02




「引越しするの?お姉ぇ、また急だね…。」


いつものカフェで窓の外を眺め見ながらボーっとしていた昼下がり。

街を行きかう人々は次々に喧騒の中へと消えていく中、このお気に入りのカフェだけは静かだった。

このギャップが余計にカフェの居心地を良くしてくれて、何だか安心できる。
日頃の仕事のストレスとか悩みとか、そういった感情がスッと軽くなっていく感覚。

そんな感覚に浸り、紅茶を啜っていた私の携帯に着信がかかってきて電話に出ると姉の声。
何ともまた急な話だ。

姉は思い立ったが吉日タイプで思いついたら即行動せずにはいられない。
今回は引越しらしい。


「引越しの手伝いするのはいいけどさ、もうちょっと考えてみたら?」


たまには一つところに腰を落ち着けるのもいいよ?と説得するけれど聞く耳を持たない姉。
誰かこんな姉を貰ってくれる男性が現れてくれないものか。
姉妹揃って恋人なしとは…母が泣く。


「わかったわかった、良い物件見つければいいわけね。はいはい。」


部屋は私に任せるだなんて困った姉だ。と思いながら会話を進め、結局のところ出来るだけ早く私がいい物件を見つけて、それから引越しの手続きをするということに落ち着いた。

電話を切ってテーブルの上に置き、冷めかけの紅茶を一口嚥下した時だ。


「相席いい?」


声をかけられてふと声がしたほうを振り向いた。

今日は平日の昼間だから空いているのにも関わらず相席を申し出てくる男が一人。

サングラスに長身。
そしてやはり好みの顔。

一目見てこの間も相席になった人だと思い出した。


「ど、どぞ。」


空いている席ではなく私の席に座って来たということは、会話をふってもいいのだろうと思った私は、向かい側に座った彼に微笑んだ。


「この間は荷物を持ってくださってありがとうございました。」

「知った顔がいっぱい荷物抱えてフラフラ歩いてるからビックリしちゃった☆」


彼は店員にコーヒーを注文すると、『さて』とばかりに両肘を机の上について組んだ手の甲に自分の顎を乗せた。
こちらを見据えてくる瞳は真っ直ぐだ。


「また会えるとは思わなかったよ。」

「私もです。」


また会えたらいいなぁとは思っていたけれど、まさかこんな平日の昼間っから会えるとは思ってもいなかった。


「今日も仕事休み??」

「そうなんです。」

「じゃぁまたこれから買い物?」

「いえ、今日はお茶だけしに来たんです。本当は家でゆっくりしていようか迷ったんですけど、何となくここに行こうかなって思って。」

「へぇ実はオレも♪」


店員さんが持ってきたコーヒーに砂糖を一杯半入れてかき混ぜる彼に「またすごい偶然ですね。」と相槌を打つ。


「そういえば、今更なんだけど名前聞いていい?」


本当に今更なくらいの質問だ。
確かに私達は他人なわけなのだけれども、偶然とはいえこうして3回も出会っているのに名前さえ知らないなんて。

私はキョトンとした後に、何だか可笑しくて小さく笑って「名前です、名前=名字」と名前を教えた。


「オレはヒュウガ。よろしくね。」


それから私達は少しずつだけどお互いの事を聞いた。
年齢とか、好きなお酒の種類とか、出身地とか、ほんの小さな質問でさえ、これで会うのが3回目な私達には大きな質問で。

この質問をしたらダメかな?とか、この質問をしたら嫌な思いさせないかな?とか、そんな風に相手の表情を見ながら問いかける。

それは私だけではなくて彼も同じで、お互いに傷つけたくない、歩み寄りたいという気持ちがそこにはありありと見えていた。

またそれも私の中で好感に変わり、彼に魅かれてゆくのだけれど。

連絡先、つまりメアドは彼のほうから聞いてきた。
メールしていい?って聞かれた時には速攻で頭を盾に振って連絡先を交換して。
アドレス帳に彼の名前が入ったのを見た時は、それだけで明日の訓練も頑張れそうな気がした。

