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この馬鹿みたいに値段の高い最上階のだだっ広い会場で、今日私は給仕のバイトをしている。
立食パーティーであるこの会場には大勢の人が犇めき合い、そして元帥の長い長い話が終わった今、あちらこちらで会話が交わされているが、私はその中をすり抜けるようにしてお皿を補充したり下げたり、お料理を運んだりとせっせと汗水たらして働いていた。

軍のパーティーと聞いて『あ、アヤナミさんに会えるかも!』という期待をしていたが、この人ごみでは砂の中から針を探すようなものだ。
しかも私はバイトの身なのでとてつもなく忙しく、こりゃ元帥や参謀ぐらいのお偉いさんの地位にでもいない限り見つかりそうにもないことに若干意気消沈した。
お偉い方の周りにはたくさんの人が集まっているため、非常にわかりやすい。
それだけ皆お近づきになりたいということかと、大人の世界を学んだところで空いていたグラスをトレイに乗せた瞬間「あれ、」と聞いたことのある声が聞こえた。

振り向くとつい先日バイト先で会ったハルセさんと目が合う。


「名前さんですよね。」

「はい。こんばんはハルセさん。」


そうか、彼もアヤナミさんと同じ軍人だったと今更思い出し、クロユリくんはと尋ねていると、背後から誰かに背中を突かれた。


「こんなとこで何してるの名前。」


尋ねていたクロユリ君登場だ。
彼はお皿にたくさんのケーキを乗せ、そしてあの恐るべき青色のソースをかけて食べている。
勧められてももう二度と食べるものか。と心に決めていた私は、敢えて料理のことには触れずに「今日はここでバイトなの。」と告げた。


「すごい偶然だね。それよりさ、もっとケーキの種類ないの?」

「残念ながら…。」


ほら、もっとおいしい料理並んでるのでそっちも食べたらどうかな。と言えば、「このホテルも大したことないね、ハルセのケーキのほうがおいしいよ。」という言葉が聞こえてきたが、ここは大人のスキルである聞こえないフリでどうにか乗り越えた。

この帝国一のホテルを大したことないと平然と言える彼はなんて強者なんだ。
それよりもこのホテルよりおいしいというハルセさんのケーキというのが気になるところだ。


「まぁ、そのハルセさんのケーキには及ばないかもしれないけど、お腹いっぱい食べてってよ。」


そろそろ仕事に戻らなければならない私は、「うん、名前仕事頑張ってね」と手を振るクロユリ君にバイトの私が手を振りかえす訳にもいかず、笑顔を浮かべて彼らに背を向けた。


「すみません、これ下げてもらっていいですか」


厨房へ戻ろうとすると、はちみつ色の青年から空いたグラスを受け取った。
どこかで見たことがあると記憶をたどれば、それがいつもバイトしているカフェのお客さんだと気付く。
かっこいいというよりも可愛い顔立ちにはちみつ色の髪は非常に記憶に残っていた。
それもそのはず、私はここ最近毎日店内に飾る花を買うために向かいの花屋で買っているのだが、確かそこの店員の女の人にカフェから熱い視線を送っていた彼だったからだ。
今はすっかり花屋の店員さんと恋人同士になったのか仲良さげに帰っているようで、恋は成就したようだ。

そんなことを知っていたとしても、彼は私には気付いていないようですぐに踵を返してどこかへ行ってしまった。
私としてもむやみやたらに話しかけるつもりはなかったので、そのまま厨房へ戻り、トレイを空けてまたホールへと戻る。


そろそろパーティーも終盤に差し掛かろうとしており、私は思っていたよりもハードな仕事に次第に疲労の色を見せていたせいか、私は下げようとしていたお皿の上のフォークを床へと落としてしまった。
床には絨毯が敷いてあるため音が鳴らずに済んだことに安堵しながらしゃがみこみ、それを拾って顔を上げるとそこにはクロユリ君やハルセさん、そして名も知らぬはちみつ色の髪をした青年よりも見慣れた人物を見つけた。

一瞬あまりにもびっくりしてトレイを落としてしまいそうになったが、私は久しぶりに見るアヤナミさんの姿に心を躍らせた。
まさかたくさん人がいるこんなに広い会場でアヤナミさんを見つけられるとは思ってみなかったのだ。
慣れない高いヒールを履いているせいか靴擦れをおこしている右足が痛かったが、私は嬉々として、アヤナミさんが挨拶を交わし終えた瞬間に駆け寄った。


