END
「な、んで…」
今目の前で踵を返した男は何故私に背を向けたのだろうか。
驚きと動揺で声を出せないでいると、元彼は「名前?」と様子がおかしいことに気が付いたのか私の顔を覗き込んできた。
しかしそんなことどうでもいいとばかりに無視だ、無視。
日頃傲慢不敵なくせに(ヒュウガさん談)、何故こういう色恋はからっきしなんだ。
もしかして意外とヘタレ?
ヘタレなのか??
だからって何も言わずに背を向けなくってもいいじゃないか。
驚きが沸々と怒りに変わってくるのが自分でもわかる。
「アヤナミさんの…、アヤナミさんのヘタレぇぇぇー!!!」
肩に置かれている元彼の手を振りほどき、私は運動神経皆無にも関わらず、自分でも拍手を送りたくなるくらいの見事なドロップキックをアヤナミさんの背中へとかました。
そのまま地面へとこんにちはしたアヤナミさんの胸ぐらを掴み、仰向けにすると「何でどっか行こうとしてるの?!?!」と胸ぐらを掴んでゆさゆさと揺さぶる。
大通りで軍人の男に一般のか弱い女性が押し倒しマウンドを取っている姿を第三者が見たら一体どう思うかなど構うものか。
「別れてしばらく落ち込んでいただろうが。選ぶのは名前、お前だからな。」
揺さぶられるのが気に食わないのか、それともドロップキックが気に食わないのか、恐らくこの状況すべてが気に入らないのであろうアヤナミさんは私の手を掴み、揺さぶるのを止めさせるなり淡々と告げた。
この人は私のことを何もわかっていない。
「そりゃぁ別れた直後はそうだったけどさ!!今は、今は…」
アヤナミさんが大好きなの!!
アヤナミさんが私の元から去らないように必死に想いを叫ぶと、彼は「だそうだ。」と私の背後へ向けて不敵に笑った。
その視線を追うように振り向くと、すっかり存在を忘れていた元彼は罰が悪そうに私を見た後、無言で去って行った。
……あれ、ハメられた??
瞬きを数回繰り返しながら目を丸くしていると、アヤナミさんは立ち上がるなり、腰を抜かしたように地面に座り込んでいる私の腕を引っ張って立ち上がらせると、よく言えましたとばかりに頭を撫でてきた。
「私がこういう行動に出るって、わかってましたね。」
「名前はわかりやすい。それに行動も読みやすいから助かるな。」
前言撤回、この人は私のことをわかりすぎているようだ。
***
「わー!なんか豪華!」
本来なら一般人の私では到底入れない場所に入れたことに喜びと物珍しさからキョロキョロと見回すと、アヤナミさんは如何にも座り慣れたとばかりに自分の椅子に座った。
「機嫌は直ったようだな。」
アヤナミさんにいいように振り回されていたとわかった時点で私はすぐに頬を膨らませたが、ドロップキックをかました時に負ったのであろう擦り傷を手当てしてやる、と軍にある参謀長官室に招かれた時には私の怒りはすっかり収まっていた。
しかし、そのことをあっさりと悟られたことが悔しくて、「そんなことないけど」と『ふん』とそっぽを向いてみる。
そんな子供っぽさを見せた私に、アヤナミさんは苦笑してソファへ座るように勧めるると同時に、救急箱を持ってきたカツラギさんが参謀長官室に入っていた。
長官室に入る前に通ったブラックホークの執務室でカツラギさんにこの怪我のことがバレてしまい、早急に救急箱を取りに行ってくれたのだ。
「すみませんが怪我しているところを見せてください。」
私が一応これでも女性なのを気遣ってか、『すみません』と断りを入れる紳士なカツラギさんに、「私の方こそすみません、お手数おかけします」とソファに座り、右膝と右肘を見せた。
血はすでに止まっており、軍に来るほどまでもない『舐めておけば治る』程度の擦り傷ではあるのだが、『どうせ帰っても手当てしないだろうが』と、アヤナミさんが断固として譲らなかったのだ。
「皆さんはいつもここでお仕事してるんですね。」
「えぇ。何か物珍しいものでもありましたか??」
「建物に入るのにパスワードを解除するのって面倒そうだなとか思いました。」
「同感です。少々沁みますが我慢してくださいね。」
手当てされている姿といい、今の言葉といい、一体私はこの人にどれほど子ども扱いされているのかと内心苦笑してしまったが、この歳にもなってガキんちょ並みの怪我を負った自分では説得力も何もないので黙って頷く。
カツラギさんは消毒を済ませるとカットバンを張ってくれて、それはもう馬に蹴られる前にとばかりに早急に参謀長官室を後にしてしまった。
お礼こそ言えたが、あまり長く話せなかったなーと思っていると、「名前」とアヤナミさんに名前を呼ばれた。
「何??」
彼は自分の席から私の向かいのソファに腰を掛けると、手にしていた数枚の紙をテーブルの上に乗せた。
「うぁ…一等地のマンション……。」
何この無駄にでかくて煌びやかなマンションは。
見上げるのに首が痛くなりそうだよ。
私には一生住めないような、
「引っ越そうと思うんだが。」
「へ?!?!」
アヤナミさんの口から飛び出した言葉に、私は目を飛び出さんばかりに驚いた。
しかしよくよく考えてみれば、アヤナミさんの地位は参謀で、それなりに…というか結構なお給料をもらわれているようですし、おかしな話ではない。
「来月で今借りている部屋も契約が切れるだろう?」
アヤナミさんの言葉に頷き、私は手にした家の見取り図を見下ろす。
こんな広い家に住むなんて、やっぱりアヤナミさんはすごいと感心する。
