09




「…っ、ん…」


後頭部に鈍い痛みを感じて目が覚めた。
どうやら寝返りを打った拍子に後頭部が床についたらしい。


「ん、ん…」


ここは…と呟こうとして呟く事ができなかった。

口にはガムテープ、それを剥がそうとしたがご丁寧なことに両手首を後ろで結ばれていた。
両足首もグルグルと紐で結ばれており、芋虫よろしく動き回ることしかできない。

窓の外を見ればすでに陽は暮れている。
今日は朔のようで月がでていないせいか、いつにも増して星が光り輝いていた。
しかし時間がわかる月が出ていないせいで、あれからどれくらいの時間が経ったのかわからない。

シキは無事なのか、私が戻らないことに気付いて他の研究者がアヤナミさんのところに行っているといいのだが、何せ内気な性格が多い研究者達はあまりブラックホークが得意ではないようなのでその望みは薄い。
遥かに薄い。
研究者達以外の人間だってあまりあそこの執務室には近づきたくないというのに。

ということはだ。
まだ誰もこの事態に気付いていないかもしれない。

冗談じゃない。

シキは危ないし、私はここで忘れ去られたように死ぬのは嫌だ!!


「ん、んー!!ンンー!!」

「起きたんですか。」


気を失う前に聞こえた声と同じ声が聞こえて、私はハッと声がした方に顔を向けた。
薄暗い部屋の中、椅子に座ってこちらを見ている男が一人。
その男の手の中には私がポケットに入れていたはずのクイーンがあった。
気絶している間に盗られたのだろう。


「これ、なんですか??シキと一緒に共同開発されたんですよね??毒ですか?」

「んーん、んー!!」


これ外せー!!と口をもごもごとさせるが、男はピルケースの中に入っているクイーンに興味心身だ。


「それとも薬ですか??」


私はふいっと彼から目を逸らした。


「なるほど、薬ですか。アリスの?それとももっと別の?」


しゃべる気はない。とばかりに瞳を閉じると、今度は近寄られて口のガムテープを取られた。


「いったーい!!」


産毛が!
産毛が!!


「おま、まじふざけんなよ!口ひりひりする!!っていうかこれ解いて!!」

「おやおや口が悪いですね。この薬についてしゃべってくれたら解いてあげてもいいですが??」

「……あんた、誰。シキ宛の手紙を私に渡したのも確かあんただったわよね。」


床に転がされたままキッと睨むと男は私の顎に手を当てた。


「貴女が恋をしていらっしゃった方の部下ですよ。いつも送り迎えをしていましたから、貴女のことは知っています。いつもいつも楽しそうにジュード様と会われていて…あぁ、貴女には確か『シーマ』と名乗っていらっしゃいましたっけ??」

「…貴方、女に嫌われるタイプね。」


思い出した、手紙を渡された時の奇妙な感覚。
そうだ、まるで私の事を知っているような接し方だった。

さて、どうやって出て行ったシキのことをアヤナミさんに伝えようか。
まず私がこの男から逃げ果せなければどうしようもないのだけれど…

考えろ、私。


「貴女に嫌われると困りますね。ジュード様は貴女を必要ないと判断しましたが、私はアリスの研究に貴女が欲しいと思っているんですよ。私と一緒に来ていただけますね??」


来てくれるかという疑問を投げられているということは今私はまだ軍にいるようだ。
私を誘拐したいのなら早々にしてしまえばよかったのに。
それをしていないということは…出来なかった理由があるというわけか。


