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おかしい。

私は誰もいない家へと帰ってくるなり小さく唸った。
この10日、アヤナミさんが全く帰ってこないのだ。
シャワーを浴びてリビングに戻ってもやはり誰も居ない。

怪我でもしていないといいんだけど…。と心配になる。
連絡の一つでもしてくれたらいいのに。

寂しいな…会いたいな…。とアヤナミさんが恋しい。
身に覚えのあるこの感情を抱きしめるように、私はベッドに丸くなった。

明日も大学で、その後はいつものようにバイトだ。
私の日常にアヤナミさんが増えて、でも今はいなくて、それがひどく寂しい。


「会いたいな…。」


言葉にすると、不思議と『寂しい』が『不安』になった。
このまま帰ってこないんじゃないかと。

悲しい時や不安な時はアヤナミさんがいつも側に居てくれた。
彼氏と別れた時も、両親の死を改めて思い出したこの間も。

側にいてほしい、そして側に居たい。
早く帰ってきて、コーヒー淹れろって言ってほしい。
いつもの定位置であるソファに座って、私の話を聞いてほしい。
そして教えてほしい、アヤナミさんのことを。

だって私…アヤナミさんのこと……




***




家に帰らなくなって2週間が経った。
日々の仕事にプラスして名前の言っていた3年前の内戦を調べていると、その期間はあっという間に過ぎ去ったのだ。
帰る暇がないというのはこのことだ。

もっとも、名前と顔を合わせづらいというのもあるのだが、逃げるほどではない。
何せ名前は私がアヤナミ参謀だと知らないのだから。

いつかはバレてしまうことだろう。
それならばいっそのこと真実を告げてしまうのも一つの優しさではないだろうかと思い始めている。
どうせいつか真実を知って名前が傷つくなら、できるだけ早く、そして浅い方がいい。

人に嫌われるのは容易い。
だが、人に好かれ続けるというのはひどく難しいことなのかもしれない。


「アヤナミ様、連れてきました。」


カツラギによって連れてこられた一人の軍人。
もうすぐ定年という男は、何故自分が参謀長官室に連れてこられたのかわかっていないらしい。
特に物珍しいものがあるわけでもないのに、長官室をキョロキョロと見回し、「自分に何かご用でしょうか。」と敬礼をしてきた。
その板についた敬礼も、恐らくこれが最後となるだろうことを、この男は知らないのだろう。


「3年前の第四区での内戦を覚えているな?」

「はい。第三部隊の小隊長をしておりました。」

「ならその内戦での軍と教団の取り決めは覚えているか?」


急に顔色が変わった男を、机に両肘をつき指を絡めながら眺め見る。
カツラギは男の背後でいつもと変わらぬ笑みを浮かべたまま微動だにしない。


「私は、無関係の人間は殺すなと命令したはずだが。」

「い、一体何を仰っているのか、」

「しらばっくれなくても良い。すでにその当時第三部隊所属の軍人から証言はとれている。」


机の隅に重ねて置いている書類に目をやれば、男は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに口を開いた。
当時の第三部隊の隊員に金や物で口を閉ざさせて置きながら、自分はまだ口を開くこの厚顔無恥な男が同じ人間だというだけで吐き気がしてくる。


「証言は証拠にはなりません。」


あくまで自分は何もしていないというこの男を裂けたらどんなにいいか。


「悪いが当時の第三部隊全員から証言が取れているが、それでも言い逃れをする気か?」

「私はやっていない!」

「街中で行われた内戦だったが、その一角にある店先の監視カメラに貴様が逃げる一般人を背後から殺害している様子が録画されていた。それでも言い逃れを?」

「…あ、あれは…」


この男も運が悪い。
3年も前の録画が見つかるとは私も正直思わなかった。
これもカツラギがよく動いてくれたおかげか。


「あれは、中隊長に無理矢理、」

「証言は証拠にはなりえぬ。そう言ったのは貴様だ。」


連れていけ、と手で払うと、男はこの世の地獄でも見たかのような表情で半ば引きずられるように長官室を出て行った。
この世の地獄はこれからだというのに。

仕事の終わりが見えてきたことに少しの解放感に見舞われながら、帰れる日を恋しく思った。




***




今日もカフェでバイトの私は何も変わらない一日を過ごしていた。
道向かいにある花屋では可愛らしい店員さんが店じまいの準備をしている。
私がテーブルを拭き終わり、手持無沙汰になった時には、花屋の店員さんは迎えにきたらしい軍人さんと2人でどこかへ帰っていった。
つい数か月前までこのカフェで向かいの花屋さんを眺めていたあの軍人さんだと気付くのには時間はかからなかった。

そうかそうか、上手くいったのか。と、ついニヤついてしまいそうになる頬を手のひらで隠していると、「名前ちゃん??」と店長に怪しい目を向けられながら話しかけられた。


「さっきから外見て何ニヤニヤしてるの。」

「いえ、ちょっと心の栄養を取ってました。」


そういうと、店長は訝しげに眉を顰めたが、「まぁいいけど、それより」と呟いた。
どうやら何か用事があるようだ。


「名前ちゃん、明日はバイトお休みの日だって前に言ってたよね?」

「はい。」

「街の中心にあるホテル知ってる?」

「あーはい、あの高層も値段も馬鹿みたいに高いホテルですよね?」


今の私が入ろうとしても、ドレスコードで引っかかりそうなくらいお高級なホテルだったはずだ。
いつかは社会人になって、初のボーナスであそこのディナーをフルコースで食べるのが一つの夢だ。


「そうそう。そこの経営者と実は知り合いでね、明日そのホテルで軍のパーティーがあるんだけど、そこのスタッフが足りないらしいんだ。名前ちゃんよく働くし明日17時から21時までの4時間、どう?残業あるかもだけど手当尽くし、バイト代良いらしいけど。」

「暇です!すっごく暇です!ぜひやらせてくださいっ!!!」

1日のバイト、しかもあの有名なホテルってかなりバイト代良いし、働き甲斐があるってもんよ!
私ははしゃぐ気持ちを抑えながら、二つ返事で引き受けた。


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