グレーテルと勇者



キスされた。
でもそれだけで、浴室からでてきたアヤナミはいつも通り。
私はというといつも通りになんてできるはずもなく、一人シーツに丸まって眠った。


そして朝。
あまり眠れなかった。
緊張するし、ドキドキしっぱなしだし、人を好きになるとか初めてで…戸惑いばかり。

私は朝日が差し込んできた窓をしばらく見つめて、ゆっくりと体を起こした。
アヤナミはまだ目覚めない。
私はそっとアヤナミを起こさないようにベッドから這い出て、ふわりと浮い……


「あれ?」


浮かない……。


なんで??
自分の体だけじゃない。
試しにそこの机を持ち上げようとしたけれどピクリとも動かない。


「うそ…」


魔法が使えない…。

呆然としていると、急にお腹が痛くなった。
魔法が使えないので仕方なく痛い右足を引きずりながらトイレに行くと、またそこでも異変が。


「…きた。」


生理が始まったのだ。
もう来ないんじゃないかと一時期は焦ったものの、いざ始まるとかなり焦る。
まさか初潮がくるとは思ってもいなかったので生理用品なんて持ってない。

魔法が使えない。
生理がきた。
わからないことばかりだ。

私はとりあえず部屋を出てそこらへんを歩いていた女性の軍人さんから生理用品を少し分けてもらった。
とりあえずもう一度トイレに駆けこんだ私はホッと息をついてトイレから出る。
イマイチ慣れない感覚にもぞもぞとしてしまうのは仕方がないだろう。

椅子に座り、アヤナミの寝顔を眺めながら思う。
魔法を使えなくなったのは恋をしてしまったからじゃないだろうか…と。
私がアヤナミを好きになったから…。
だから魔法が使えなくなった。
たまにいるんだ、急に魔法を使えなくなる魔法使いが。

足元から崩れ落ちる感覚。
魔法を使えないというのはなんと不便なことか。
浮けないし、書類だって落ちたら自分で拾わなくてはいけない。
掃除も今までは指を鳴らせば一瞬にして綺麗になったのに…、

パチン。

今では何も変わらない。
ただ、部屋に虚しい音だけが響いた。


アヤナミを、好きになったから…。
何にも出来なくなっちゃった。

…怖い。




***




「…」


名前の泣き声が聞こえた。
女の泣き声で目が覚めることほど気分の悪いものはない。
瞳を開き、ベッドから起き上がれば名前が机にうつ伏せになって泣いているのが見えた。


「何を泣いている。」


近寄って頭を撫でてやればビクリと名前の肩が跳ねた。


「ぃ、いやっ…」


名前の瞳に初めて深い暗闇を見つけた気がした。
絶望という文字など知らないというような瞳に、初めて絶望の色が浮かんでいたのだ。


「何があった。」

「すきじゃ…ない。…すきなんかじゃ、ない…」

「名前?」


明らかに様子のおかしい名前に再度触れようとすると、今度は避けられた。
名前はそのまま上着を掴むと、足を引きずりながらも走って部屋を出て行った。

何を怖がっていたのだろう。
何に怯えていたのだろう。
一見、私にも思えたが何か違うようだった。
もっと…別の何かに怯えているような…。
足を引きずりながら走るほどのもの…。

足を引きずる?


「何故名前は浮かないんだ。」


歩くというより浮くほうが主の名前が、人前ならまだしも、私の前だというのになぜ浮かない。

浮けない…のか?
考えていては埒があかない。
とりあえず名前を追うために急いで服に着替え、部屋を出た。




***




私は一人途方に暮れていた。
勢い良くアヤナミのところから街まで逃げてきたのはいいけれど、家への帰り方がわからないのだ。
電車の乗り方も、バスの乗り方もわからない。
タクシーに乗りたくてもお金はない。
歩いて行こうにもどっちにいったらいいのかわからない。
空から見るのと地上から見るのでは全然違う。
建物に阻まれて目的地が見えない。
まるで大きな壁に囲まれているようで、
そこはまるで迷路のようで、怖い。

