すべては微睡みの中に



「わ、大きい!広い!」


遠征で帝国より遥か離れた島国へとやってきた甲斐があったらしい。
私は一人、露天風呂を目の当たりにして声を上げた。
普段はシャワーで済ませてしまったり、湯船に浸かるとしても足を伸ばせるかどうかぐらいの大きさなだけあって、広いお風呂は新鮮だ。

遠征でお疲れでしょう、とカツラギ大佐が手配してくれた温泉宿に感動する。
カツラギ大佐はもうすでに何度も足を運んでいるらしいこの宿は、知る人ぞ知るといったこじんまりとした宿の上、近くで帝国軍との戦闘があっているせいか宿泊客はそんな危険な地に旅行でくるわけもなく、私達ブラックホークの貸切状態で羽を伸ばすには最適すぎる環境だ。
なのに、きっと隣の男湯にコナツさんはいない。
ヒュウガ少佐のせいで持ち込んだ書類に追われているのだ。
『あと少しで終わるので先に温まってきてください。』と疲弊した表情のコナツさんが不憫すぎる。
温泉の後には楽しみにしている豪華な食事が待っているというのに。


「名前―!いるー?」


かぽーん。
そんな効果音が鳴り響いているかのように感じていた時、クロユリ中佐の声が女湯のこちらまで届いた。
なんだか可愛らしいその行動に笑みを溢して返事を返す。


「はーい、いますよー!気持ちいいですね。」

「うん!名前一人で寂しくない?」

「はい、大丈夫で…、」


露天風呂の出入り口に人の気配がして、クロユリ中佐へ返答しながら振り向くと、腰にタオルを巻いたコナツさんが立っていた。
一人で寂しくないかと問われたが、どうやら一人ではないらしい。
目が合うと、お互いに言葉を詰まらせて目を最大に開いている中、「名前?」と急に返事を止めた私を訝しんでいるクロユリ中佐の声が聞こえてきて「なんでもないです!」と動揺しながらも必死に答えた。
動揺が伝わってしまったかと思うが、それよりも先に気になるのはなぜ女湯の露天風呂にコナツさんが立っているかということだ。


「な、なんでコナツさんここに…。」

「名前こそ、ここ男湯じゃ……」


と私たちは声のボリュームを下ろして話す。
コナツさんは最初こそここが男湯だと思っていたようだが、隣からハルセさんやクロユリ中佐の声が聞こえることから漸くここが女湯だと理解したようだ。


「暖簾かかってませんでした?」

「男湯の暖簾が掛かってたけど……。」


そんなはずはない。
私が入る時には確かに女湯の暖簾がかかっていた。
あってはならない間違いに対処しきれない脳みそは、先ほどから慌てふためくばかりだ。
そんな私を知ってか知らずか、コナツさんは少し考え込んだ後、「隣いい?」と聞きながらも、私からの返答を待つことなく露天風呂の中へと入って来た。


「どうせ宿泊客は僕たちブラックホークだけだし、他にお客もいないからいいよね。」


肩が触れ合うほど近いわけでもない距離なのに、好きな人が隣にいるだけで大きな心音がお湯に波紋を作ってしまうんじゃないかというくらいドキドキする。
深く深呼吸をしても全くリラックスなんてできない。


「暖簾、入れ替えられたみたいだね。」

「え?」

「多分少佐かな、露天風呂に最後に向かったの少佐だし。」


確かに、こんなことをしそうな人なんてヒュウガ少佐くらいしかいない。
なにしてくれてんのグラサン野郎!と内心毒づきながら、拳をお湯の中で握った。


「さすがに恥ずかしいね。」


苦笑したコナツさんに私は「ですね」と照れながらも笑うしかない。
このお湯が濁り湯であることだけが幸いしていると言えよう。
しかし、胸元から上はお湯につかっていないせいで素肌は見えている。
コナツさんの見た目は可愛いが、やっぱり体は男の人なんだなぁと再確認して勝手に顔を赤くする私は変態なんだろう、きっと。


「でも意外と勇気ありますね。すぐに女湯から出ていくと思ってました。」

「まぁ…最初はそう思ったけど、遠征中は2人っきりで話す機会なんて滅多にないし。」


確かにそうかもしれない。
ブラックホークの中でも年が近い私たちは、日頃2人で食事に行ったりもするが、長い遠征中はこうして二人っきりで話すことはほとんどない。


「温泉もたまにはいいね。」


コナツさんが星空を見上げて息を吐き出す。
そんな彼を眺め見ながら、意外と大胆なコナツさんの一面を見れたような気がしていた。
さっきは毒づいてしまったが、それもヒュウガ少佐のおかげなのかもしれない。
仲間であり、友人でもある私達の距離が縮まらないことに一番ヤキモキしているのは少佐だと思う。


