生憎ですがせっかくの雨なので



ぱらり。
私を夢中にする大衆小説のページを捲る音が、妙に部屋に響いた。
開けた窓からは人の喧騒が聞こえてくるけれど今の私には大して気を留めることの程でもない。
そんな窓際に背を預け、外からの風と太陽の光を感じながら読書をするのが私の休日の楽しみだった。

そんな晴れていた空からは急な土砂降りの雨。
屋根や地面を打ち付ける音は勢いを増していく。
大粒の雨なのか、やけに音が大きい。

今日は雨なのね。

そう呟いたものの、きっと今日も何も変わらない一日。
そう思っていたのに、雨は彼を連れてきた。

突如現れた視界の隅に映った黒い影に私が何となく目線を上げると、雨宿りをしているのであろう、私の家の軒下で立ち止まった男と目があった。
黒い影と思ったのは軍服のせいだったようだ。


「ごめんねー。少し雨宿りさせてくれる??」


軽い口調の男の言葉に私は一つ頷いた。
夕立だからすぐ止むだろう。
読書の邪魔さえされなければここで雨宿りされたって別に構いやしない。

すぐに本へと目線を戻したが、意識は何故かこちらへは戻ってこなかった。
イケメンだなぁとか、身長高いなぁとか、かっこいいなぁとか、そんなことを考えながら、一向に進まない小説をただただ眺める。
何だか自分が小説のワンシーンを演じているみたいだ。
そう、まるで私が主人公で、彼が…


「すごい雨だねぇ。」


急な男の声にまた顔を上げた。
彼は一人でそこに立っているし、どう考えても私に話しかけているように思えたからだ。
想像を巡らせるのは得意だけれど、まさか話しかけてくるとは思わず、彼から見たらきっと私の顔は面白いくらいに驚いていただろう。


「そ、そうですね。」


女子高出身な上、女ばかりの職場で働いている私はあまり男性に免疫がない。
声が裏返らないように返事を返すと、男はそれに気づいたのか小さく笑った。
恥ずかしい。


「本読むの好きなの?」

「へっ?!あっ、は、はい!」


私より年上であろう彼と続く会話に私の中で緊張が走る。
駄目だ、異性となんて何を話したらいいのかわからないし、会話が盛り上がる気がしない。
というか盛り上げ方がわからない。
こんなことなら友人の誘いにのって合コンというやつに行ってみるんだった。
今時合コンに抵抗を感じるなんて私の馬鹿野郎と内心歯噛みする。


「そっかぁ〜、どんな小説読むの?恋愛もの?」

「はい。」


駄目だ、私駄目だ。
さっきから頷くか『はい』しか答えてない。
これじゃ広がる会話も広がるはずがない。


「前も面白そうにその定位置で小説読んでるから一体どんな内容の本読んでるんだろって気になってたんだよね。」

「え?」


前も、って…、も、もしかして今まで何度か見られてた?!?!

頬に熱が集中していくのがわかった。
慣れないことなんてするもんじゃない。
異性と話すなんて、私には上級者コースだ。
どんな反応を返したらいいのかもわからないのだから。

私はいつのまにか握りしめていた小説に再び目線を向けた。
心穏やかにするにはこの方法が一番だ。
活字を。私にもっと活字を。


「あれ?見られてて怒った?それとも気味悪くなった?」

「そんなことないです、けど…」


人が歩く通りだと知っていながらも、気にせずに窓を開けて読書していた私にだって非はあると思う。
しかしそんなことよりも私は異性に見られていたという事実が何よりも恥ずかしくて堪らない。


「あぁ、それとも照れてるの??♪」


茶化すようにふざけた彼の笑顔とは裏腹に、その声色はどこか確信めいていた。
図星を突かれた私としては、もうすでに本から顔を上げられないでいる。
絶対今の私の顔、人に見せられたものじゃないと思う。

外の雨音は変わらずだが、どうにか早く雨が上がりますようにと小さく心の中で祈る。
しかし雨が上がってしまえば彼はこの場から立ち去ってしまうだろう。
そう考えるともう少しこの雨が続いてもいいとさえ思えた。
こんな赤い顔見られたくないのに、話していたいなんて都合が良すぎるだろうか。


「あ、あんまり見ないでください…。」

「ごめんね♪あんまり君が可愛いから、つい☆」


名前、なんていうの??と訪ねてくる彼は先に自分の名前を名乗った。
そうか、ヒュウガさんというのか。


「名前です。」


可愛いとか言われたような気がしなくもないけれど、気にするのは止めよう。
でないと私の顔は更に赤くなっていつかトマトのように赤く熟れてしまうかもしれない。


「名前ちゃん、ね。」


記憶に刻むように呟かれた私の名が土砂降りの雨音よりもやけに響いて聞こえた。
異性に名前を呼ばれるなんて、あまりない体験だ。

外の雨は少し小降りになってきたのか、雨音は小さくなった。


「さて、と。」


仕事に戻らなくちゃ。と続くであろう言葉を先読した私は、自分でも驚くような行動に出ていた。
窓の冊子に手をかけ、「あの!」と声を掛けていたのだ。

去っていってしまう。
そう考えたら、きっと後悔してしまうような気がしたから。

彼は若干驚いたような表情で私を見下ろしてくる。


「あの、ヒュウガさん、」



生憎ですがせっかくの雨なので

(雨が止むまで、うちでお茶でも飲んでいきませんか?)

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