04
「名前さんって優しいですね。」
コナツがホクホクとした表情で処理済の書類を抱えた。
ここ数日で書類の山は消えつつある。
それもこれもあだ名たんが処理してくれているからだ。
オレでなくてはダメな印やらサインやらを除き、あだ名たんは処理済の書類の山を作っていくから、さすがにオレとしてもサインしないといけなくなってくるわけで。
そのあだ名たんは今、まだ朝だというのにお風呂場で浴槽を洗っている。
微かにシャワーの音が聞こえてきた。
「コナツ、あぁいうのはお節介っていうんだよ。」
「それでも善意には変わりありませんから。」
「そうだけどね。」
オレもそのお節介も嫌いではないし。
ただお節介はお節介でしかない。
あだ名たんは完全たる善意でやっているのだろうことは見て取れる。
だけど字を見れば誰が書いたのかわかる者が、そのあだ名たんが処理した書類を見てどう思うだろうか。
アヤたんがこの字はオレのじゃないと気付けば、オレはいつも以上に怒られることは必須。
火を見るより明らかとはこういうことだ。
あだ名たんにはあの時3つの選択肢があった。
一つは二度寝すると言ったオレを引き止めて、ソファにくくりつけてでも書類をさせるという選択肢。
これはオレにとって迷惑かつ面倒臭いけれど、被害はオレにしか及ばない。
一つはオレもあだ名たんもこの書類を放っておくという選択肢。
例えば夏休みや冬休みの宿題を全くせず友人なりクラスメイトなりを端から頼って見せてもらうという、その人の本質を疑いたくなる行動をする人間よりは幾分はマシだが、できることをしないというのは本来恥ずべきことであり少なからず罪悪感が生まれるもの。
生まれない人間はそれまでの人間だったということで放っておくに限るが。
つまりコナツが困っているからといって、オレが放るのは問題あるが、あだ名たんが放っておく分には問題ない。
そして最後の一つ、すでに起こしてしまったこの事柄。
オレの書類をあだ名たんが処理するという選択肢はオレに被害が一番及ぶ最悪の選択。
その上火の粉はあだ名たんにも降りかかるかもしれないというもう一つの危惧付きときた。
善意がお節介なのか、お節介が善意なのか。
物事をしっかり見て感じて、推測も踏まえて行動を起こさなければこういうハメになるのだ。
「では、ボクはこの書類をアヤナミ様に届けてきますね。」
嬉々として部屋から出て行ったコナツに手を振って見送ったあと、シャワーの音がする方向へとつま先を向けた。
浴室は洗剤の匂いと水の匂いが立ち込めていた。
その香りの中に微かに血と土の混じった匂いがして、小さく息を吐く。
あだ名たんはオレと暮らすことで衣食住の保障というメリットと、リーたんに会うことができるというメリットを見出した。
だけどそれだけだ。
オレから言わせれば最低限のメリットしか見出せていない。
もっとオレを上手く使う方法だってあった。
あだ名たんは敵の手中にあるのだから、メルモットの暗殺集団に用済みだと処理されるだろう。
実際、今朝方襲ってきた暗殺者を、あだ名たんは眠っているオレを起こさないように物音一つ立てずに殺し、部屋を抜け出すと死体をどこかへ隠してきていた。
気配を消しているので追う事はできなかったが、往復の時間からしてすぐ近くの森にでも埋めたのだろう。
この浴室の匂いは証拠であり、その名残ともいえる。
きっと、手についた泥や血を洗い流していたのだ。
今朝だけではなく、ここ数日にやってきた暗殺者の数はそろそろ両手で数えきれなくなる二桁になる。
あだ名たんはオレが気付いていないと思っているのだろうか。
それとも、オレが寝たふりをしていることを気付いていても尚、なかったことにしているのだろうか。
少なくとも、あだ名たんの実力からして後者であろうことは間違いないのだと思うけれど。
あだ名たんはオレに助けを乞うこともなく一人ですべてをやっている。
確かにあだ名たんはそこらへんの人間より強いだろう。
だが、もう少しくらいメリットを見つける努力をして、オレを頼ればいいと思う。
そしてそれを言えたらどれだけ楽か。
喉下で擽っている感覚はどこかもどかしい。
だけど言わないのはあだ名たんがそれでいいと思っているからだ。
無駄なお節介はしたくない。
「あだ名たん、コーヒー飲みたいなぁ♪」
「あ、はい。ちょっと待っててくださいね。」
シャワーの蛇口を止めて浴室を出たあだ名たんはキッチンへと向かう。
物事には何事にもメリット、デメリットが付き纏う。
一つの事柄を瞬時に頭の中でメリットとデメリットの両方を見出し、そしてよりメリットが多い方を選ぶ人間は好きだ。
きっと賢いというのはこういう人のことを言うのだと思う。
だけれどオレは、そうでない人間を愚かだと思っても嫌いではないのだ。
オレと正反対の思考は未知で、意味もないことを何故仕出かすかわからないから余計に面白い。
そういう面では尊敬する。
見下しているといわれればそうなのかもしれないけれど、心地よいから側に置いておきたくなる。
そういう人間と一緒にいると、自分も何がメリットなのか、何がデメリットなのか考えなくて済むのだ。
それは面倒臭くなく、とても朗らかに在れる。
「ヒュウガさん?コーヒー入りましたよ??」
浴室の扉からひょっこりと顔を覗かせたあだ名たんに小さく微笑んでリビングへと向かうと、すでに部屋にはコーヒーの香りが立ち込めていた。
「あだ名たん、明日はオレ仕事に行くから一人でお留守番できる?」
まるで子供に言い聞かせるかのような問いかけに、あだ名たんは素直に頷いた。
「はい。」
「大人しくしててね。」
「子供ではありませんから大丈夫ですよ。」
「明日は掃除もしなくていいから、ゆっくり休んでて。テレビでも見てなよ。本でもいいし、何しててもいいよ。ただ、この部屋から出ないこと。」
「はい。」
「約束できる?」
あだ名たんは迷うことなく頷いてみせた。
そんなあだ名たんの頭を撫でてコーヒーを一口嚥下する。
熱いコーヒーが喉下を降りていくのがわかった。
しかし喉下を過ぎると熱さなどわからず、あだ名たんに言いたくて言わない燻るこの想いもコーヒーのように流れていけばいいと思った。
喉下過ぎれば何とやらだ。
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