃんと篭に入れる服も脱ぎ散らかして熱めのシャワーを浴びる。

頭も体も熱くて、ため息さえも熱くなった。
なのにどこか寒くて温かいベッドに潜りたいという欲求が更に高まる。

湯船に浸かるのは好きだったけれど、このままでは溺れそうだと適当なところで切り上げて寝間着に着替えて部屋に戻ると、そこには待ってましたとばかりにヒュウガがソファの上に座っていた。


「大丈夫?」


ヒュウガは立ち上がって私の元まで歩いてくる。
その顔はマリーカ様とは違って本当に心配しているようだ。


「えぇ。それより勝手に入ってこないでよ。バレでもしたら、」

「あだ名たんが心配だったから。大丈夫、誰にも見られてないよ。」


ヒュウガの柔らかい笑みが向けられたのに、私は眉間に皺を寄せて俯いた。


「マリーカ様は?側にいなくていいの?」

「オレも仕事終わり。夜勤の人間と交代なんだ。」

「あ、そ。」

「顔色悪いね。」


そういって頬へと手を伸ばしてくるヒュウガの手をパシッと払って顔を上げた。

したくてしたわけではない。
条件反射だった。

ヒュウガは少しだけ驚いたようなキョトンとしたような何ともいえない顔をして、私は自分のしたことにハッとしたけれど、不思議と謝る気は全く起きなかった。

それよりも怒りもしない、何も言わないヒュウガに更に怒りにも似た何かが募っていくのだ。

ここには理性的な自分なんていなかった。
頭の中には振り乱す私ばかり。


「私の所に来る暇があるならマリー様の所にでもいってあげたら?」


私が呼ぶことのない愛称で嫌味たっぷりで返したのに、ヒュウガは懲りずに手を伸ばしてくる。

それを一歩下がって拒否すると、さすがのヒュウガも諦めたように小さくため息を吐いて伸ばしかけていた手を下ろした。


「何怒ってるの?」

「怒ってないわ。」

「嘘。」

「嘘じゃない。」


ヒュウガはキッパリと言い切った後に、小さく「悲しんでるようにも見えるけどね。」と続けた。


私はその言葉に激昂した。
頭の中がグラリと揺れて目の前が真っ赤になった感覚。

怒っているようにも見えて、悲しんでいるようにも見えて、それではまるで私が嫉妬しているといわれているようでならなかった。

確かにそこには仲良くしているヒュウガとマリーカ様を寂しく思い悲しく思っている自分がいた。

自分で理解しても、第三者に言われても、ただ、ヒュウガにだけは言われたくなかった。
高い自分の矜持が粉々に砕かれた感覚に頭に血が上ったのだ。


私は大股で歩き扉のドアノブを握ると、勢いよく扉を開けた。


「出てって。」

「あだ名たん、嫌なことは嫌って言ってくれないとオレも全部が全部悟ってあげられないよ。もう少し話そう?」

「今、貴方と一緒にいるのが嫌。出てって。」


もう話すことはないとばかりに口を引き結ぶが、ヒュウガは一向に動く気配を見せない。

しばらく無言の抵抗がお互いに続いていたが、たまたま部屋の前を通りかかったメイドが「どうかなさいましたか?」と声をかけてきたのをきっかけに、その冷戦に終止符が打たれた。

私に吐き気止めの薬を持ってきてくれたメイドで、私はその場しのぎでニッコリと微笑んでみせる。


「この軍人さんがエントランスへの道を忘れてしまったようなの。案内してさしあげてくれる?」


ヒュウガが何かを言いたげに口を一瞬だけ開いたけれど、私達の仲を知られるわけにはいかないことを思い出したのか、言葉はため息へと変わったようだった。


「かしこまりました。差し出がましいのですが、名前様。体調の方は大丈夫ですか?吐き気の方は…」


このメイドも純粋に心配してくれているようで、私は小さく微笑みを返す。


「今は大丈夫みたい。さっきは薬をありがとう。」

「いえ。またいつでもお呼び付けください。」

「そうするわ。ありがとう。」

「いいえ。名前様は連日明日のパーティーでお忙しくあられましたので、元よりメイド達の間で心配していたんです。」

「そう、心配かけてごめんなさいね。」


私が苦笑してそういうとメイドは首を横に振って「それではご案内させていだきます」と、視線だけで渋るヒュウガを連れてエントランスの方へ向かった。


パタンと静かに扉を閉じてベッドにダイブする。

頭が痛い。
心が痛い。

きっとヒュウガのことも傷つけてしまっただろう。


疲れているのだろうか、いつもの私だったら嫌味は言えどこんなにも感情的になることはない。

もぞりと布団に潜り込んで小さく縮こまる。
せっかくシャワーで温まった体も今ではすっかり冷え切ってしまっていた。


ヒュウガのことは好きなのに辛い。

絶対私の方がヒュウガのこと好きなんだ。
ムカつく。
ムカつく。


何がマリー様よ。
嫉妬なんてしたくてしてるわけじゃない。

割り切っている関係の時には嫉妬なんて人にしたことなかった。

何でこんなにも上手くいかないのだろうか。
人には散々どうしたらいいとかこうしたらいいとか恋のアドバイスをしているくせに、頭でこうしたらいいとわかっているのに体が全く動いてくれない。

素直に人の意見を聞き、それを恥ずかしいけれど実行に移せる令嬢がある意味羨ましいとさえ思う。

決してマリーカ様のようになりたいわけではない。
マリーカ様はマリーカ様で私は私なのだから。


毛布を頭まで被って唇を噛みしめていると、部屋がノックされた。

またヒュウガが性懲りもなくやってきたのだろうかと思って寝たフリをしようと試みていると、「名前様、まだ起きていらっしゃいますか?」と先程のメイドの声が扉越しにしたので、私は飛び起きて「えぇ、起きているわ」と急いで声をかけた。

メイドは「失礼します。」と部屋に入ってくるなり、机の上に薬と水を置いた。
私は頼んだ覚えの無いそれに小首を傾げる。


「先程の軍人の方に申し付けられました。名前様に熱があるようですからお薬を、と。」


ヒュウガだ。

私はまだ薬を飲んでもいないのに渋い顔をして机に乗せられた薬を眺め見た。


「彼は何か言っていた?」

「いえ、他には特に…。でも『吐き気止めはいつ持っていったのか』や『いつから具合が悪いのか』など聞かれましたが。」


メイドは「しゃべってはいけませんでしたでしょうか?」と心配げに聞いてきた。
つまりは全て答えたということか。


「いいえ、大丈夫よ。ありがとう、いただくわね。」

「いいえ。失礼いたしました。」


メイドが頭を下げて部屋を出て行った後、しばらく薬を眺め見て立ち上がった私はそれを手にした。

熱があるだなんて自分でも気付かなかった。
吐き気や寒気は発熱が理由だったのか、と今更ながらに納得してしまってそれと同時に少しだけ悔しくなった。

言わなくても悟ってくれるヒュウガ。
今回の風邪だって本人さえ気付いていなかったのに、後から来たヒュウガが我先に気付いた。

でも、彼にも私の思考や行動の理由がわからない時があって。
私にもヒュウガの思考や行動の理由がわからない時があって。

感情的になってしまったのは熱のせいもあるのだろう。

今更ながらにヒュウガの手を払ったことや冷たくあしらったことに後悔し始めた。
でもそれはヒュウガが嫉妬させるようなことばかりするからで、とも思うし、私が大切なことを言葉にしないからとも思う。


手にしていた薬を水で流し込んで「苦い…」と呟くと、頬に熱いくらいの何かが流れた。


- 8 -

back next
index
ALICE+