03




「少佐!一体今までどこ行ってたんですか!」

「今日はお日様がお昼寝しないとダメだよって!」

「あからさまな嘘つかないで下さい!」


ヒュウガがいつものようにサボりから帰ってきた。
それをコナツさんが怒るという風景を横目で見て、私はペンを走らせる。

昨日の今日だというのにヒュウガはいつも通りだ。
切なげなヒュウガなど欠片もない。
本当にいつも通り。

昨日のヒュウガは一体誰だったのかと記憶を疑いたくなるほどだ。

付き合っていた2年間の中でもあんなヒュウガは見たことがない。

ヒュウガは怒るというより拗ねることが多かった。
逆に怒る私を上手く慰めるくらいだったのに…。

それにあの切なそうな声。

うるさいくらいに明るくて優しいこの人に私があんな声を出させた。
表情こそ見えなかったけれど、今の私にはあの声だけで十分だ。

それだけで、こんなにも苦しい。

だけど私以上に…


「あだ名たん、コーヒー淹れてくれる?」

「…ぁ、はい…」


良いのか悪いのかわからないけれど、いつも通りなのが逆に怖いような気がしなくもない。


コーヒーメーカーに入っているコーヒーをカップに注いで、砂糖を一杯半だけ入れて「お待たせしました。」と彼の机に乗せると、「ありがと♪」と受け取ったヒュウガの指と私の指が微かに触れた。
が、ヒュウガがサッと指を離して何気ない顔でコーヒーを啜る。


避けられている。

どこがいつも通りなものか。
いつも通りに見えるだけじゃないか。

絶対今のはわざと避けられた。

ほんの少し指先が触れただけであんなにあからさまに避けなくても…。と内心ショックを受けながら私は自分の椅子に座った。

するとヒュウガの視線を感じて、顔を上げると気のせいではなかったようで視線が絡み合った。

彼が今何を思っていて、何が言いたいのかさっぱりわからない。

責めるならいっそのこととことん責めてくれたほうが楽かもしれない。
私が彼を嫌いになるくらい責めてくれたら…。


人が人を嫌うことは容易い。
人と人がわかりあう事の方が難しいから、人は楽な方へと逃げていく。

私も、いつも楽な方へ逃げている。

別れる時も、今も。


私は彼から先に視線を逸らして書類に目線をやった。
その数秒後にまた彼を見たけれど、彼はもうコナツさんにちょっかいを出していた。

噛みあわない関係が辛いと思っているのに、嫌いにはなれない。
むしろまだ…

っ、


ヒュウガをボーっと見ていたら、今度は彼がこちらに視線をずらして来たので私はまたサッと視線を書類に向けた。


噛みあわない、もどかしい距離。
付き合う前より遠く感じさえする。


気分が堕ちている私は、何か飲もう…と腰を上げた。


コーヒーをカップに注いでいると、ポケットの中に入れている携帯が震えた。
メールか電話か。

ポケットから取り出すと、母親からの着信だった。


「もしもし、何??」

『あ、名前?あのねーお母さんね、いい縁談見つけてきたのよ〜。』

「…は?」


テンションが落ちている私とは正反対なくらいテンションが高い母の言っている意味がわかりかねる。


「名前ったら少し前彼氏と別れたって言ってたでしょ??結婚から遠ざかったんだから、今度はお母さんが一肌脱ごうと思って。」

「え?ちょっとお母さん??良い縁談ってもしかしてお見合い?!?!」

「そうなのよ〜。名前も結婚適齢期でしょ?だからお母さん心配で心配で。」

「いやいや、私のことは私が決めるし。」


特に結婚とかそういうものは自分でちゃんと決めたい。
…とか偉そうな事思ってるけど、最近その選択に失敗したんだけどさ。


「ゴホッゴホッ。もうお母さんも長くないんだから、死ぬ前に早く孫の顔が見たいわぁ〜、ゴホッ、ゴホゴホッ、」


嘘つき!
この前実家帰った時かなりノリノリでカーヴィーダンスやってたじゃん!


