終
無駄なお節介はしたくないと思っていた。
でも、初めてしたいと思うことができた。
何が無駄なのか、何が無駄じゃないのか。
何がメリットで、何がデメリットなのか。
あだ名たんといると何かが乱される。
オレが今していることだって、オレにはメリットなんてない。
あだ名たんには『平穏』というメリットが訪れるだろうけれど。
暗示が解けて、あだ名たんはもう『誰も殺したくない、傷つけたくない』と泣かなくてすむ。
向かってくる暗殺者の心臓を一突きすると、体を貫いた感覚が刀越しに手に届く。
その暗殺者の心臓から刀を抜き、血を振り払うと、今度は背後から襲ってきた暗殺者を斬り殺した。
オレには躊躇いがない。
殺すことにも、生かすことにも。
だけどあだ名たんは違った。
暗示が解ける度に苦しんで、泣いていたのだろうか。
そう考えると、やるせなくなる。
いっそのこと割り切ってしまえたら楽なのだろう。
あだ名たんは一体いつも何と戦っていたのだろうか。
殺す相手?
「多分違うよね。」
違うとはっきり言える。
心の中で、暗殺者の自分といつも戦っていた。
オレと戦っている時も、きっと今までもずっと。
誰よりも戦いが嫌いなのに、この暗殺者の誰よりも強かったせいで、あだ名たんは暗殺者をやめられなかった。
この皮肉なこと。
「ねぇ、術者ってドコ?」
オレを取り囲んでいる無表情の人形達に問いかけた。
男の人とリンの声が遠くでする。
目は閉じたまま二人の会話を聞いていると、まどろみの中に沈んでいた思考がゆっくりと浮かんできた。
何だかリンの声が前より柔らかい気がする。
今の声色から、あの時の…、暗殺者を辞めさせられてメイドに戻っていった時の表情は思い浮かばない。
ふと、『あぁ、幸せなんだな』と思った。
ゆっくりと瞳を開けると、窓の外はまだ暗く、数時間気絶していただけのようだった。
私が起きたことに気付いたリンが身を乗り出してこちらを見てきた。
リンの隣には銀髪の男の人。
冷たい印象さえ持ったが、リンのその人への態度と言動を見ていたらそれだけでないということが伺える。
「名前、大丈夫?」
「うん。リン、よかった…」
起きるのを手伝ってもらいながらそういうと、リンは首を傾げた。
「何が?」
「幸せそうで。」
えへへ、と笑うと、リンは微かに苦笑した。
「ヒュウガさんは?」
「……ちょっと出かけてるの。それより今アヤナミ様に聞いたわ。貴女ヒュウガ様に捕まって側に置いてもらってるらしいわね。」
「うん。」
「暗示が解けたならどうして逃げなかったの。」
「リンに会わせてくれるって約束したから。会いたかったの。リンが暗殺者辞める前、すごくすごく辛そうだったから。今は笑ってるといいなって。」
「馬鹿ね。」
未だにボーっとしている頭。
暗示が掛かった後はいつもこうだ。
もやがかかったみたいに人の思考回路を緩く奪っている。
リンはそれをわかっているので、水を持って来てくれた。
ありがとう、と受け取ろうと右手を上げようとした瞬間、肩から指先にかけて激痛が走った。
「ッ、」
右腕に左手を軽く添えて蹲る。
「ねぇ、手当しながら思ったんだけれどその傷どうしたの?まさかヒュウガ様にやれたんじゃ…」
「違う違う!自分でやったの。暗示を一瞬でもいいから解くために。」
「ほぅ、中々根性があるな。ヒュウガと戦ってみてどうだった。」
リンが言うアヤナミ様、はきっとヒュウガさんがいつもいう『アヤたん』のことなのだろう。
ヒュウガさんが林檎飴を粉々にされたと悔しがっていたのを思い出して、内心クスリと笑った。
「強かったです。」
「だがあいつの横腹にヒビを入れたのだろう?」
「まぐれですよ、あれは。」
俯いた私に、リンは手を叩いて半ば強制的に会話を終了させた。
「アヤナミ様、これ以上の会話は傷に響きますのでその口を閉じてくださいませ。名前ももうしばらく眠って。」
もう一度寝かせようとするリンの手を、首を横に振ることで制する。
急に、やけに頭の中がスッキリした。
「私、行かなくちゃ。」
誰も「どこに?」だなんてバカなことは聞かなかった。
「駄目に決まってるでしょう?」
「ヒュウガさん、術者のところ…だよね?」
「…わかっているのなら、何故ヒュウガ様が貴女をここに預けて行ったのか…わかるでしょう?」
「うん。でも、イヤ。私、行くよ。」
「駄目よ。」
私は立ち上がって制するリンの脇をすり抜けた。
