06




無駄にだだっ広い部屋の中心で輪になっている机。
それからふかふかの椅子。

ここが今日の会議が行われる部屋だ。

私はあまり会議などには参加しない。
だが、研究室を取りまとめる研究長と共に、Aチームのリーダーとして必ず出席しなければならない会議も存在する。
それがたまたまこのクソ忙しい時だったというわけだが。

忙しくない時に会議って『別に出席しなくてもいい』って言うくせに、忙しい時には『全員出席するように』だなんて間が悪すぎる。

早く戻って新薬の開発をしたいのに、と気持ちが急くばかりで会議は一向に進まない。
今回のアリスの件はそれほどまでに人に動揺を与えていた。

アヤナミ参謀は私なんかより遥か上座に座っていて、とても遠い。
……のに視線を感じるというのはどういうことだ。

チラ、チラ、と視線が合っては逸らし、合っては逸らし。
妙に気恥ずかしい。
そんな微妙な気持ちと急く気持ちが相まって、ボールペンをクルクルくるくる回していたら、隣に座っていた研究長に肘で突かれて注意された。

研究長はアヤナミ参謀より年齢が少し上の男性だ。
顔は…うん、私の美形アンテナが動かない程度の…って言ったらとても失礼だが、研究の腕と知識だけは確かな私の尊敬の人だ。
元々は別の研究所にいた私だが、軍にこの人がいると聞いて、追ってくるぐらい憧れている。
研究者達の間では有名な人。
性格は真面目だが、冗談だって言うし、私の悪ふざけにも乗ってくれるという一面も兼ね備えているからか、ずっと一緒にいても気にしない。

今は私もこの人の知識や技術を全て教え込まれているため、現場から遠ざかっている研究長より、現場の最高責任者である私の方が技術は上だと自他共に自負しているが、それでも憧れの人に変わりはない。


「ところで、アリスの解毒剤を新たに作っているという報告を受けてから一週間が過ぎたが、どうなんだ?」


上層部の男が急に私に話を振ってきた。
出来ればこのまま大人しく終わりたかったけれどそうもいかないらしい。

アリスを使った事件が起きた以上、一日も早く解毒剤を作れとうるさい。
これでも必死に徹夜したりして作っているというのに。
お前らも3日くらい徹夜してみろってんだ。


「そうですね…今のところはまだ何とも言えません。」

「それは失敗続きということかな?」


人の痛いところを突くのが上手いことで。
老人共の楽しみは若者いびりですか??


「いいえ、成功への道を途中挫けながら歩いているだけです。」

「屁理屈を。確かお前は初めてアリスが使われた時にも結局アリスの成分すら割り出せなかったな?Aチームを率いているお前が出来ないということは、あのシキとかいう者をAチームのリーダーの座に座らせてみるのも良いと思うのだが。」

「お忘れのようですのでお教えしてさしあげますが、Aチームは解毒剤を作る事に長けているメンバーを集めているチームです。毒を作ることに関してはCチームがどのチームより長けております、シキをCチームのリーダーの座につけたのはそれがあったから。そうではありませんでしたか?」

「地位を下げられるのは嫌か。」

「あぁ、一つ言い忘れておりました。毒を作り出す事に私はあまり長けてはおりませんが、人一人殺せるくらいの毒を作るのは造作もないことです。」


例えば、口うるさい貴方とか、ね。


にこりと黒い微笑みを浮かべれば、空気が一瞬冷たくなった。
その空気を切り裂くように、反論しようと口を開いた老人よりもアヤナミ参謀の方が先に口を開く。


「これ以上新薬が出来ていないのにも関わらず論議していても始まらないでしょう。」

「……あぁ、そうだな…」


ご尤もな参謀の発言に頷く面々。
それをきっかけに無駄な会議が終わった。

会議室を出て扉の影で立ち止まり、ため息を吐く。


「研究長…疲れました。」

「お疲れ様。少し言いすぎだね。」

「…わかってます、すみません。」


特に咎めるという声色でもないけれど、苦笑されてしまった。


「しかし研究長の私が何か言って助けてあげるべきだったのだろうけれど、会話にすら入れなくて私のほうこそすまなかった。」

「いえ。新薬の研究をしたいと無理にお願いしたのは私の方ですし。」


研究しないといけないことは山済みだった。
だけどそれでもアリスの解毒剤の新薬を作りたくて、私は頭を下げて研究長にお願いしたのだ。

それに何の文句も言わずに頷いてくれた研究長が今でも神々しく見える。


「頑張っているようだね。」

「シキも、チームの皆もです。」

「あぁ、知っているよ。私はまた出かけてくるから研究所はよろしく頼むね。」

「今からですか??もう夜ですよ?」

「平気だよ。君は少し疲れているだろう?早く帰りなさい。」


研究長は世界のあちこちで講義をしたりしているから研究室にくることはほとんどない。
また私が皆を纏めなくては。


「…はい。」


物腰柔らかい言い方だが、研究長には逆らえない。
渋々頷いて自室へと歩き始める。


あぁ、そういえばアヤナミ参謀はどうしたんだろうか。
まだ帰ってくるということはないだろうけれど、…うん、ないことを祈ろう。

こういう会議で嫌味を言われた後には決まって…、


「あぁあぁぁぁぁクソムカつくあのハゲ!!!」


自室で叫びたくなるのだ。

実際、帰ってきて早々叫んでしまった。
ビール片手に叫べば、勢い余ってベコッと缶がつぶれてしまい、慌てて凹みを直す。


「あークソ、ホンットムカつく。マジあのクソハゲ、バーコードの上、波平ヘアーの分際でなーにが『それは失敗続きということかな?』だよっ!じゃぁお前が研究してみろってーの!!」