「あのね、私お見合いは、」

「ってことで、遠い親戚の子に丁度名前の年齢より少し上の子がいるから、絶対お見合いしてもらいますからね。」

「いやいやいやいや!お母さん、だから私お見合いは、」


イヤだって!という前にブチッと一方的に電話が切られた。

どうしてあの母親は人の話を最後まで聞かないんだ。と憤慨しながらポケットに携帯を直そうとして気付いた。


「名前、お見合いするの?」


空のマグカップを手に持ったクロユリ中佐がすぐ側に立っていたことに。

さすが中佐、気配ないですね!と尊敬すると同時に聞かれたくなかった話を聞かれて私は慌てて携帯をポケットにしまった。


「し、しませんよ。中佐はココアのおかわりですか?」

「うん。」

「できたら持って行きますから座っていてください。」

「わかった。」


給湯室から出て行くクロユリ中佐の小さな後姿を見ながらホッと息を吐いた。

…口止め、しておくべきだっただろうか。

ヒュウガに私がお見合いするとかどうとか言ったりしないだろうか。
もし言ってしまったら『オレより仕事(アヤナミ様)を選んだのに結婚??』とか何とか、あらぬ誤解が……って、もう関係ないか。

私達、別れてるんだから。


だからと言って母親の言う通りにお見合いするわけではない。


「恋愛はもう当分いいや…」


今は仕事に夢中になっておこう。
それが一番楽だもの。


クロユリ中佐のココアを作り、私のコーヒーを淹れて執務室に戻ると変わらぬ空気にホッとした。

どうやらクロユリ中佐は何も言っていないようだ。


「クロユリ中佐、お待たせしました。」

「ありがとー名前。」


ココアを渡してまた自分の椅子に座る。
ヒュウガからの視線をまた感じたけれど今度は顔すら上げなかった。

それから熱々のコーヒーが冷めて定刻になるまで、私は仕事に集中し切った。

気がつけば皆はそれぞれ仕事を終わらせていて、私ももう上がろうと立ち上がった。

コナツさんも今日は予定があるらしくちゃんと定時で上がっているし、執務室に残っているのはカツラギ大佐くらいだ。


「私もお先に失礼しますね。」

「えぇ、お疲れ様でした。」

「お疲れ様でした。」


帰る前にこの資料を資料室に戻さなければ。

分厚い資料を両手で抱えて執務室の扉を開けようとすると、ヒュウガが偶然にも扉を開けて入ってきた。

どうやらまたサボりに行っていたようだ。


「あれコナツは?」

「定時に上がられましたよ。それでは、お疲れ様でした。」


重たい資料を抱え直してそそくさと執務室を出ようとすると、ヒュウガもカツラギ大佐に「オレも上がるねカツラギサン♪」と言ってほぼ同時に執務室を出た。

通路を歩きながらヒュウガが私の持っている資料を指差す。


「重そうだね。資料室?持とうか?」

「…いい、です。」

「仕事終わったんでしょ?敬語止めなよ。」


ヒュウガは半強制的に私の資料の半分を持ってくれた。
2人並んで通路を歩く。

気まずいな…と思ってたら優しかったり、ホントヒュウガのしたいことが全くわからない。


「ブラックホーク慣れた?」

「…まぁ、少しは。」

「アヤたんのべグライターはどう?」

「どうって…遣り甲斐あるよ。大変だけど。」


資料室に入り、2人で棚に資料を戻していく。
ヒュウガは「ふ〜ん」と呟いて最後の一冊を棚に直し終えた。


「今こうしてオレといる時よりアヤたんといる方が楽しそうだもんね。」


その言葉に私は勢いよくヒュウガの顔を見上げたけれど、ヒュウガはそれより先に踵を返して私に背中を向けていた。


「ヒュウガ、今の、」

「ごめん、今の忘れて。」


忘れられるわけないじゃない。


「オレ意外と女々しいみたいでさー。名前がオレのこと好きじゃなくなったって理解してるんだけど優しくしてもう一回惚れてもらおうとか思うのに、急にぶつけようのない悔しさとかが湧いてきて意地悪言っちゃうんだよねぇ。」


ちょ、ちょっと待って。
私はヒュウガのこと好きじゃなくなったわけじゃ、


「じゃぁね、お疲れあだ名たん。」


『名前』ではなく『あだ名たん』と呼ばれたことで一線を引かれたような気がした。
今の私にはその一線を越えられる勇気はない。


別れを告げた私が今更『好き』だなんて、『よりを戻したい』だなんて虫が良すぎる話じゃないか。


「違うの…違うのヒュウガ…」


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