05




その日は書類に追われていて、私は朝からずっと無心で書類と格闘していた。

机に齧りつくその様はまるで受験生のようだ。とクロユリ中佐が私を指差してハルセさんに言っていたけれど、今はその言葉に反応する余裕さえない。

カツラギ大佐にも『少しは休憩を取られないと体を壊しますよ?』と言われたが、『そうですね。』と返しておきながらも休憩は取っていない。

昼食も拳一個分ほどのパンを一つ齧ったくらいか。

今日はアヤナミ様が会議、会議、会議の連続で、アヤナミ様が出来ない分の書類までしてしまわないと!!とやる気に満ちている。

きっと、今の私は燃えているだろ、


「ひゃぁっ!!!」


急に首筋にひやりと冷たいものがあてがわれて、書類に夢中になっていた私は変な声を出すのと同時に顔を上げた。

するとジュースの缶を持ったヒュウガが私の反応を見て笑い、それを目の前に置いた。

数日前の鳩の件といい、何だか最近茶化されているような気がする。


「な、何するんですか!」

「ん〜?ほら、あだ名たん今書類に燃えてるみたいだったから、冷ましてあげようと思って☆」


それを世の中では大きなお世話と言うんです。


「結構です。」


ペンを持ち直して書類に視線を下ろすと、先程机の上に置いたジュースをススッとヒュウガが私に近づけた。


「これあげるよ。」


あげる、と言われたらいるにしろ、いらないにしろ、お礼なり断りなりを入れなければならないため、私はもう一度顔を上げた。

差し出されたジュースは私が昔から好んで飲んでいるジュースだ。
甘くて、疲れている時には最適。

今ヒュウガがこれを選んできてくれた事、それと私の好みを覚えておいてくれたことが嬉しくて、私はジュースを手に取って「ありがとうございます。」とはにかんだ。


「あんまり仕事ばっかしてたらキノコ生えるよ?」

「生えませんよ。」


ジュースのプルタブを開けて一口喉に流し込むと、その冷たさと甘さに頭がスッキリとして、疲れていた体に糖分が入ったことにより何だか先程よりも頭が回るような気がした。


彼が買って来てくれたジュースの缶を眺める。
変わらないパッケージに変わらない味。

変わったのは私達ばかりか。


「ヒュウガ、…少佐はもっとキノコが生えるくらい仕事したほうがいいと思いますよ。」


つい、『ヒュウガ』と癖で呼びそうになったが、必死に取り繕って『少佐』を付け足す。
彼は気付いているのかいないのか、「ホントにオレにキノコ生えたらどうするの?!?!」と笑っていた。


「そうですね…、『人から生えたキノコ!!』なんて大々的に売り出せば高くで売れるかも…」

「オレで金儲け?!?!名前、…たん、そんなにお金好きだったっけ??」


『名前』に『たん』付け。
彼もまた私と同じように呼び間違ったのだろう。

それが可笑しくて、切なくて、泣けた。
けれど必死に笑って「好きですよー。人並み程度に。」と誤魔化す。


「って、書類の途中だった!」

「あだ名たん全然休憩してなかったからね。少しくらいいいでしょ?」


ヒュウガは上手い具合に私に休憩を取らせたようだ。
他の誰もが私に休憩を取らせることができなかったのに、彼は何気なく、そして何の苦もなく私に休憩させた。

こういうさりげなさが昔から好きなのだ。

私の事をわかっていてくれるという安堵感と幸福感。
だからその分、私も彼の事をわかりたいと努力した。

その関係が懐かしい。
別れてもうすぐで1ヶ月が経とうとしている。
『まだ』一ヶ月と言ってもいい期間なのに、懐かしいと思うのはその日々が恋しいからなのかもしれない。


一人そんな事を考えていると、ヒュウガがまたコナツさんの目を盗んで執務室から抜け出していた。

私に休憩を取らせるためだけに執務室に帰ってきたのか。

ありがたいけれど複雑だ。
まだ私達の関係を修復できると夢見てしまいそうになるから。


「少佐?!少佐?!?!どこ行きましたか?!?!」


書類に集中しすぎてヒュウガが居なくなったことに今気付いたらしいコナツさんが、キョロキョロと執務室を見回すが残念ながらヒュウガはもう先程サボりへ出かけて行ってしまった。

