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カツラギ、彼女を別室へ案内してくれ。すぐ戻る。そう言ったアヤナミさんは背を向けてどこかへ行ってしまった。
きっとミロク元元帥のところだろうと想像に難くない。

飄々としたアヤナミさんの様子にすっかり落ち着いてしまった私は、別室へ私を連れて行くように告げられたカツラギさんに「あ、あの、もう私大丈夫です。」と辞退しようとしたが、彼は柔らかく微笑んで私の背中に手を当て歩くように促す。


「えぇ、そのようですが、どうぞこちらへ。少しお話しましょう。あの場では人目に付きすぎますから。」


物腰柔らかい雰囲気だけでなく、声や仕草も柔らかくて妙に安心してしまうが、心の奥の方でアヤナミさんに側に居て欲しかったと思ってしまう私は随分と欲張りなのかもしれない。
促されるままにパーティー会場から少し歩いたところにあるゲストルームへと連れていかれた。
ここは確か参謀用に用意した部屋だったはずだ。
他にも元帥、元元帥、上級大将と高官の方々にのみお部屋を用意したゲストルームのその一室に入り、3人掛けのソファに座れば思いのほかふわふわしていて落ち着かなかった。
私はバリバリの庶民なのでこんな沈むようなソファは合わないらしい。
お部屋を用意されるだけの地位ある人と暮らしていたと実感していた私は、やっとカツラギさんに見られていることに気付いた。


「あ、あの、」

「申し遅れました。ブラックホークで大佐をしております、カツラギと申します。」


丁寧な挨拶に、私も慌てて立ち上がって「名前=名字です。」と今更な自己紹介をすると、座られたままで結構ですよ。と微笑まれ、またソファに腰を下ろすとカツラギさんも少し間を開けて同じソファに腰を落ち着けた。


「アヤナミ様とルームシェアをなさっていらっしゃるとか。」

「…はい。」


一般人の小娘が参謀とルームシェアなど身の程を知れ!!と言われるかと内心ビクビクしたが、どうもこの人が人を罵る姿を想像できなくて真っ直ぐに彼を見つめていると予想を裏切る言葉が告げられた私は目を丸くした。


「やっとお会いすることができました。実はずっとアヤナミ様がルームシェアをなさっている方にお会いしてみたかったのです。こんなに可愛らしいお嬢さんだったとは。」

「へ?あ、いや、そんな……ど、どうも…。」


可愛らしいとか言われてしまった。
お世辞とわかっていても女としてはやはり嬉しい。


「貴女がアヤナミ様にあんなにやわらかい表情をさせてくださっているのですね。」

「はい?」


さっきから飛んでくる予想と反する言葉に私はつい素で返事を返してしまったが、カツラギさんは全く気にも留めていないようでニコニコと微笑むばかりだ。


「貴女と出会って、アヤナミ様は少し表情豊かになられたように思います。ありがとうございます。」

「私、お礼を言われるようなことは、」


そうだ、だって私はアヤナミさんを傷つけてしまった。
あんなにやさしい人を…。


「私は…アヤナミさんを傷つけるようなこと言ってしまったんです。さっきは私なんかに傷つけられるような繊細さは持ち合わせていないとか言ってたけど、あんなこと言われて傷つかないはずないです。」


死んでしまえばいいなんて言葉、今思えばぞっとする。
あの時の私はどうかしていた。
あんな口に出してはいけない言葉を言ってしまうなんて。
しかも知らなかったとはいえ本人に向かって…。


落ち着いていた涙腺がまた緩くなるのを感じていると、そっとカツラギさんからハンカチが差し出されたが、私はそれを首を横に振ることで拒否した。


「私、カツラギさんに優しくされていいはずないんです。だって大切な仲間であるアヤナミさんを傷つけて、」

「アヤナミ様が貴女を大切になさっている、ただそれだけで私は貴女を大切にする理由になります。ですからどうか受け取ってください。」


右手を優しく掴まれたと思えば、その掌にハンカチが握らされた。
触り心地のいいハンカチの高級感を感じながらそれを目じりに当て、彼がアヤナミさんを敬愛しているのだと強く印象を受けていると、ノックなしに開かれた扉からは最近はすっかり見慣れてしまったクロユリくんやハルセさん、それとはちみつ色の髪をした青年が入ってきた。