右腕はあまり動かせそうにないけれど足は動く。
左腕だって動かせる。
いける。
「アヤナミ様、名前を止めてください!」
「わかっている。叫ぶな。」
ただでさえ寝不足なんだ、と眉間に皺を寄せるアヤナミ様。
「違うんです!名前は、」
ランドカルテを使えるんです!と叫んだリンの言葉に素早く反応したアヤナミ様が視界の端で拘束のザイフォンを発動させていたけれど、それよりも早くランドカルテを発動させて暗殺組織の本拠へと飛んだ。
一瞬にして変わった景色は血の海だった。
そして死体の山でもあった。
鼻を刺す血のにおいは嗅ぎなれているものの、これほどまでに濃い血の匂いは嗅いだことはない。
床に倒れているのは知った顔。
どれもすでに息をしていない。
私は間髪入れずに駆け出した。
血の水溜りを駆けるとまるで水のようにパシャパシャと音が鳴って跳ねる。
気にならないといったら嘘になるけれど、それ以上に倒れている人を踏まないように走った。
ランドカルテを使えばいいのに、その存在を忘れたかのようにがむしゃらに。
奥へ奥へ。
もっと奥へ。
首と胴が繋がっていない者、腕や足が切り落とされている者、心臓を一突きされているもの。
全てから目を逸らすことはない。
だって彼は、
だって彼は私の為にしてくれているのだから。
私が目を逸らしたら彼のやっていることを否定することに繋がるような気がして。
死体が道標となって、奥の広間へと私を導いた。
死体があるところが彼の通った道だ。
広間への扉を開けると、ヒュウガさんの後ろ姿が見えた。
走って乱れた息を整えながら彼に近づくと、彼の足元には術者が血を流して倒れていた。
本当はわかっていた。
すでに術者が死んだことなんて。
リンと離していたあの時、妙に頭の中がスッキリしたのだ。
きっとあの時、術者が死んで暗示が解けたのだろう。
「ヒュウガさん…」
名前を呼んだけれど、彼は振り向かない。
私はゆっくりと彼に近づいて、後ろから抱きしめた。
大きくて広い背中に頬を寄せて、痛む右腕でもしっかり抱きしめる。
「帰りましょう、ヒュウガさん。」
「うん。」
今度は返事が返ってきた。
「暗示、解けた?」
「はい。もう二度と、暗示に掛かることはありません。」
そして、暗示に掛かる人も。
「ごめんなさい、貴方にこんなことをさせてしまって。」
本当は私がしなくてはいけなかった。
暗示が掛かっている人のためにも、暗示が解けかかっていた私がするべきだった。
私が全てを終わらせるべきだった。
人を傷つけたくないと、もう誰も殺したくないと言って逃げて、結局私は一番傷つけたくない人を傷つけてしまったのかもしれない。
彼の手は既に血で汚れていたけれど、彼が私の分の罪を背負う必要などないのだ。
「ヒュウガさんに私の罪を背負わせてしまってごめんなさい。」
そう言って唇を噛みしめると、ヒュウガさんは長く息を吐いて私の手を解いた。
向かい合ったと思ったら今度は抱きしめられた。
「オレがこうしたかったの。あだ名たんの罪とかどうでもいいんだよ、オレは。ただ、あだ名たんが笑っていられる毎日を過ごせるのならそれで。」
「それでも、私にも背負わせてください。ヒュウガさんさえよければ、貴方の隣で。」
ヒュウガさんは一瞬キョトンとして、すぐに苦笑した。
「同情や哀れみはいらないよ?罪とかそんなもので簡単にそんなこと言っちゃダメだよ。」
「ただ純粋に好きだから、側に居たいと思ったんです。ヒュウガさんは私を好きになったから側に置いてくれたのでしょう?それと一緒です。」
「いいの?一回手に入れたらオレ、絶対あだ名たん手放せない自信あるよ。」
「望むところです。」
そういって笑うと、ヒュウガさんは「好きだよ」と囁いてそっと唇を重ねた。
それはすぐに離れたけれど、暗示の掛かっていない私にはそれだけで十分だ。
「帰りましょうか。」
「ん♪」
「あ、リンに会ったんですよ。すごく幸せそうで安心しました。」
「よかったね。それより腕大丈夫?」
「はい。」
「もービックリしたんだからね。」
「えへへ。」
「えへへじゃないよ!」
窓の外はもう少しで朝がくるのか、紫がかっていた。
それはこれから幸せの一歩を踏み出す始まりの色をしていた。
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