ハァハァハァ、と息を荒くし、残り半分のビールを飲み干した。


「もう一本!」


冷蔵庫の扉を開けてもう一本取り出そうとすると、急に背後からその手を掴まれて動きを止められた。


「そういう酒の飲み方はあまり感心しないな。」

「…いつの間に…」


気配消して帰ってこないでください、とジト目で睨み、私の腕を掴んでいるアヤナミ参謀の手を離してもう一本取り出し、勢いよくプルタブを開けて喉に流し込んでいく。


「いつからいたんですか。」

「『あークソ。』と叫んでいた辺りからだ。荒れてるな。」

「そりゃぁ荒れますよ。あんな口だけの人間に言われるのが一番腹が立つ。」

「落ち着け。」

「落ち着いてますよ。これでもね。でもまぁ、さっきは助かりました。あの時アヤナミ参謀がお開きにしてくれなかったら私ホントにAチームから外されてたかもしれないですし??」


ビールを全て飲み干してカコン、とテーブルの上に置いてソファに座った。
しまった、もう一本持ってくるべきだったか。と思い至るがもう動くのが面倒臭い。


「もしかしたら明日からはAチームのリーダーはシキだったりーなんて。」

「悪酔いでもしたか?」


私の隣に座って足を組むアヤナミ参謀の無駄に長い足を眺める。


「してない。」

「あまりやけっぱちになるな。足元を掬われるぞ。」

「…わかってますよ。」


ポツリと呟いてもう一本ビールを飲もうと立ち上がったが、アヤナミ参謀に急に腕を引かれて体制を崩した私はそのまま彼の腕の中に収まった。


「文句や弱音なら私が聞いてやる。」

「別に、そんなのないですよー。」


アヤナミ参謀は「嘘つけ」と私の片頬を引っ張った。


「文句や弱音を吐かない人間がいるものか。」


パッと離された頬を撫でながら俯く。

確かにそうかもしれない。
もし仮にも弱音を吐かない人間がいたのだとしたら、それはとても世界が窮屈なのかもしれない。

自分の中で不満や愚痴を消化しきれたらいいのだろう、でも私はそんなことできやしない。


「……いーんですか?とりあえず一晩掛かるくらいの愚痴は持ち合わせてるかもですよ。」

「それは勘弁してくれ。」


想像してしまったのか、アヤナミ参謀は少しうんざりした顔で呟いたが、それでも私の話を聞いてくれるのか肩を抱き寄せられた。

小さく笑ってため息を吐く。
それから瞳をそっと閉じると頬や肩を抱かれているところからじんわりと温かさを鮮明に感じた。


「少しだけ…ううん、すごく、あの子の…シキの持つ才能を羨ましいと思うんです。同じ研究者として嫉妬を全くしない人は正直いないと思うけれど。それでも、人に嫉妬している自分は好きじゃないんです。自分が…とても醜く思えて仕方がない。」


ドロドロとした黒い何かが私を覆っているような気分だ。
醜くて仕方がないのに切望してしまうその才能。
私が持ちたくても持つ事ができなかったもの。

手に入らないと思うものほど輝いて見えるのはどうしてだろうか。


「私には、お前が彼女を羨ましいと思う気持ちがわからぬな。」

「…でしょうね。」


貴方だって才能を持ち合わせている中の一人なのだから。


「勘違いしないように言っておくがな。彼女には彼女の良さが、名前には名前の良さがあると私は思っている。例えば彼女が珍しい星ならば、名前は光輝く一番星だな。」


頭に触れるアヤナミ参謀の唇。

それから額へと降りてきて、目尻にキスをされてから気付いた。
私が泣いているという事に。


「名前には一番星のように人を惹きつける力がある。Aチームのリーダーには研究の能力も必要だが、そういう人を惹きつけるカリスマ性も必要とされる。いくら才能があっても人望や信頼は金では買えないものだ。それは才能にも劣らない尊い至宝ではないのか?それが名前の魅力の一つだと私は思って、」


話の途中だったけれど、私はグイッと涙を拭ってアヤナミ参謀の唇に私の唇をくっつけた。


この人にそう言って貰えたことが嬉しくて、そしてそう思って貰えていたということが誇らしくて。
彼といると自分が大好きになる。
自分が誇らしくなる。

自分の気持ちを抑える術をこの瞬間は忘れているかのように胸がドキドキとして、不思議とカーテンの隙間から覗く星空が輝いて見えた。


一瞬だけ驚いていた彼も、すぐに自分のペースに巻き込もうと私の腰に腕を回して舌を差し入れてきた。


「いつもより熱いな。」


口内を十二分に堪能されてやっと解放されたと思ったらその一言を耳元で囁かれた。
私は荒い息を必死に整えながらグッタリと彼の腕に身を任せる。


「好きだ、名前。」


仮の恋人だというのにどうしてこうも私は彼を信頼しているのだろうか。
キスもして、愛も囁かれて、本物の恋人同士と何が違うのか。

違うのは私の気持ちだけ。
そうか、私の気持ちだけが違うんだった。

…そう、違うんだった。


「ふ、ふふっ」


小さく笑みが漏れると彼は訝しげに眉を顰めた。
好きだと言った後に笑われたから馬鹿にされたと思ったのかもしれない。

でも私は微笑みを絶やさずにアヤナミ参謀の首に両腕を回して抱きしめた。


「慰めてくれてありがとうございます、アヤナミさん。」


アヤナミ参謀と呼ぶにはもう私達の距離は近すぎている。

だって私の中の気持ちはすでに過去形なのだから。


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