「あんたについて行くくらいだったら死んだほうがマシだわ。」


シーマ、いや、ジュードの顔なんて見たら殴りたい衝動しか湧かない……って、ジュードは私を必要としていないって言った?
必要としているのはこの男…。

ということは、この男はジュードを裏切っているということになる。

裏切っているから、私をあからさまに連れ去ることはできなかった。
そんなことをしてしまったら、裏切っている事がバレてしまう…というわけか。

裏切る理由ははっきりとわからないけれど、私が必要ということはジュードには内密にアリスを作って欲しいというわけで、この男にはこの男の策謀があるとみた。


「大体貴方、名乗りもしないで女を連れて行こうなんて片腹痛い、っ、ぁ…ぅ゛…」


私が眉を潜めて蹲ると、彼は訝しげな表情を浮かべて首を傾げた。


「っ…う…頭、痛い…、気持ち…悪い……」

「苦し紛れに病気のフリをしても無意味ですよ。」

「ちが…多分、これ、アリス…」


ピクリ、と彼の眉が動いた。
さすがの彼もアリスだけは警戒していたようだ。


「アリス?アリスなんてどこにも、」

「アリスは…無味無臭…。頭が痛くなった時にはすでに発症してる、の。多分、この部屋にはもう…充満して…」

「アリスを使ったようには見えませんでしたが。」

「貴方…ジュードのこと裏切ってる、でしょ??多分、知ってたんだと、思う…。聡い、人だったから。貴方の方がジュードの事…知ってるでしょ?」


彼の中で思い当たる節があったのか、そわそわとし始めた。


「まさか、この部屋にアリスなんて…。事実僕はまだ頭痛はしていない。」

「発症には個人差がある。多分もうすぐ貴方も…。おね、がい、その薬を頂戴…。」

「何??」

「その薬は…アリスが発症していても効くの、っぁ、…おねが、」


私が懇願する中、彼は慌てたようにピルケースから薬を取り出し、それを自分の口の中に放り込んだ。
私にはくれる気配すらない。

彼の喉がコクリと鳴った。

次いで悶え始める男。
喉を抑えて苦しそうにもがき、声にならない声を上げて絶命した。


「うん、やっぱ貴方女に嫌われるタイプね。」


きっとアヤナミさんなら、自分より先に私に飲ませてくれていたと思う。


「その薬『クイーン』っていうのよ。それを発症もしていないのに飲むと、その薬はただの猛毒になる。」


薬を飲みすぎると死に至るのと同じ原理だ。


「私ってば名演技だわ。女優にでもなれるかしら。」


私はすでに事切れている男の側まで這い、ピルケースを後ろ手で広い上げる。
シキ宛ての手紙がカサリとポケットの中で音を立てた。


「行かなくちゃ…。」


アヤナミさんに早く知らせなくては。

アヤナミさんが『夜には出る』と言っていたということは、夜にお仕事があったというわけだけれど、時間の感覚からするともう朝に近いはずだ。
執務室にアヤナミさんはいるだろうか…。


壁伝いに必死に立ち上がり、扉には鍵が掛かっていたので、苦戦しながらも後ろ手で開けてドアノブを捻って通路へ出た。

通路は暗く、私はここが軍のどこかを知るために周りを見渡した。
どうやらアヤナミさんの執務室の一階下の部屋のようだ。
その空き部屋に私は連れ込まれていたらしい。

縛られたままの足でジャンプしながら通路を歩き、エレベーターで一つ上まで昇る。
誰かに会ったらこの縄を取ってもらおうと思ったけれど、夜中のせいか誰一人歩いていない。


「っぁ…」


わき腹が痛い。
腹筋が痛い。

うさぎさんって大変だ、と何とも的外れなことを思いながら執務室へ急ぐ。

途中、長い廊下でゴロゴロゴローっと横に転がりたい衝動に駆られたけれど、そうしてしまうと体中埃と汚れ塗れになりそうだったのでその誘惑には負けなかった。

長い道のりだったと、やっと執務室の扉の前に立つと、扉の隙間から明かりが漏れ出ていた。
つまり、誰かがいるということだ。


「研究室の名前です、アヤナミさん…じゃなかった、アヤナミ参謀はいらっしゃいますか?」


結んである手の位置よりドアノブが高いため、扉を開けることができなくて、声を出すと、カツラギ大佐が扉を開けてくれた。

中には大佐とヒュウガ少佐、それにコナツさんしかいなかった。

日頃の運動不足や睡眠不足のせいか息切れがひどいが必死に息を整える。


「え、えぇ、奥の参謀長官室にいらっしゃいますよ。それにしてもどうなさったんですか…?」

「実は、」

「何をやっている。」


どうやら長官室の窓から私が来たのが見えたようで、アヤナミさんが姿を現した。


「私の事は後でいいです、あ、でもちょっとこの縄解いて下さい。」


動きづらくて、と言うと、アヤナミさんはサーベルで両手首と両足首の縄を斬ってくれた。


「ありがとうございます。それより夕方頃シキが誰かに呼び出されて、」


私はシキ宛の手紙を出してアヤナミさんに差し出したのだが、それを手に取ったのは横からひょっこりと出てきたヒュウガ少佐だった。


「『私と一番よく会っていた場所で待っているわね。』って、どこ行ったの?しかもエレーナって…ありえないでしょ。」

「ですよね。それにシキったら場所は教えられないって。止めたんですけどどこかへ行ってしまったんです。すみません、本当はもっと早く教えに来る予定だったんですけど、背後から知らない男に気絶させられてて。」

