19
帰宅途中、『ごめん』という題名で少佐からメールが入った。
シズカのことを話したといった内容だったが、特に気にすることはない。
わざわざ暗い出来事を話す必要性を感じていなかっただけで、隠してはいなかったのだから。
少佐が謝るなんて珍しいな、と思いながらも返信を送り、ポケットへと携帯をしまった。
これからは仕事のことは忘れて名前と2人きりで過ごしたい。
遅くなるとはいったものの、速攻で仕事を終わらせれば時間はまだ20時で、ただいまと家に入ると名前は紅茶を片手にソファに座っていた。
「おかえりなさいコナツさん!早かったですね。」
「うん、意外と書類少なくて。」
名前の為に頑張ってきたんだよ、と言葉にしてしまったら、なんだか押し付けがましいような気がして言葉を変えてみたが、名前は嬉しそうに笑った。
言わなくても伝わっているようなその感覚はひどく僕に満足感を与える。
言葉にしなくても想いが伝わる仲。
それは不思議と酔いしれそうなほど甘美で、心地よい。
だけど言葉にしなくては伝わらないことだってあるのだということもわかっている僕は、名前の唇にキスを落としながら「会いたかった」と一言呟いた。
「私も会いたかったです。遠征、お疲れ様でした。お風呂とご飯、準備できてますけどどうしますか?」
かわいく首を傾げる姿に、『ご飯にする?お風呂にする?それとも…』というありがちの言葉が脳裏に浮かんだが、邪念はすぐに追い払う。
そんな言葉を名前に言ってもらう姿を想像するなんて、何だか少佐みたいだと思って少しだけ落ち込んだ。
日に日に少佐に毒されているような気がするのだ。
「風呂は軍のほうで入って来たから。」
「じゃぁご飯温めますね。」
そういってキッチンに立った名前を見つめながらラグへと荷物を下ろした。
不思議だ。
ついこの間まで僕の軍での自室が『帰る場所』であったのに、この家に帰ってくると妙に『帰ってきた』という実感が湧く。
おかえりなさいと笑顔を向けてくれる人がいるという環境が嬉しく思う。
しかも一人暮らしの家に帰ると部屋は寂しく肌寒いが、人がいるというだけでこんなにも暖かい。
そう感じることができるのはとても幸せなことではないだろうか。
この暖かい家に、名前がいる空間に帰ってくることが遠征中はとても待ち遠しかった。
10日間の予定の遠征が、9日間に縮まっただけで僕がどれだけ内心喜んだことか。
キッチンに立つ名前の背後に回り、そっと腕を伸ばして抱きしめると名前が振り向こうと体を捩じったが、そのまま彼女の首筋に顔を埋めた。
「名前、明日仕事は?」
「店長が『私用があるから』とお休みですが??」
「あーじゃぁごめん、やっぱりご飯は明日の朝食べるから。今は名前に触れたい。」
鍋を温めていた火を、瞬時に顔を赤くした名前越しに止めて、「ベッド行こう」と誘ってみる。
『いや、でも、あの』といつものように恥ずかしがって少しは抵抗されるかと思っていたけれど、名前は恥ずかしそうに唇を引き結んだあと、小さく頷いた。
遠征の後はいつも数日間は休みだということを名前もこの一緒に暮らした数か月で理解しているのか、『明日お仕事ですよね?!?!』とも言ってこない。
こんなにあっさり頷くとは思ってもみなくて、遠征に行く前にしたのが気持ちよかったのかな、と前回の行為を思い出しながらこれから過ごす時間に胸を躍らせる。
「どっちのベッド行く?」
リビングの扉を出て各々の部屋を指差すと、名前は考える間もなく僕の部屋を差した。
「コナツさんの部屋がいい、です…。」
「いいけど、なんで?」
すでに答えは決まっていたとばかりの即答に首を傾げたが、名前は今度は答えようか逡巡し始めた。
「な、内緒です。」
「気になるんだけど。」
なんで何も言ってないのに顔赤くしちゃってるのさ。と無言で名前の頬を人差し指で突くと「あぅ、ぅぅ、」と突くたびに困ったような声を上げるものだから、嗜虐心が芽生え始める。
「答えてくれないならここで襲っちゃうけど、いい?」
プルプルと首を振る名前はまるで仔羊のようで、かわいい子ほど苛めたいなんて小学生かと自己嫌悪しながらも頬を突くのはやめない。
痺れを切らしたのか、名前は僕の人差し指を掴んで拗ねたように「やめてください」と口を尖らせていうものだから、その尖った唇に自分の唇を寄せた。
ふにっとしたやわらかい唇に触れるのも久しぶりで、遠征の疲れがなんてことないような気さえしてきた。
僕的には名前の部屋で事に及びたいところだ。
なんてったって名前の香りに包まれているようで充足感に浸れるから。
舌を差し込み、歯列をなぞったり舌を絡めたりしていると、名前はもう息が限界とばかりに僕の肩口をギュウッと握った。
その仕草さえも可愛くて、愛しくて、もっともっとと欲望が果てしなく貪欲になっていく。
しかし言葉にしたとはいえ『この場で襲う』なんてものは冗談なので、これ以上歯止めが利かなくなる前に唇を離した。
浅い呼吸を繰り返す名前を見下ろしながら肺活量ないなぁ、なんて思うが、そりゃそうだ。
