08




目覚ましの5分前に目が覚めた。

カーテンの隙間からは赤い日差し。
陽もあと少しで暮れそうな夕方だった。

うるさくなる前にヘッドボードへ手を伸ばして目覚ましを止めておく。

もぞり、と寝返りを打ってからゆっくりと体を起こした。


「…ぁ……」


素肌が空気に晒され、眠る前の情事を思い出した。
抱いた本人はベッドどころかこの部屋にすらいない。

出かけたのかリビングにいるのかはわからないけれど、とりあえず服を着てリビングに繋がる扉を開けた。


「…おはよ、ございます。」

「あぁ。大丈夫か?」


何がだ。
何が大丈夫と聞きたいのか。

仕事に間には合うのか?大丈夫か??なのか、
体は大丈夫か??なのか、分かりかねるところだ。


「まぁ、はい。」

どちらにしろ大丈夫なわけで、適当に返事をしておいた。


「そうか、ならいい。」


ソファに腰掛けて読書をしているアヤナミさんの後ろを通ってシャワーを浴びにいく。
先程着たばかりの服を脱ぐのは億劫で仕方がなかったけれど、気だるくはない。

むしろスッキリとしていて冴えているくらいだ。

私よりいくつか年下のシキが入ってきたことにより年寄りになった気分だったが、まだ私も若いということか、と自嘲気味に笑った。


熱めのシャワーを浴びて洗い終わった後、浴槽に溜めておいたお湯の中に口元まで浸かった。


ブクブクブクブク、と口から空気を吐き出して子どもみたいなことをしてみる。

正直に言うと、気恥ずかしかったのだ。
平気な顔で挨拶して、『まぁ、はい。』なんて返事もしたけど、気恥ずかしくてたまらない。
なんだこの甘酸っぱい気持ちは!

しかも、さっきの『大丈夫か』は絶対『体は大丈夫か??』の方だ。
絶対そうだ!
そんな気遣いされたの初めてだ!

うぁ〜〜〜っと悶えながら、ブクブクと空気を吐き出すのを一層強める。
そうすると肺の中の空気がなくなってきて、ゲホゲホと咳き込んだ。

なにやってんだ、私。


と冷静になってから上がる。
洗面所の鏡の前に立ってバスタオルで体や頭を拭きながら、胸元に散らばっている所有印を見つめる。
香水の件といい、このたくさんの所有印といい、意外と独占欲がお強いらしい。


「う〜ん…」


浮気はしない主義だし、する気も起きないけど、勘違いされないようにしなければ。
男と2人で飲みに行ったりとかした暁には世界が滅ぶかもしれない、と大げさに思って笑ったあと、冗談にもならないな、とやっぱり冷静になった。

まぁ、それほど愛されているということで。

あんまり独占欲強すぎると愛想尽かしちゃうぞ☆とか思うけれど、今まで恋人にこんな独占されることなんてなかったから、新鮮というか、ちょっと嬉しいというか…って、何思ってんだ自分。馬鹿。