「ヒュウガ、心当たりはあるか?」

「ん〜…。エレーナと一番会っていた場所…基本的に監禁されてたから…やっぱりシーたんが監禁されてた部屋かな??」

「ヒュウガ、先に迎え。」

「言われなくても♪」」


ヒュウガ少佐が一人で執務室を出ようとしていたので、私は「待ってください!」と引き止めた。


「何??」

「探しにいくなら念のためホワイトラビットを飲んで行って下さい。」

「シーたんは?飲んでるの?」

「飲んでるけど…」


私はチラッと時計を見て今の時間を確認した。
随分と気絶していた時間が長かったようだ。
ホワイトラビットの効き目である10時間はそろそろ切れた頃だろう。


「丁度もう切れたと思います。」

「じゃぁいらないよ。」

「はい?」

「シーたんが飲んでなくて危険に晒されてるのにオレだけ飲んでも、」

「馬鹿言わないで。」


私は勢い余ってヒュウガ少佐の胸倉を掴みあげた。
といっても、彼の方が背が高いから大して掴みあげてはいないけれど。


「私達がなんでこんなにヘトヘトになるまで研究をしてるかわかってんの?人っ子一人死なせないためよ。それが自分の大切な人であれば尚更。シキの気持ち考えなよ。…それにね、シキは大丈夫、少なくともアリスで死ぬことはないから。」

「どうして言い切れるの?」

「『クイーン』っていう新しい解毒剤を作ったの。それはアリス発症後でも効くから平気。あの子一応それ持って行ったから。一秒でも早く助けに行くのが賢明だけど、とりあえず研究室でホワイトラビット飲んでから行って。」

「……。わかった。」


ヒュウガ少佐が頷いたのを見て、私は胸倉を掴む手を下げた。


「あれだね、怒ると周りが見えなくなるタイプなんだね♪」

「…ぅぁ……」


やっちまった。
ついカっとなって…。

アヤナミさんにもだけど、焦ったり怒ったりすると敬語がどこかへ行ってしまうんだよなぁ。


「でもそういうの嫌いじゃないよ。シーたんが懐くのもわかるね☆」

「…そりゃどーも。」


苦笑するとヒュウガ少佐は気合を入れなおして執務室を出て行った。


「コナツはクロユリとハルセに召集をかけろ。カツラギは軍を出す準備を。」

「はい。」


頷いた2人も執務室を出て行く。
私はそれを見送ってから小さく安堵のため息を吐いた。


「惚れ直した。」

「ぅあっ、は?!?!」


急に何言うのこの人は?!?!


「まさかヒュウガの胸倉を掴みあげる女が現れるとはな。」


喉の奥で笑うアヤナミさんに「わざわざ言わなくていいし!」と抗議の声を上げるが、どうやらツボだったらしく一頻り笑われた。


「赤くなっているな。」


紐で結ばれていた手首に唇を這わせるアヤナミさん。
擦れているせいか、チリッと痛んだ。


「気絶させられたと言っていたな。誰にやられた?」

「えっと、ジュードの部下に。後頭部殴られて気絶させられて、気付いたら拘束されてて…。」

「ヒュウガの後を追いかける前に始末しておくか。」


目がマジなアヤナミさんから一歩下がった。
私の前では見せない冷たさが今、一瞬だけ瞳に宿った気がする。

怖いけど、優しいとも思う。
非情なだけでもない、優しいだけでもない、それが私の中のアヤナミさんだ。


「あ、あのですね…大変申し訳ないんですが、その人、今この下で死んでます。」

「何?」

「クイーンを盗られてですね、アリスに罹っている振りしてその薬を返してって頼んだら、自分もアリスに罹っているんじゃと思ったらしく我先にクイーンを飲んじゃって。クイーンってアリスに罹っていない状態で飲むと猛毒なんですよ…。」

「なるほど、そうやって逃げてきたという訳か。」

「せ、正当防衛になりますかね??」


今更ながらにヤバイと思った。
あの時は逃げる事に一生懸命だったけれど。


「私が過剰防衛になどさせるものか。」


ペロッと手首を舐められた。


「ぎゃっ、ちょ、舐め、舐めっ、」

「消毒だ。」


ぎゃーキザ発動してるー!!


「いや、いいですって、ちゃんと消毒液で、っ、」


また舐められた。

くすぐったいのと気恥ずかしいのと地味に痛いのでどうしたらいいのやら。


「ちょ、だからアヤナミさ、ん、」



逃げようとすると腰を抱き寄せられて腕の中に閉じ込められ、尚も舐められた。


…それはコナツさんがクロユリ中佐とハルセさんを呼んで、執務室に戻ってくるまで続けられたが、その頃にはもう私は抵抗を諦めて羞恥心にヘトヘトだった。


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