「アヤナミさん!」


アヤナミさんは私の姿を見つけるなり、珍しく驚いたように瞠目したが、すぐに「こんなところで何をしている」と普通に戻った。
いつものアヤナミさんだったら私が給仕の恰好をしている段階で、ここにバイトにきているであろうことはすぐにわかってしまっただろうが、どうやらまだ内心驚いているようで、平然を保とうとしている彼が何だか人間らしく見える。

アヤナミさんの斜め後ろに立っていた男性が、私を見てニコリとほほ笑んだので小さく頭を下げて挨拶すると、ご丁寧に頭を下げ返された。


「バイトですよー。カフェの店長がこのホテルの経営者と知り合いらしくって誘われたの。」


まさかアヤナミさんに会えるなんて思ってなかった!と笑いかけると、彼も「私もだ。」と頷いた。
お仕事中のせいか、いつもより少し表情が硬い気がする。
それは家で寛いでくれている証拠なんだろうと私は何だか嬉しくなった。
だって他の人が知らないアヤナミさんを私は知っているのだ。
その反面、やっぱりアヤナミさんのことを知らないことが多いのだけれど。


「ねぇアヤナミさん、最近帰ってきてないですけど忙しいんですか?このパーティーが終わったら帰ってくる?」

「あぁ。今日やっと仕事が片付いたと思えばこれだ、遅くなるだろうが帰る。」

「遅くなるって、今日は多分私の方が遅いですよ、片づけもあるし。そうそう、私アヤナミさんを質問攻めにしようと心に決めてるので帰ったら覚悟して、」

「アヤナミ参謀、ミロク元元帥が別室にてお呼びです。」


急に現れた軍人さんが義務的にアヤナミさんを呼んだ。
『アヤナミ参謀』と。

私はさっきまで浮かべていた笑顔がスッと消えていくのを感じ、目を丸くする。
アヤナミさんはそんな私を見て小さく息を吐き出し、若い軍人さんに頷くと下がるように命じた。
その間私は頭が真っ白で必死に状況を理解しようとしていたが、「名前」とアヤナミさんに声を掛けられても尚、思考は追いついていないままだ。


「…今の人、アヤナミさんのこと参謀って。…人違い……」

「そんなわけがあるか。」

「じゃぁ…、」


こんな時に思い出す。
アヤナミさんと出会った時のこと、そしてそれからの会話を。


「アヤナミさんは…あのアヤナミ参謀……なの?」


彼は何度も言っていたはずだ、自分は、


「…あぁ。」


参謀だと。


私を見下ろすアヤナミさんは眉を顰めており、知らなかったとはいえ、参謀が死んでしまえばよかったのに。と言ったことを思い出した私は、そんな彼を見上げながらボロボロと泣きだした。
バイト中だとか、化粧が崩れるとか、そんなことは気にも留めずに「うわぁぁぁん」といつものように泣き始めると、周囲はもちろん何事だとこちらに目線を向けたが、泣かしているのが参謀だと気付くと、人は避けるように目を逸らした。
しかしそんなことも気にしていない私は更に泣き続ける。


「なんでっ、ちゃんと教えてくれなかったんですかぁ!っぐ、ぅ、ええぇぇん!知ってたら私、私、あんなひどいこと…うわぁぁぁん!!」

「相変わらず子どものような泣き方だな。」

「子どもって言われたぁぁぁあぁ、ふぇえぇぇ、えぐっ、ぇぇええぇぇぇん!!」

「悪かった、悪かったから泣くな。」

「アヤナミさんは私に優しくしてくれてばかりで、一度もアヤナミさんに傷つけられたことなんてないのに、それなのに私は、アヤナミさんのこと、」


世の中、知らないことがたくさんある。
知っておいた方がいいこと、知らない方がいいこと、それは様々だが、無知は言い訳にしかならないのかもしれない。


泣きじゃくっていると額に鋭い痛みが走り、私は額を抑え、痛みに悶える。
でこぴんされたのだと気付くのにはさほど時間はかからなかった。


「んなっ!何するんで、」

「生憎と鶏娘に傷つけられるような繊細さは持ち合わせていないのでな。」


勘違いしているようだから目を覚まさせてやったまでだ。とアヤナミさんはやれやれとばかりに肩を竦める。
その仕草に救われたような気分になった私は、胸の高まりを感じながら頬を伝う涙を手の甲で拭った。


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