もしかしたら今追いかければまだすぐそこにいるかもしれない。


「私、今から事務所へ書類に印鑑を貰いに行くので、見かけたら声をかけておきましょうか?」

「いいんですか?!?!ありがとうございます!むしろ連れてきてください!!」


泣きつかんばかりの勢いでお礼を言われた私は、出て行ったばかりのヒュウガを追いかけるために、数枚の書類を持って半ば急ぎ足で執務室を出た。


ほんの数十秒前なだけだから私が少し走れば追いつくだろう、と思いながらキョロキョロと辺りを見回す。

するとすぐそこにヒュウガの後姿を発見した。
そしてもう一人、女の人の姿。

何だか仲が良さそうに話している。


「綺麗な人…」


私は小さく呟いて踵を返す。

何故だか、話しかける気には更々なれなかった。


モヤモヤする…。


ヒュウガは次に進もうとしているんだろうし、私がこんな気持ちを抱くのさえ間違っている。
なのに、この心を覆うようなもやが全く晴れてくれない。


トボトボと事務室へ向かって書類に印鑑を貰い、執務室に戻るとそこにはヒュウガ少佐だと思ったのか、期待の眼差しでこちらを見つめるコナツさんがいるだけだった。

そうか、そういえば中佐とハルセさんは遠征に行くと言っていたっけ。


「カツラギ大佐はどちらに?」

「おやつを持ってくると行って出て行かれましたよ。それより少佐は…」

「…ごめんなさい、見つけることが出来なくて…」


苦笑しながら椅子に座って印鑑を貰った書類を机の上に置いた。


「そうですか…。ここ最近サボり癖がひどくて仕事が進まないんですよね…」


ここ最近というのは、私が来てからだろうか。

マイナス思考は勝手に被害妄想をし始める。


「私が執務室にいるからですよね、ごめんなさい…」


ポツリと呟いてから自嘲した。
両手で顔を覆って恥ずかしい気持ちに耐える。

私は優しいコナツさんに何を期待したのだろうか。
『いいえ、そんなことないですよ。』とでも言って欲しかったのだろうか。


「名前さんが謝られることなんてないです。」


私は自分自身にため息を吐いて両手を顔から離した。
コナツさんはしどろもどろになりながらも「本当は…言ってはいけないんでしょうが…」と言葉を続けた。


「……少佐、前にお付き合いしてる人が居るって私に仰られたんです。それで…そろそろ結婚を申し込もうと思ってるんだって言ってました。それくらい名前さんのこと好きだったんですから、絶対少佐は今も名前さんのことが、」

「コナツさん!」


私は勢いよく立ち上がった。


「教えてくださってありがとうございます。でもごめんなさい。今の、聞いてないことにしますね。」

「名前さん……。私こそすみません、大きなお世話でしたね。」


いえ、と首を振る。
彼は何も悪くない。

私とヒュウガの両方を思ってくれているからこその発言だとわかっている。

だけど今の私がその事実を聞いたところでどうしようもないのだ。


「お待たせしました、今日のおやつは苺大福ですよ。」

「わぁ!私苺大好きなんです♪」

「ただいまー!」

「ただいま帰りました。」


タイミング良く戻ってきたカツラギ大佐と、遠征から帰ってきたクロユリ中佐とハルセさんに近寄ろうとすると、ブルリとポケットの中の携帯が震えた。

今もなお振動し続けるそれを手に取り画面を見てみると、母からの着信をそれは告げていた。


「…」

「出られないんですか?」

「……」


電話に出るか否か。

カツラギ大佐とハルセさんが私の様子に首を傾げ始めたので、私は執務室の隅っこへ歩きながら通話を押した。


「お母さん?何??」


電話から聞こえてくる母の声は相変わらず元気いっぱい。
前回の電話で『もうお母さんも長くないんだから』と言っていたのを忘れたのか、すでに演技はない。


「先に言っておくけど、お見合いの話なら、…は?結婚?!?!」


最後の『結婚』が驚きで一際大きな声となってしまい、私は皆から感じる視線から逃げるように執務室から出た。


「いや、だから結婚って…急すぎるでしょ!」


あはは、と年甲斐もなく若々しく笑う母に若干の眩暈を感じ、私はため息を吐いた。
とりあえず帰ってきなさい、と言ってくる母にもう一つため息を吐いて、私は頷く。
母の頑固さは娘の私がよく知っている。


「わかった。明日帰るよ。うん、うん、わかってるって。じゃ、明日ね。」


電話を切って、明日は休みを下さいってアヤナミ様に言わなければ、と思いながら扉を開けば、扉に耳を当てて盗み聞きをしていたらしいクロユリ中佐と目があった。


「そこで何していらっしゃるんですか、ちゅ・う・さ?」

「えへへ。」


笑って許されるものではありませんよ。と本来ならなるのだろうけれど、あまりにもその笑顔が可愛かったので私はそれ以上何も言わなかった。

さて、苺大福を食べたら書類を今日中に終わらせなければ。


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