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私の体温より低い体温がゆっくりと離れていく。
触れるだけのキスだったといえ、唇にあった温もりが離れていくのを少しさみしく感じた。

今起こったことが頭の中で処理できずに直立不動でいると、肩に置かれたままのアヤナミさんの手が私の頭に軽く乗った。


「…え、あ、アヤナミさんって私のこと好きなの?!?!両想い?!?!え、嘘だよね?!冗談だよね?!」


思考が働き始めた結果、最初に出てきた言葉はこれだった。
何とも雰囲気を壊す発言だったが、頭の中で整理できていない事柄を必死に整理しようとするので精一杯だったのだ。
アヤナミさんはそんな私の様子、というより発言に小さくため息を吐くなり「嘘でも冗談でもないのだがな。」と歩き始めた。
私はそんなアヤナミさんの隣に並んで歩くと、「いつから?!」と聞いてみたが、彼は「さぁな。」とはぐらかしてばかりで結局答えてはくれなかった。


「少なくともお前よりは前からだ。そんなことよりお前はいつから私を、」

「アヤナミさんが帰ってこなくなった辺りからかな。」


正直寂しかった。
いつの間にか側にいないと寂しいと感じるほど、私たちは近くにいたのだと実感する。


「そうか、寂しかったのか。」

「だ、誰もそんなこと言ってないよ!」




***




「ずるいなー。ずるーい。ずーるーいー。」


パーティーから一夜明けた今日、急に参謀長官室に入ってきたと思えばソファに座り、何やら駄々を捏ねはじめた。
いい年した男が駄々を捏ねる姿など見てもただうるさく気持ち悪いだけなのだが、ヒュウガはそのことを知っていながらもわざと「ずるいー」と連呼するばかりだ。

構ってやる気などさらさらなく黙々と書類に目を通していると、ヒュウガは『ずるい』から『いーなー』に切り替えた。


「いーなーいーなー。オレ以外は『名前ちゃん』に会えたなんていーなー。ずるいなー。」


何を言い出すかと思えば、どうやら名前絡みのことらしい。
確かにヒュウガ以外は昨晩顔を合わせているが、何が『いい』のか何が『ずるい』のか理解しかねる。


「貴様が悪いのだろうが。パーティーを初っ端から抜け出さなければ会えたはずだ。」

「だってパーティー気分じゃなかったんだよねぇ。今日は帰るの?明日休みだから帰るよね?」

「さぁな。」

「つれないなぁ♪」




***




恋人…でいいのよね。


20時を過ぎた時計を眺め見ながらそろそろ帰ってくるであろうアヤナミさんのことを考えていた。
昨晩の件があってもアヤナミさんはそれからいつもと同じ様子だったし、私も少し浮かれてはいたものの特にあの後何かあったわけでもない。
キスしたんだし、あの会話から察するに私たちの関係はシェア仲間から恋人同士になったのだが、如何せんイマイチ実感が湧かない。
しかし異性と付き合うのが初めてなわけでもないのに、どうしてこうも私はアヤナミさんが帰ってくるのをそわそわして待っているんだろう、とか思ったりもするわけで。

ぐ〜。と情けなく鳴るお腹に手を当てていると玄関の方からガチャリと鍵が回る音が聞こえ、私は一秒でも早く何か食べたいと訴えるために玄関へ繋がる廊下から顔を出した。


「ママーンおかえりなさい!私お腹減ったよー!」

「ぷっ!ママン?!?!ママンって誰?!?!」


玄関にはアヤナミさんだけではなく、もう一人、長身の男性が立っていた。
サングラスをかけたその男性は吹き出すように笑い、アヤナミさんの肩をバシバシと叩いているが、叩かれている本人は至極不愉快とばかりに眉間に皺を寄せている。


「ヒュウガ、貴様もう帰れ。名前を一目見るのが目的なら達成できただろうが。」


アヤナミさんは何やら文句を言っているが、私は今のやりとりを他人に聞かれたことが恥ずかしくて大げさに両手で顔を隠した。


「ギャー恥ずかしいー!誰!そのグラサン誰―?!」

「勝手についてきたんだ。追い払え。塩も持ってこい。」

「アヤナミさんにできないのに私にできるとでも?!?!」

「オレヒュウガね。君のママンの旦那だよー。」

「おぉ!パパン!」

「アヤたんこの子ノリちょーいいんだけど!」


アヤナミさんが追い返そうとしているのにもかかわらず、家の中に入ってきたヒュウガさんの発言に私は一瞬目を丸くした。


「…アヤ…たん?」

「うん、アヤたん♪」


それってアヤナミさんのことだよね??
どう考えてもそうだよね??