「やっぱり名前だった!ね、ハルセ、名前だったでしょ?」

「…はい。」


子どものような泣き声にまさか私だとは思っていなかったのだろう、ハルセさんの驚きっぷりから悟った私は借りているハンカチで、恥ずかしさから頬を抑えた。
自分でも泣き方が子どもっぽいと自覚はしているんだけれど、こればかりは昔からの癖で中々治らないのだ。


「クロユリ中佐、お知り合いですか?」

「うん。前に街でね。アヤナミ様とルームシェアしてる女がどんなやつか試しに行ったんだ。ほら、アヤナミ様のルームシェアの相手だよ。」


今聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がした。
そうか、クロユリ君は全部知っていた私に近づいたのか…。
だから私がルームシェアをしていると知っていたのね。
……ちょーのーりょくしゃなんかじゃなかったのかと若干肩を落とした。

そしてあれは試されていたのか…と思うより早く、試されて今仲良くなったということは何かしらが合格したのだろうが、私の何がクロユリくんの中で合格だったのかさっぱりわからないと疑問が浮かんだ。
しかし今更、しかもこの雰囲気の中聞く勇気は今の私には出なかった。
だってはちみつ色の髪をした青年が言ったのだ。
『クロユリ中佐』と。
どう考えてもこの流れだとクロユリくんはブラックホーク所属で、その部下であるハルセさんもそのはずだ。
その上、この場にはちみつ青年がいるということはこの青年も必然的にブラックホークということになる。

私は知らず知らずのうちにブラックホークの人たちと知り合いになっていたらしい。
もう駄目だ。
自分の無知さと鈍感さに眩暈さえしてくる。


「あれ?コナツさんヒュウガ少佐はどうなさったんです?一緒ではないんですか?」


ハルセさんから発せられた言葉からはちみつ青年がコナツという名前だということを知り、そしてまだブラックホークの人がいるんだと冷や汗を流した。
知り合いじゃないと良い。切実に。


「少佐は『パーティーなんて面倒くさーい。後はよろしくねコナツ☆』とおっしゃってパーティー開始とほぼ同時に帰られました。」


……なんかすごい人がまだいるようだ。
呆れたような表情をするクロユリくんや、うんざりとしているコナツさんの様子から、サボりの常習犯だということが伺える。

この何とも言いにくい静寂を破るように、話を終えたらしいアヤナミさんが部屋に足を踏み入れた。


「大人数だな。ヒュウガはどうした。」


そこまで言ったアヤナミさんだったが、皆の顔を見るなりすぐに眉を顰めて「あの馬鹿め」と小さく呟くなり私の名前を呼んだ。


「名前、帰るぞ。」

「え?あの、バイト中…」


今更な気もするけれど、というか色んな衝撃的事実にすっかり忘れてしまっていた。
きっと今日の出来事は私の一生涯の内、とてつもなく驚いた一日となるだろう。


「あんな場所で号泣すれば誰だって「帰れ」と言うにきまっているだろうが。了承は得てきたから安心しろ。」

「……バイト代…。」

「半額は出すそうだ。」


半額か。
後1時間もしたらこのバイトも終わって全額お支払いただけると思っていたのに…半分以上働いたのに半額…。


「…う、うぐっ、」

「泣くなよ。自業自得だ。」


世の中って世知辛い。
あんな大騒ぎ起こしておいて半額もらえるだけマシか。

涙を必死に堪えながら、私はようやく座り心地の悪いソファから腰を上げた。


「すみません、お騒がせしました…。」


ブラックホークの方々に小さく頭を下げた私は、すでに部屋を出ようとしていたアヤナミさんを追いかける。
途中、自分がまだ制服だということに気付いた私はアヤナミさんに10分だけ待っててください!と告げてスタッフルームに駆け込み、支配人に今回の騒動を謝り倒して、カツラギさんから借りっぱなしのハンカチを洗濯しなきゃと一人ごちながら急いで着替えた。
支配人には絶対怒られると思っていたのに、『あぁ、いいよいいよ。君も不運だったね、あの参謀に目を付けられるなんて』と言われた時には罪悪感に苛まれた。
だってほんの少し前までは私もアヤナミさんのことを悪く言っていた人物の一人なのだから。


「おまたせしました!」


ホテルのラウンジで待っていたアヤナミさんに近寄ると「何か食べて帰るか」と誘われた。
私はバイトしていたから確かにお腹空いているけど、アヤナミさんはパーティーで食べたのではないだろうか。
そんな疑問が顔に出ていたのか、私が問いかけるよりも早くアヤナミさんは「挨拶ばかりで酒しか口にしていないのでな。」と教えてくれた。