新しい服に着替えて髪の毛を乾かし、脱衣所を出ると先程と変わらない位置でまだ読書中のアヤナミさん。

私はそーっと後ろから近寄ってソファ越しに彼の首に抱きついてみた。


「びっくりしました?」

「気付いていたが?」

「ですよねー。」


参謀長官様が私なんかの気配に気付かないはずがない。
さすがだと思いながらも少しだけ悔しかった。

だからちゅ、と彼の首筋に口づけて赤い痕を一つ残してみる。

軍服の襟でどうにか隠れる位置だ。


「誘ってるのか?」


頭を撫でる様にしてから髪を一房取られ、そこにキスをされる。
シャンプーの香りとアヤナミさんの香りがした。


「まさか。もうお仕事行かないとですから。」

「それは残念だな。」


パタンと本が閉じられたと思ったら、後頭部を掴まれて唇を奪われた。

最初から舌が入ってきて、口内を荒らされる。
2人の間にあるソファがこれほどまでに邪魔だと思うとは。

たっぷりと堪能されて唇を離すと、彼は名残惜しそうに頬や目尻にキスを落とした。


「そろそろ行きます。」

「あぁ、行ってこい。」


いってきます、と私も彼の頬にキスを落としてから部屋を出た。


「……。」


甘い。
何だこの甘さは。

仮で付き合っている時より何倍も甘くないですか?!?!
むしろあの人誰って感じだ!!
アヤナミ参謀長官の影はどこへやら。

私の前で愛を囁くのはまるで別人かのようにその手つきは優しい。


「ぅぁ〜〜〜」


今から仕事なのだからこの甘ったるい気持ちを切り替えようと、頭をぐしゃぐしゃと掻き回してから研究室へと向かう。

その途中でスーツを着た見慣れない男に声をかけれた。


「名前様。」

「…はぁ。」


私は知らないけれど彼は私の事を知っているようだ。
まぁ、研究Aチームのリーダーである私の顔を知っている人は多いから一方的に知られていても何の疑問も持たない。


「シキ、という女性にこちらをお渡し願いたい。」


そういって差し出されたのは一通の手紙。
差出人も宛名も書いてはいない真っ白な封筒。


「あの、シキ呼んできましょうか?」

「いえ、急ぎですから。お願いできますか?」

「…はい、いいですけど。」


特に断る理由もないので受け取ると、男は一礼するなり踵を返していってしまった。


どこかの研究室の人だろうか。
軍人にしてはスーツを着ていて浮いていた。
となると外部の人間ということになる。
通行証くらい見せてもらえばよかった、と思いながら、私は預けられた手紙を眺め、どこか感じる奇妙さに目を瞑って研究室の扉を開けた。


「おはようございます。」

「おはよシキ。どう?」

「ちょうど今できあがりました。」


嬉しそうに笑うシキの頭をグリグリと回すように撫でると、他の研究者も手を取り合って歓声を上げた。


やっと出来上がったのだ。
アリスの特効薬である『クイーン』が。

クイーンはアリス発症後でも効く優れた薬だ。


「あ、そうそう。さっきね、知らない男からシキに手紙を渡すように言われたの。」


ポケットから手紙を取り出してシキに渡す。


「男??」

「軍服着てなかったから来客だと思うんだけど、どうだろ。名乗らなかったし。とりあえず渡してくれって。もしかしたらどこかの研究所からのヘッドハンティングだったりして。よくあるのよ。」


事実、私だってうんざりするくらいあってる。
シキだって実力があるのだからそりゃぁ欲しい人はたくさんいるだろう。

シキはあまり興味なさげな表情を見せながらもそれを開いていた。


「リーダー、研究長に報告をされなくてよろしいんですか?」

「研究長はまた出かけていったから帰ってきたらするよ。」

「あぁ…また、ですか。」

「そ、また。」


研究者の皆も苦笑いだ。
今度帰ってくるのはいつだろうか。
また2週間後の会議なのだろうか…。

研究長、このままでは存在感薄くなっていくばかりですよ…と心の中で思っていると、手紙を読んでいたシキが険しい形相で『名前さん、これ、いくつか貰っていきますね。』と出来たばかりのクイーンをいくつかポケットに入れた。


「え?ちょっと、シキ??」


次いで、側にあった改良したホワイトラビットを一滴コーヒーに入れて飲み干したシキが研究室を出ようとしていたので必死に引き止める。


「ちょっと、どこに行くの??」

「私、行かないと。」

「だからどこに?!?!」

「ごめんなさい、言えません。」


まるで追い詰められているようなシキの表情。
私が来た時まではいつも通りだったから…もしかして…

私は先程渡したばかりの手紙を手に取った。

その間にシキは私の手をすり抜けて研究室を走り出ていく。


「ちょ、シキ待ちなさ、ッ〜〜〜っっっ。」


シキを追いかけようとしたが、机の角に足の小指をぶつけて声にならない声があがり、その場に蹲る。

周りの研究者が無事かと寄って来る中、私はその蹲った状態で手に持っていた手紙を読んだ。


その手紙には『私と一番よく会っていた場所で待っているわね。』という一言しか書いていなかったが、文末にエレーナという差出人の名前が書いてあることに驚愕した。

エレーナとは確かシキを監禁してアリスを作らせ、そしてそのアリスでテロを起こした人物の名前ではなかったか。
あの時期は散々新聞にこの名前が載っていた覚えがある。

そしてここからはトップシークレットでは知らされていない人の方が多いが、私の記憶が正しければそのエレーナはシキに殺されていたはずだ…。


「私ブラックホークの執務室に行ってくるわ。皆は交代で休憩を取りつつ、クイーンをもう少し多く作っていて!」


わかりました、と頷く研究者達の脇をすり抜けて、私はクイーンをシキのようにポケットに突っ込むと彼の執務室へ急いだ。


しかし、

「邪魔はさせません。」


執務室へ向かっている途中、ふと男の声が聞こえたと思った次の瞬間、私は後頭部に衝撃を感じてその場で気を失った。


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