名前は僕らとは違う一般人なんだから。
さて、名前のお望み通り僕の部屋で…と扉に手をかけようとしたところで、さっきのキスから『この場で襲う』という冗談を本気にとったのか、名前は意を決したような表情を浮かべて口を開いた。
「コナツさんの、香りがするから、です…。ずっと抱きしめられてるみたいで、…だから、コナツさんの部屋がいいな、って…思って……。」
恥ずかしそうに告げる名前から目をそらして彼女にバレないように小さくため息を吐いた。
僕と同じこと思ってたっていうのにさ、何この子。
「あぁもう、なんでそんなにかわいいのさ。」
キスさえもまだまだ下手なくせに煽るのだけは天才的に上手いんだから。
名前といるとたまに焦燥感が生まれる。
名前が僕から離れていかないか不安だとか、いろいろ。
こんなにも幸せな気持ちになれるのにだ。
だって僕は今回みたいに遠征でいつも名前の側にいてあげられるわけじゃない。
名前が本当に困ったことになっている時だって、僕が側にいるかどうかだってわからない。
抑えきれない感情のままにベッドに名前を組み敷くと、名前は瞬く間に羞恥で瞳を潤ませる。
「名前…。」
頬に手を添えて名前を呼べば、名前も「なんですかコナツさん」と名前を呼んでくれる。
「愛してる。」
こんなにも幸せなのに。
名前と幸せでいることに怖くなる。
いつ死ぬかもわからない遠征から帰ってきたことにひどく喜びを覚える。
「私も、愛してますよ、コナツさん…。」
遠征から帰ってきた今日、どれだけの軍人が家族や恋人と過ごしているのだろうか。
触れ合っている恋人だって多いだろう。
僕だってその一人なのだから。
夜の暗闇のまま名前の肌に触れれば心地よい体温が伝わってくる。
帰ってきたと実感する。
死線をくぐり抜けてきた僕は、あとどれくらい彼女を愛していられるのかと内心怯えながら。
***
物音ひとつしない静寂を破るように私はもぞりと上体を起こした。
あんなにも冷たかったシーツが今は皺を寄せて人の体温で暖かい。
うっすらと汗をかいた肌に髪が張りついており、手でその髪を払った。
時計を確認すると時間はまだ深夜3時。
暗闇に目が慣れているせいか、コナツさんの寝顔がよく見える。
そんな彼を眺め見てから私はそっとベッドから抜け出した。
ベッドの下に散らばる下着を手探りで探して適当に引っ掴んでコナツさんの部屋を出る。
ひやりとした夜の空気が未だ火照った体には心地よくて、リビングに入ると電気を点けてからそのまま浴室へと直行する。
脱衣所にある流し場の鏡を見れば、いつも以上に濃く愛された証が胸元に散らばっていて、つい先ほどまでの情事を思い出して頬が熱くなった。
何だかいつもより切羽詰っているような愛し方だったな、と思いながら浴室へ足を踏み入れると、うち太ももに伝うそれに違和感を感じて目をやれば、トロリとしたものが下へと流れ落ちてきていた。
指でそれを拭えば、先ほど鏡越しに見た赤い印が内太ももにもあるのが見えて、こんなところにまで…と、穴があったら入りたい気分に陥った。
確か避妊してくれていたようだったから、今こうして流れているのは全部私が感じていた証拠なのだろうが、もうだめだ、穴掘りたい、と切実に願いながら蛇口を捻る。
冷たい水から次第に温かくなってきたシャワーで頭から一気に濡らせば少しだけ恥ずかしくて死にそうな気持ちは晴れた。
しかし良かったのか悪かったのか、邪念が思考を占めてきた。
「シズカさん、か……。」
ボディソープを泡立てながらポツリと呟く。
一人になれば嫌でもふと思い出す。
友人と聞いているけれど…本当にそうなのだろうか。
あんなにも悲しんでいたのだから、もしかしたら恋人だったりしたのかもしれない……。
亡くなった人のことを嫌な風には思いたくないけれど、どうしても嫉妬してしまうのは私がコナツさんのことが好きで好きで仕方がないからだろう。
亡くなった人にこんな感情を持つなんて、死者への冒涜もいいところだとため息を吐いた瞬間、「名前」と声が聞こえた。
振り返って浴室の扉を見ればすぐそこに立っているのだろう、コナツさんの影が見えた。
「僕も入っていい?」
「へ?!あ、えっと、明るいのでだめです!すぐ上がりますから!」
明るいところで見られたら穴を掘りたくなるどころの話では済まなくなる。
もこもこに泡立てたボディタオルを持って立ち尽くしていると、「じゃぁ電気消そうか。」と提案された。
待って!
待って!!
「そういう問題じゃなくてですね!」
ベッドの上で素肌を晒すのと、そうではない場所で晒すのとでは何だか羞恥心の度合いが全然違うのだ。
「じゃぁどういう問題?」
「は、恥ずかしいので…、」
さっきたくさん見たから今更だよ。そう言ってコナツさんが電気も消さずに問答無用とばかりに浴室に入ってくるまで後3秒…。
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