02
研究室に向かう通路でシキの後姿を見つけた。
未だ震える足で必死に歩き、「シキ」と声をかけると自分で思っていたよりも小さくて震えていた。
でもシキはそんな小さな声に気付いてくれたのか、振り返るなり目を大きく見開いた。
「ど、どうしたんですか…」
駆け寄ってくるシキがハンカチを差し出してくれた。
どうやら私は無意識のうちに泣いていたらしい。
それをありがたく受け取って目尻に当てる。
「今までどこに…皆心配してて、」
「私、シーマに連れられて監禁されてて…そこでアリスを作らされそうに…」
アリス、と言葉を出すと、シキが体を強張らせたのがわかった。
彼女に取って、アリスは彼女を恐怖に縛るものでしかないのだろう。
「シキ…私、…」
「一先ず…ブラックホークに行きましょう。」
背中を擦られながらブラックホークの執務室に向かう。
あぁ、確か今回のアリスの事件に関してはブラックホークが担っているのだったと思い出したのは執務室に入ってからだった。
それまでは仮死状態になる薬のせいで少し頭の中がボヤけていたから。
ソファに座ると何だか少しホッとしてしまって、私は肩を撫で下ろした。
そして気付く。
ブラックホークの面々に。
…シキ、貴女こんなすごい人達に囲まれて普通にしてるなんてすごいわね。
しみじみ思っていると、奥の参謀長官室からアヤナミ参謀が出てきた。
う゛、相変わらず美形。
「も、もう美形はいやー!!!」
ソファに座ったアヤナミ参謀に近寄らないでとばかりに首を振りながら泣き叫ぶ。
「あ、あの名前さん。こちら参謀長官で、」
「美形だからって何でも許されると思わないで。」
もうダメだ。
美形なんて嫌いだ。
大嫌いだ。
次に好きになる人は絶対に美形じゃない人にしよう、うん。
もういっそのこと美形恐怖症にでもなってくれないかな、私。
でないと私の美形アンテナがさっきからビンビンと働いているままだ。
かっこいいけど…怖い!
すっごく睨まれてる!
進まない会話に痺れを切らしたのか、シキが話をするように進めたが一向に涙が止まってくれない。
すると、大佐が紅茶を淹れてきてくれた。
優しい香りが鼻を擽って、気持ち的にスッと落ち着いていく。
紅茶を一口飲んで嚥下した頃には涙も収まっていた。
「取り乱した、ごめん。」
そう呟いてから次々と今までのことを話していく。
バーでシーマという男に会った事。
親しくなって2人で飲むようになって、かと思ったら人気のない場所へ連れて行かれて『アリスを作れ』と2日程監禁されて強いられたこと。
シキは大層驚いていた。
「私には『シーマ』と名乗ったけれど、多分これ偽名だわ。連れて行かれた研究所で『マーカス』と呼ばれていたもの。」
大の男に『マーカスさん』と呼ばれた彼は、躊躇いなく振り向いていた。
きっと間違いはないだろう。
「その男の背格好は?」
「顔はイケメン。無駄に。かなり無駄に。背は…アヤナミ参謀よりちょっと低いくらい。髪は薄い茶髪だった。これがまたサラサラで。物腰柔らかい雰囲気と口調で、」
「ま、待ってください…」
シキの声が私の言葉を遮った。
何だか先程より顔が青ざめているような気もする。
それにしても私に偽名を使ったということは、最初から私にアリスを作らせるのが目的だったということになる。
そういう考えに至ると、何だか今度は沸々と怒りが湧いてきた。
優しい言葉をかけられてコロッと騙された私も私だが、傷心中の女にチャンスとばかりに話しかけたシーマもシーマだ。
あ、本名マーカスだっけ。
「恐らく彼の名はジュード=マーカス。エレーナや私と最も繋がりのある人物でした。」
私が一人で悶々している間に話しが進んでいたようで、シキが知っている人物と結びついたようだった。
ジュード=マーカス…。
そうね、シーマって名前よりあの人にしっくりくるかもしれない。
目を閉じれば今も優しい笑みのあの人が浮かんでくる。
優しい人だったのに、ベールを剥がせば殺人犯だったなんて…。
ショックすぎて絶句する。
だけどできれば一発くらい殴らせてくれないかしら。
乙女心を踏みにじられた分の拳はぜひとも受けてもらわなければ。
「じゃぁ名前さん、そろそそ研究室に戻りましょうか。」
「そうね。」
話しが一段落して執務室を出ると、シキが真面目な顔をして私を見ていた。
「名前さん、」
「なぁに??」
通路のど真ん中だけど、人通りはほとんどない。
私は隅に除ける事もせずにシキを見つめ返した。
「私の研究に、手を貸してください。」
ドクン、と心臓が高鳴った。
私にシキの『真似』をしろと言ったシーマの声が頭に響いて耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
「私が?」
「はい。名前さんの実力があればもっと効果のある解毒剤が作れると思うんです。お願いします。」
そういって頭を下げるシキを見下ろす。
私を頼ってくれていることは素直に嬉しい。
そうだ、今日だけじゃない、いつだってこの子は私を頼ってくれていたじゃないか。
自分の知らないことはよく私に聞きに来ていたし、アドバイスだってした。
それをこの子はいつも真面目に聞いて、そしていつも実行してみせた。
この子に罪はない。
私が怒りをぶつける相手はこの子ではない。
この子は作りたくもないアリスを作らされて、それで大切な人を守りたいがために解毒薬であるホワイトラビットを作っただけだ。
私をこんなにも嫉妬に駆らせているのは誰だ。
シーマ??
違う。
私の未熟さだ。
「…そうね。私達にできることを今は精一杯頑張りましょ。」
私は小さく微笑んだ。
私にできる事があるのならそれを精一杯成そう。
そうしたらいつだって誇れる自分になれたじゃないか。
未熟なところなんて誰にでもある。
ただそれを埋めようと必死になるから人間は成長できるのだ。
シキと作り始めた新たな解毒剤。
それはアリスを吸った後でも効くという薬だった。
簡単なものじゃなかった。
でも楽しかった。
シキの新しい発想とか、私の技術に驚いてくれるところとか、お互いに発見はたくさんあったし、自分がAチームのリーダーをし始めてから誰かに学ぶということがなくなっていたのもあってかシキとの研究はとても新鮮だった。
「シキ、少し睡眠取ってきな。」
「でも…」
眠たそうにしているシキに声をかけるが、シキは渋る。
研究を始めてまだ初日の夜中だが、ジュードという男のことやアリスのことといい、精神的に疲れているようだ。
「まだ始めたばかりなのに寝込まれても困るの。体力を温存できるところでちゃんと温存して、使うところでは死ぬ気で使って。ね?」
「……わかりました。じゃぁ1時間ほど仮眠を…」
「5時間は寝てきなさい。」
「そんなに?!?!」
「文句でも?」
「ぅ……ないです。」
「いい子ねーシキは。ご飯も食べて来なさいよ。」
よしよしとシキの頭を撫でてから研究室から追い出した。
睡眠は大切だ。
でなければ頭は働かないし冷静な対応だってできない。
適切な指示を部下に出すのだって私達の役目だ。
「皆も休める内に休んでちょうだいね。」
「「「はい。」」」
さて、私はもう一頑張りするとしますか。
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