私は狭い路地裏に膝を抱えて座り込んだ。


「痛い…」


足が朝よりも腫れている。
昨日アヤナミに貼ってもらった湿布ももう効果はなさそうだ。

もう歩けない…。
そう言って膝に顔を埋めようとすると、見知らぬ男達に声をかけられた。


「うわっ、すげー可愛い子!何、こんなところで何してるの?」


あまり良い人とは言えないような人達だ。
女の子と遊んだ朝帰り…という感じがいかにも。


「足腫れてんじゃん!よかったら俺達ん家くる?」

「…いかない。」


これだから人間は。
空気を読め空気を。


「そんなこといわないでさ。看病してあげるよ。」

「いらない。」


人が行かないと言っているのに、男は私の腕を掴んで立たせると、軽く引っ張った。


「いたっ。」


足、痛いのに。


「あ、ごめんねー。」

「痛い!」


掴まれた腕を振りほどいて踵を切り返すと、顔からドンと誰かにぶつかった。
ごめんなさい、と謝るより先に後頭部に手を回されてそのまま胸板に顔を押し付けられた。
背後で男達が「彼氏持ちかよ。」と去っていくのがわかる。
足音が完璧になくなったところで、私は口を開いた。


「…アヤナミ?」


顔も上げずにそう聞くと、頭を撫でられた。


「……私、何にも出来なくなっちゃった……。」


空っぽなの。と、瞳を閉じると、優しく抱きしめられた。
その優しい温もりに私はやっと冷静さを取り戻し、足の痛みと寝不足が手伝ってか、そこで気を失った。




***




目が覚めると一番最初に見慣れた天井が見えた。


「起きたか。」


次いで聞こえたアヤナミの声に、私は小さく頷いて上半身を起こした。
すっかり寝なれたベッドから少しだけ体をずらすと、お尻の部分のシーツが一部分だけ血が滲んで赤くなっていた。


「生理きたの初めてなんだ。」


慣れないな…。


「汚した。ごめん。」

「良い。洗えば済む話だ。」


アヤナミはそういうと私を横抱きに抱き上げて浴室の前で下ろした。


「入って来い。」

「うん。」


熱めのシャワーで汗と血を落とす。
そうすると思っていたよりも結構気分がさっぱりとした。

パニックになると中々落ち着かないのが私の欠点だ。
先程の自分の行動を思い出してため息を吐いた。
魔法も使えない私が、先程の男達から果たして逃げ果せたのだろうか。
答えは否だ。


「アヤナミが来てくれてよかった…。」


ポツリと呟いた言葉はシャワーの音にかき消された。
脱衣所には新しい下着と服が用意してあったので、それを着て脱衣所を出ると、ベッドも綺麗になっていた。


「アヤナミ、いろいろありがと。」


生理用品まで用意するのは男として複雑で嫌だったろうに…。


「なんか、あそこで現れるなんて勇者みたいだったよ。」


いいとこ取りの、ね。と笑うと手招きをされてベッドに座らされた。


「ならお前はグレーテルだな。」

「なんで?」

「お前の通った道に飴が所々落ちていた。」


あ、クロユリにもらった飴…。
そういえば内ポケットが破れてるから直さないとって思ってたんだった。


「アヤナミ、仕事は?」

「さぁな。」

「…いいよ、行って来て。」

「また勝手にいなくなられては心配だからな。」


アヤナミは私の肩に手を添えるとそのまま抱き寄せた。
私は逆らわずにアヤナミの腕の中に顔を埋めると、小さく笑った。
心配、してくれたんだ。


「私ね、魔法が使えなくなっちゃったの…。何にもできないの。だって今まで魔法使いだったんだもん。魔法が使えなくなって…世界が怖いの。どうやって生きていけばいいんだったっけ…」

「生き方なんて山ほどある。」


私を抱きしめている腕がキツくなった。


「名前、」

「ん?」

「好きじゃないというのはどういうことだ?」


え?


「あぁ。私が魔法使えなくなったのってアヤナミを好きになっちゃったからだと思うの。だから、だから……」


え?あれ?今、私…なんて言った??
アヤナミを好きになっちゃった……って。
っ、口が滑った!!


「だからといって否定するとはひどいな。」

「だ、だって!怖かったんだもん…」

「魔法が使えようが使えまいが名前は名前だ。私はそんな名前を好いている。だから、今度はその感情を否定してくれるな。」

「っ!うん、うん!好き、アヤナミ。」


アヤナミは私の頬に手を添えると、そのまま唇に口づけを落とした。



狼?
いえ、今日はカッコいい勇者様でした。

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