だけど不思議な事に、私達が一切触れない質問があった。
それは『職業』についてだ。

私から『お仕事は何をしていらっしゃるんですか?』とは聞かなかったし、彼もまた私にその問いかけをしてくることはなかった。

若干不思議に思いながらも、私から問いかけて『じゃぁ名前ちゃんの仕事は?』と問い返されても困るからだ。

極力、この人に嘘はつきたくなかった。
でも彼の心が少しでも私に向いてくれるのなら、と…。
私は結局その問いかけをしなかったのである。


「そろそろ暗くなってきたね。」


ヒュウガさんが窓から空を見上げると、いつの間にか陽が暮れかかっていた。
遠くの空のほうはすでに藍色に染まっているところからすると、もう日暮れは近いようだ。


「楽しすぎて時間忘れちゃってました。」

「オレも。でももう暗いからそろそろ出よっか。」


彼的には暗くてもう危ないからという意味だったのだろうけれど、軍の寮に住んでいる私は外泊届けを出してきていないので、門限までに帰らなければいけなかったため、いろんな意味でそのありがたい気遣いに若干の物足りなさを感じながらも頷く。

まだ軍人として下っ端である私が門限破りをするわけにも行かず、この場はヒュウガさんが奢ってくれるというのでお言葉に甘えてカフェを出た。


「送るよ。」

「え、でも、悪いです。今日は荷物もないですし。」

「もう暗いから。」


一応私は軍人の端くれであるわけで、男の1人や2人簡単に往なすことができるわけなのだが、彼に私の職種を黙っているこの状況でそんな事が言えるはずもなく、しかしまた姉のマンションまで送ってもらうのもいかがなものかと考えていると、ヒュウガさんは私が申し訳ないと思っているのか小さく微笑んでから「一人で帰したら心配だから」と言って姉のマンションへの道のりを歩き出した。

確かに申し訳ないとも思うけれど、ここはヒュウガさんの気持ちが嬉しくて、私は「ありがとうございます」と彼の隣に並んで歩き始めた。


「あ、言い忘れるところでした。ヒュウガさん、ご馳走様でした。」


カフェで奢ってもらったお礼がまだだったと思い出し、急いでお礼を言うとヒュウガさんは首を振ってなんでもないように返事を返した。


「いーよ、これくらい。」

「太っ腹ですね。」

「見返りはちゃんと貰ってるからね♪」


茶化した私はヒュウガさんの言葉に首を傾げた。

見返りなどあげただろうか??
むしろ荷物持ってもらったりして、してもらってばかりのような気もするのだけれど。


「名前ちゃんの笑顔をね♪」


ウインク一つ投げたヒュウガさんに、私は少しの恥ずかしさとニヤけとが入り混じった何とも奇妙な口元を右手で隠し、「キザですね。」とジト目を向ける。


「言葉の割にはニヤけてるみたいだけど??」

「サングラス曇ってるんじゃないですかー??」

「言うねぇ名前ちゃん。」


笑うヒュウガさんにつられて私も笑うと、彼はふと笑うのを止めるなり私の顔を穴が開くほど見つめてきた。


「な、なんですか?」


身長差的に彼の方がすごく私より高いため、結構な威圧感がある。
私はそんな彼を見上げながら首を傾げた。


「んー初めて名前ちゃん見た時は大人しそうなコだなぁって思ってたんだけど、今の名前ちゃんの方が表情がコロコロ変わってやっぱり可愛いなぁって。」

「か、かわ?!?!」


あまり言われ慣れない言葉についどもってしまった。


「でも席に着いた時にはもうコロコロ表情が変わってたから面白いコだなぁって思ったんだけどね。」

「おもしろ…って、全然褒められてる気がしませんけど。」

「そ?オレ的には十分褒めてるんだけどなぁ♪」

「嘘だー。」

「ホントホント♪」


ヒュウガさんに宥められながら到着地点へと辿りついた。
ヒュウガさんからしたら私の家で、私からしたら姉の家なのだけれど。


「送ってくれてありがとうございました。今日お話できて良かったです。」

「メールするね。」

「はい。では。」


お辞儀というのも何だか他人行儀な気がして、私は小さく手を振った。
前回もぎこちなさがあったとはいえ手を振ったのだから2回も3回も一緒だろう。

彼も私に手を振り返してくれたのを見届けて踵を返すと「名前」と呼ばれた。
向き直ると、「名前って、呼んでいい?」と彼が問いかけてくる。

名前を呼び捨てにされただけなのに、何だか今よりもっともっと私達の距離が縮まった気がして、私は嬉しくなった。


「もちろんです!じゃ、じゃぁ!私もヒュウガって呼んでいいですか?」


彼は少し驚いたように両目を軽く開いて見せたけれど、すぐにいつものように笑った。


(お姉ぇ。また遊びに来たよー。)
(おーおー姉のマンションの前で男とイチャつくたぁ姉として恥ずかしいよ。)


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