来月で彼とルームシェアを初めて1年が経つのは気付いていた。
気付いていたけれど、もちろん更新するのだと思っていたのに。
アヤナミさんがマンションを借りる。
それはつまり、来月でルームシェアが解消されるということを自ずと告げているわけで。
わ、私は厄介払いされて……
再来月からどうやって生きて行けば……
「何を急に暗い顔をしているのか面白いくらいにわかりやすいな。言っておくが、お前も一緒だ。オートロックのついたマンションならば、少しは私の気苦労も減るというものだ。」
「私もついて行っていいの?!?!」
地の底まで沈みかけていた気分が歓喜で最高潮に上りつめそうになったものの、私はすぐにとある問題に気付いた。
「って、こんな高いとこの家賃半分でさえ払えないし!!」
勤労学生舐めんな!と半泣きで叫ぶと、アヤナミさんはなんでもないことのように「家賃ならいらぬ。」とのたまった。
「ホワイ??」
先ほど飛び出さんばかりに開かれた瞳を、今度はまん丸くさせて目を点にした。
スケールがでかい話で頭が一向についていかないのだ。
それともこんな話は一般庶民の、しかも勤労学生には理解できないようにできているのか。
私のバイト先も、大学も、アヤナミさんが通勤する軍にも近いこのマンションはとっても素敵な物件なことはわかる。
わかるが、
「名前が誘う前は、元より一人暮らしをするつもりだったのだ。この際このマンションを買おうかと思っているんだが、気に入らないか?」
「いやいやいや!!気に入らないとかそういう話じゃなくて!家賃いらないって、なんか私押しかけ女房っぽくない?!それともヒモ?!?!いや、バイトは続けるけど、ご近所さんから変な目で…、」
「ならいい機会だ、私の嫁になるか?」
……
どうしよう。
今日、私アヤナミさんの言ってることが全然理解できない。
この頭の中には脳みそが詰まってないのかも…。
頭を軽く自分で数回小突き、音を確認する。
重たい音がして、『よかった、なんか一応入ってるっぽい』と安心する。
「そ、それは…冗談、とか?」
「私が冗談を言ったことが一度でもあったか?」
「…ない、ですね。」
だろうな。とソファの背もたれに背中を預けた彼は、私の返事を待っているようで待っていないような気がした。
仮にもプロポーズをしたというのに、どこか偉そうだし。
「そのーえっと、そういってもらえるのは嬉しいんだけど、せめて大学を卒業するまで待ってもらえると…」
「そういうと思っていた。」
至極当たり前のように言われて、私は詰めていた息を吐き出した。
何故私の方がこんなにも緊張しているんだろう。
「名前が卒業するまで待ってやる。結婚するまでの間、私の婚約者だと自覚していい加減料理を学んでおけ。」
「花嫁修業期間ですか。」
「そうともいうな。」
私の人生が今日で一気に変わっていくような気がしてならない。
目の前にいる人は間違いなくアヤナミ参謀で、本来なら手の届かない人だったのに。
今はこんなにも近い。
私の人生、これほどまでに目まぐるしく色を変えていいものだろうか。
「家賃もいらないでこんな高級マンションに住もうとか、こ、婚約者とか…至れり尽くせりなんだけど。私ばっかり幸せじゃない?」
私の人生なんて、膨大な歴史からすると1ページにも満たないのだろう。
しかしアヤナミさんと出会ったことにより1ページにくらいにはなったと思う。
「どうだろうな。考え方を変えてみるといい。このマンションに引っ越すとなればセールスなどの気掛かりと気疲れはなくなる上に、名前を私のものにできる。そうでもないだろう?」
自分の方が幸せだといいたいのか、この人は。
それほどまでに私に価値があるのかどうかはわからない。
わからないけど、嬉しくて仕方がない。
「その代わりだ、名前。バイトを一つ減らせ。」
「アヤナミさんにメリットないじゃん、それ。」
バイトを一つ減らすだけで家賃払わなくてよくて婚約者もできるなんて、私によくできた話だ。
全くどこに利点があるのかわからない。
「名前と顔を合わせる時間が増えるというのなら、マンションを購入するのなど安いものだと思っているんだが。」
「ホント、至れり尽くせりだね…。」
「夜はお前に無理させているのだからこれくらいはかまわないだろう。」
「下ネタ禁止!!」
「このマンションからバイト先まで徒歩10分だ。今より20分は起きていられるが。」
「その延びた20分の間に何するつもりですかね。寝させてくれませんかね。」
夜にベッドの上で見る艶のある笑みを薄く浮かべたアヤナミさんは、「約束はできないな」と、ソファから腰を上げてテーブルに右手をつくと、左手で私の頭を引き寄せるなりキスを落とした。
「明日婚約指輪買いに行くか。」
いらない、というのは何だか今の雰囲気には野暮な気がして、やっと落ち着いてきた気分と、冷めてきた頭でこの短時間で起きた全ての言を理解した私は、アヤナミさんの言葉に甘えることにした。
「…うん。」
私には私のできることを。
例え歴史のたった1ページでも、胸を張って生きていけるように。
アヤナミさんとずっと幸せでいたい。
そのためにはとりあえず料理、頑張ろう。
「ねぇ、誰か教えてあげなよ、窓から全部丸見えだって。」
ブラックホークの執務室で呟かれたヒュウガの言葉に、皆は馬に蹴られたくないとばかりにだんまりを決め込んだ。
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