体の奥底から何かが込み上げてくる。
今すぐ笑い転げたい衝動に駆られながらも、私は右手で口元を抑えた。


「ぷっ!アヤたんだって!ぷぷぷ!!その顔でアヤたん!かっわいー!」

「名前、お前も表へ出ろ。」


アヤナミさんの声色が変わったことに気付いた私は、気を取り直してヒュウガさんに「名前です」と名乗った。
すでに知っていたようだが、彼が名乗っているのに私が名乗らないのもおかしな話だ。

リビングのソファへと腰を落ち着けた2人にお茶を出した私はラグの上へと座り、未だ『帰れ』『ヤダ♪』『帰れ』『ヤダ☆』のやり取りをしている2人に苦笑した。

どうやらこのヒュウガさんがブラックホークの少佐のようだ。
先日のパーティーでは会うことができなかったが、まさかこの家でお会いすることになろうとは。
ヒュウガさんのアヤナミさんに対する馴れ馴れしさといい、二人はだいぶ仲良しさんのようだと思ったが、テーブルの下に置いてあった『馴れ馴れしい部下の上手な育て方(上級編)』というアヤナミさんの本を視界に捉えた私はそっとブランケットを掛けて隠してあげた。
恐らくこの本をアヤナミさんが読むのはこのヒュウガさんが元凶であろうことがすぐにわかってしまったのだ。


「名前ちゃんアヤたんに如何わしいことされたりしてない?!」

「さ、されてないですよ!」


つい先日まではただのルームシェア仲間だったのだから、そんなことがあろうものなら契約解消ものだ。
アヤナミさんのためにも首を横に振って否定するが、ヒュウガさんは何が面白いのか「本当に??」と聞いてくる。
その言い方だと、どちらかといえば『何かあった方が面白い!』という風にとれなくもない。


「襲われそうになったら殴っていいんだからね。」


いや、参謀は殴れんでしょ。
絶対あっさりと避けられてしまうに決まってる。
それか3倍返しか…。
報復が恐ろしくてたまらない。


「あぁ、そういえば名前はブラックホークなんぞ簡単に倒せるらしいぞ。」

「あれは物の例えだよ!」


いつの話を持ち出しているんだ!と声を大にする。
出会った初日の会話を未だに覚えている上に、引っ張り出してくるとは意外にネチっこい性格をしているのかもしれない。
私の鶏娘もそうだが、アヤナミさんもよっぽどだ。

平然としているアヤナミさんと私で遊んだヒュウガさんは満足したのか、それから1時間後には嵐のように去って行った。

なんだろう、あの人としゃべるの楽しいけど疲れるや…。と呟くと、アヤナミさんには「楽しくはないが、疲れるという点に置いては同意できるな」と頷かれた。


「名前、コーヒー。」

「夜眠れなくなるよ。」

「子どもか私は。」


しっかりとツッコんでくれるアヤナミさんに笑いながらコーヒーを淹れてカップを手渡す。


「なんかこんなやりとり久しぶりだよね。なんか嬉しい。」


へへ、と笑えば、アヤナミさんは何を思ったのかコーヒーをテーブルの上に乗せるなり私を手招きして隣に座らせ、腰に腕を回して引き寄せてきた。


「ぅ、ぉ、ちょ、っ、コーヒーっ!コーヒー零れるっ!!」


危ない危ない!と慌てていると、アヤナミさんは私の分のコーヒーまでもテーブルの上に乗せてしまった。


「アヤナミさん??」


一体彼が何をしたいのかわからず、どうしたものかと見上げると首筋に顔を埋められてしまった。
埋める時にアヤナミさんの唇が頬を掠めたのは気のせいだろうか…、それともわざとしたのだろうか…。
それにしても家でべったりしてくるアヤナミさんというのも非常に珍しい。
こんなこと初めてじゃないだろうか。


「ココココーヒー冷メマスヨ??」

「わかっている。」


返答は返ってくるものの動く気がないらしいアヤナミさんに、私は一体どうしたらいいのかと、両手を行き場なく彷徨わせていた。
わかっているという返事が返って来たのにも関わらず動かないということは、しばらくこうしていたいということなのだろうが、首筋にかかるアヤナミさんの息がくすぐったくて、触れてる体温が生々しくて、私は彼の肩口を握るので精一杯だった。
まるで恋愛初心者のような初心な自分がまだいたことにびっくりしつつ、私なりにだが出来る限り彼を受け入れていると、ピンポーンというチャイムと同時に「アヤたーん!ごめーん忘れ物しちゃった☆」という声が聞こえて苦笑していると、アヤナミさんからはため息が漏れたと思えばペロリと首筋を舐められた。


「ぅぎゃっ!!い、いま、なめっ、」

「食べ損ねたな。」


何をですかー!!!


ちょっとどころじゃなく、かなり手出すの早いですけど!!と内心叫びながら顔を真っ赤にした私は、彼の腕の中からあたふたと逃げるように玄関へと向かい、勢いよく扉を開けた。


「ヒュウガさん!けーさつ!警察呼んでください!セクハラされましたっ!!」

「仲良しだねぇ♪」

「そんなのほほんとしてる場合ですか!上司が花の女子大生にセクハラしたんですよっ!重罪です!」

「うんうん、まずはその赤い顔どうにかしてから言おうね♪」

「…してますか、赤い顔。」

「してるねぇ。仕方ないよ、アヤたんむっつりだか、っぶっっ!!!」


背後から『馴れ馴れしい部下の上手な育て方(上級編)』が飛んできました。


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