「何が食べたい。」

「アヤナミさんが食べたいものでいいよ。今日くらいは私が奢るからね。」

「遠慮しておく。バイト代減らされたやつに奢られるほど金には困っていない。」


それを言われるととても弱いんですが…。と遠い目をすると、アヤナミさんは小さく笑って「大人しく奢られておけ勤労学生」と私の頭を一度だけポンと撫でた。
再度何が食べたいか聞いてきたアヤナミさんに「じゃぁハンバーグ」と返し、彼と並んで夜道を歩きながら話を切り出す。


「あのね、アヤナミさん、私、」


先ほどから先日の言葉に対する謝罪のタイミングを探していた私がやっと見つけた好機だったのに、アヤナミさんの「怖くないのか?」という言葉に遮られてしまった。
何のことかイマイチ理解できなくて、「何が?」と問い返すと「私が参謀だと知っただろう?
先ほどもブラックホークの人間と同じ部屋に居ても怯えている様子はなかったが、どうなんだ。」という言葉が返って来たが、私はその質問に「うーん…」と口元に手を当てて悩んだ。


「それが実は全然怖くないんだよね。アヤナミさんは私に怖い一面なんて全然見せたことないし、クロユリくんは出会いこそびっくりしたけどかわいいし、ハルセさんは優しくてカツラギさんは物腰柔らかい紳士でしょ?コナツさんはカフェ向かいにあるお花屋さんの店員さんに恋してる姿とか見ちゃってるからなー。なんか和んじゃって。少佐って人は知らないから、どうなんだろ、今のところ怖くはないかな。むしろさ、」


私は一度言葉を切り、隣を歩く彼の袖を小さく掴み、視線を地面へと落とした。

どうしてアヤナミさんは私にこんなにも優しくしてくれるんだろう。
私は彼を傷つけてばかりなのに。


「私のこと嫌いになってないの?」


そんな私の問いに、アヤナミさんは掴まれている袖を振りほどくことなく、むしろその手を包むようにして握られた。
その仕草に驚いた私は、地面から彼へと視線を上げる。


「嫌いになど…。」


切ない瞳で私を見下ろすアヤナミさんに動機が激しくなる。
私は彼を傷つけて、そして今謝っている最中なのに、ひどく心臓がうるさくて握られている手に熱が籠っていく。


「大体お前はどうなんだ。怖くはなくても、お前の両親を間接的にとはいえ殺した相手なんだろうが。」

「え、あ、えっと……多分それ、違う、でしょ??半年近くアヤナミさんと過ごしてる私だから言えるんだけど、なんとなく違うかなって。」


アヤナミさんを知らないままの私なら参謀が仇だとずっと思っていただろう。
だけど私はアヤナミさんのことを知ってしまった。
彼が部下に尊敬されていて、真面目で、そしてこんな小娘一人にも実は優しいんだってこと。
全く知らないとばかり思っていたけれど、そうじゃなかった。
私は彼を、彼の真実を知っている。


「根拠がないな。」

「うん、でもまぁ、そうかなって。アヤナミさん優しいし。」

「そんなことを言うのはお前くらいだ。」

「実際はどうなの?」

「優しいわけあるか。」

「そうじゃなくて。…私のお父さんとお母さん殺したの、アヤナミさんじゃないよね?」


根拠のない私の自信が外れていませんようにと願いを込めた瞳で彼を見つめる。
その願いが叶ってか、真面目な彼らしく私の瞳を逸らずに「あぁ」と頷いた。


「しかし私の監督不行だ。強ち間違っては、」

「あーよかった!!私アヤナミさんのこと好きだから安心しちゃったよ。殺されたのはやっぱりまだ悲しいけど、でも、殺したのがアヤナミさんじゃなくてよかった。」


肩の荷が下りたような安堵感が胸を占め、私はごく自然と彼に握られている手を握り返した。
何故か彼は驚いたように足を止めてしまったが。


「アヤナミさん?」

「…お前は一度自分の言葉を胸中で確認してから発するといい。」


ため息を吐きながら言ったアヤナミさんの言葉から、なんか言ったっけ、と自分の言葉を心の中で繰り返し、動きを止めた。
ついでに息も。


「どういった好意かはわからぬがな、都合よくとらせてもらう。」


友人として好きなのか、恋愛の好きなのか。
頬を赤く染めている私の好意がどういう好意かわかっていないはずないくせに、アヤナミさんは私の肩に手を置くと整った顔を近づけ、そっと唇に触れた。


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