06




「あれ??あだ名たんは?」


朝、出仕時間より数十分遅れて執務室に入ると、ブラックホークの紅一点の姿がなかった。

会議だろうかと思ったけれど、アヤたんの姿を参謀長官室に見つけ、一人で会議などないから体調不良だろうかと問えば、意外な返答が返ってきた。


「今日は実家に帰ると言ってらっしゃいましたよ?」


朝のコーヒーを淹れてきてくれたカツラギさんから熱いカップを受け取り、椅子に座ってそれを一口嚥下する。
少し苦めのそれは朝の一杯にはちょうどいい濃さだった。


「実家??…ふーん……」


皆は名前が実家に帰ったことを知っていて、オレだけが知らなかったことが面白くなくて、適当に返事を返すと、それに気付いたのかカツラギさんは更に言葉を続けた。


「昨日名前さんがアヤナミ様にその旨を話しているところに偶然遭遇しましてね。」


偶然、と言葉を強調するカツラギさん。
この人と話していると何だか自分が子供っぽく思えて仕方がない。
事実、カツラギさんは自分よりも年上なのだから、彼から子供っぽく見られていても仕方がないとは思うのだけれど、如何せん面白くない。


それきり会話がなくなった。

特に雰囲気が悪くなったわけではないが話す内容もなく、それぞれが書類に目を向けている中、オレはポケットから飴を取り出して口に放り込み不在の名前の机を眺める。


別れたのだから別にわざわざオレに言う義務はないけれど、一言も言ってくれなかったのは地味にショックだ。

話の節々にでも『明日実家に帰るんですよー』ぐらい言ってくれればいいのにと思うのは、まだ自分の中で名前に対して独占欲があるからか。

大体別れたといってもあれは名前からの一方的な別れであって、オレは頷いた覚えも納得した覚えもとんとない。
なのになんで別れたことになってるんだと今更ながらに腹が立ってきた。


そんな時だ、


「名前、お見合いかなー」


理解しがたい言葉が耳に入ってきた。
その言葉を発したクロたんに目をやると、彼もまた面白くなさそうに机に左頬を乗せてペンをコロコロと転がしているではないか。


「…クロたん、何それ。」

「ヒュウガ知らないの?この前母親からお見合いしろって電話あってたみたいなんだよ、名前。」


ヒュウガ知らないの?という言葉にカチンときたけれど、その後に続いた言葉に怒っている暇はないようで情報を引き出そうと小首を傾げた。


「誰と?」

「知らないよ〜。ヒュウガが聞けばいいじゃん。」


無理難題を押し付けられて言葉に詰まる。


「そういえば、」


なんだ、コナツも何か知っているのか。
皆してオレの知らない名前のこと知っているなんて。
ずるい。


「結婚とか何とか言ってましたね、昨日。もしかしたらあの電話もご両親からだったのかもしれません。」

「結婚?!?!」


その言葉にはさすがに耳を疑った。


「うん、それ昨日言ってたねー。無理って言ってたけど、でもすごく押されてるみたいだったよ??いいの?名前もしかしたら今日お見合いして、無理矢理押されて結婚しちゃうかもよ??」


追い討ちをかけるクロたんの言葉。


「いいわけない。」


でも別れたのだからオレにはどうすることもできやしない。


結婚するな。お見合いするな。
そんな言葉、オレに何の権利があって…、


「馬鹿ヒュウガ。」


クロたんの声に俯きかけていた顔を上げると、額にマグロキャンディが投げつけられた。
キャンディだ。飴だ。
地味に痛い。


「別に嫌いになって別れたわけでもないんでしょ?じゃぁ寄り戻せば??」

「ク、クロたん…??急に何、」

「だって名前はアヤナミ様のべグライターだって知られたら怖がられて嫌われると思って、自分が嫌われるのが嫌だから別れたんでしょ?でもヒュウガは名前がアヤナミ様のべグライターであっても怖がらないし嫌いになんてならないから問題ないじゃん。意地張ってないでより戻しなよ。どう考えても名前からはいい難いんだから、ヒュウガから言わないでどうするの?言っとくけど2人とも悪いんだからね。嫌われるかもってサラリーマンとかOLとかって嘘ついて。ちゃんと話さないから悪いんだよ。馬鹿?ねぇ馬鹿なの2人とも??はい馬鹿、はい終わり、はい解決。もうボク眠たいから寝る。」


眠たくて機嫌が悪かったのか、ただただオレらがじれったくてイライラしていたのか。
クロたんは言いたいことだけ言うと、後は知らないとばかりにハルセの膝の上に乗って目を閉じた。

シーンと無駄に静かな執務室には、先程とは違う嫌な雰囲気が流れている。

そして感じる皆からの目線。
仕事をサボると怒り狂うコナツでさえ今は『早く行ってください』という目をしているものだから、返って動きにくい。


「え…と、行ってきます…」

「少佐、戻っていらしたら仕事してくださいね。」


その切実な言葉にだけは返事を返さず、執務室をでて玄関口へ向かって歩き出す。


何だか名前に振り回されているような気もする。
振り回すのがオレの専売特許だったはずだ。

無茶を言っても、怒りながらでもちゃんと応えてくれるところが好きだ。
笑う顔が好きだ。

今の辛そうで切なそうな笑顔なんか見たくもない。
なのに、そんな笑顔をさせているのもまた自分で。


「あーくそっ。」


頭を意味もなく掻いてホークザイルに乗った。





「もうっ!!脱ぎ散らかして!!」


私が部屋に散らばっている服を手繰り寄せながらブツブツと小言を言えば、散らかした本人であるお姉ぇはケロッとして「片付けてくれてありがとー」なんて笑っている。

これが幸せオーラってやつか。
今の私には痛いばかりだが、お姉ぇが幸せだと私も嬉しい。


「じゃぁ先に行くね、名前。」

「うん、また後で。」


先に会場へ向かったお姉ぇと両親を見送って、私も用意を始める。
化粧をして着替えて、玄関の扉を開けて鍵を閉めるために鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ時だった。

聞きなれたホークザイルの音。
鍵を回し閉め、ポケットに入れながら後ろを振り向くと、そのホークザイルから降りた人物と目が合う。

黒髪で長身な彼。
サングラス姿は別の人と間違えるはずがない。


「な、なんで、」


なんでヒュウガがこんなところに居るのだ。

瞠目していると、彼は真面目な顔で私の全身を見た後に「相手は誰。」と聞いてきた。

相手は誰、とはどういうことだろうか。
しかも何でそんなに真面目な顔をしているのやら。


「え、いや、ヒュウガ何でここにいるの?仕事は?今日休みじゃないよね?」

「いいから答えて。相手は誰?」

「誰って…ヒュウガ、貴方何言ってるの?」

「オレ、名前が別の男と結婚するとか嫌なんだけど。もう一回やり直したい。」

「私が結婚?!?!は?そりゃ私もできることならやり直し……は?!やり直したい?!?!」


待って!
待って待って待って!!

会話が読めない。

グルグルと回っているようで全く回っていない頭を押さえながら、必死に今の状況を理解しようとしていると、痺れを切らしたヒュウガが私の腕を掴んで引っ張り寄せるなり唇を奪った。

あまりにも急な出来事に私は瞳を閉じることもできず、ただただすぐそこにあるヒュウガの顔だけを見つめていた。


- 6 -

back next
index
ALICE+