「コナツさんは温泉には行かないんですか?」

「仕事に追われてそれどころじゃないからね。」


あぁ、少佐か。とどこか納得してしまう。
不憫すぎる、コナツさん。


「でもやっぱり温泉で羽を伸ばすの気持ち良いよね。今度長い休みが取れたらまた来たいかも。」

「そうですよ!コナツさんは日頃から頑張りすぎなんですから!」

「そう?じゃぁさ、名前も一緒に来てくれる?」

「へ?私?」

「うん。名前が一緒に来てくれたら一人で旅するよりも休まると思うんだ。」


そう言われながら、濁り湯の下で左手を握られた。
一気にお湯の温度が高くなったんじゃないかと思うほど逆上せそうだ。


「そ、それってどういう、」


意味ですか?そう聞こうとしたのに、隣の男湯から「名前、先に上がってるね!」というクロユリ中佐の声に遮られた。
次いで「あだ名たん、ごゆっくり〜♪あ、逆上せないようにね☆」と聞こえたヒュウガ少佐の声に殺意が沸く。


「じゃ、僕も先に上がるね。」

「あ、はい。」

「髪、ちゃんと乾かしてきなよ。」


聞けなかったことは残念だったが、温泉から出てゆくコナツさんの濡れたはちみつ色の髪は、夜空の星のようにキラキラと綺麗だった。




***




浴衣に袖を通し、一旦部屋へ戻って荷物を置いてきた私は、仲居さんに案内されて広間の方へやって来た。
すでに男性陣は飲んでいるようで、襖を開ける前からヒュウガ少佐たちの賑やかな声が聞こえてくる。
その笑い声は遠征ごとは思えない程元気だ。
例に違わず私もだけど。
温泉にも入れて、コナツさんとも2人きりで話せて、その上きっと待っているだろうおいしい食事があるのだ、元気にこそなれ、疲れ果てているはずがない。


「ごめんなさい、遅れましたー。」


スッと襖を開けて入ると、皆浴衣姿だった。
滅多に見られない浴衣姿のコナツさんを見ていると、おいでおいでとヒュウガ少佐に手招きされ、誘われるがままに左隣に座る。
温泉でのハプニングを作った張本人が隣にいるのだから、小言の一つでも言ってやろうかと思ったが、温泉にも入れて気分は上々なので水に流してあげることにした。

ヒュウガ少佐の右隣りにはコナツさんがいて、隣に座れなかったのが残念だとバレない程度に口を尖らせたが、目の前に置かれているおいしそうな食事に頬が緩む。
我ながら現金だ。


「あだ名たん、何飲む?」

「あ、私はオレンジで。」

「今日くらい飲めばいいのに。」


そう言いながらも、席を立ってまで仲居さんにオレンジジュースを頼んでくれるヒュウガ少佐に苦笑いだけを返しておいた。
私だってお酒が飲みたくないわけではない。
なら飲めばいいとヒュウガ少佐は言うだろうが、すぐに酔ってしまうためあまり飲まないようにしている。
明日二日酔いになって、帰りのリビドザイルの中で阿鼻叫喚を披露するわけにもいかないのだ。


「名前、温泉長かったね。」

クロユリ中佐の言葉に、一瞬右路なりのそのまた隣の人物とのことを思い出して顔を赤くしたが、温泉で温まりすぎたのだと言い訳が利くだろう。


「なかなか露天風呂に入る機会もないですし。」

「だよね〜♪どうだった?楽しかった?露天風呂♪」


肘をついてにんまりと笑うヒュウガ少佐の言いたいことを悟った私は、「おかげさまで」と表面上はにっこり微笑みながらもこっそりと机の下で膝を叩いておいた。


「名前さん、お腹空いてるでしょう?お刺身も揚げ物もおいしいですよ。」

「ホントですか?!?!私もうお腹ペコペコで!」


カツラギ大佐が勧めるならきっと間違いないだろう。
私は使い慣れないながらも箸を手に取って口に運ぶ。
舌が喜んでいるような、そんなおいしさに目を細めた。


「おいしいです!」

「名前、食べきれるならこれも食べるといい。」

「いいんですか?ありがとうございます!」


左隣に座っていたアヤナミ参謀からあれやこれやと料理を貰った。
なんていい人なんだろうと思う。


「あだ名たん、オレンジ来たよ。」

「ありがとうございます。」


コクリと口を付けて嚥下すると、オレンジジュースにしてはどこか不思議な風味がした。
それでも温泉から上がったばかりで乾いていた喉を潤すには十分だ。


「っはー。何だかこれ、不思議な味がしますね。」


半分ほど飲み干すと、ヒュウガ少佐からは「良い飲みっぷりだね〜☆」と称賛の声。
訳はわからないが、とりあえずお礼だけ言っておいた。


「ご飯食べた後皆でまくら投げしようよ!」


クロユリ中佐の言う『皆』とは一体どちら様のことなのか。
左隣のアヤナミ参謀がするわけもなく、大人な大佐がするとも思えない。
ハルセさんやコナツさんはそれぞれの上司がしたいと言えば無理矢理にでもかり出されるだろうが。
しかし意外だったのは、『まくら投げとか子どもがすることでしょ。』と冷めたセリフを吐きそうなクロユリ中佐が発案者だったということだ。
ブラックホーク全員で旅館に泊まるというなかなかないシチュエーションに、中佐もテンションがあがっているんだろう。


「私参加します。滅多にできないですし。」

「じゃヒュウガの部屋で決行ね。」

「え、オレの?!?!」


あはは、と笑いながら、オレンジジュースを飲み干したところでクラリと違和感が襲った。
微睡みの中のような、視界が上手く定まらないこの状態には覚えがあったが、おかしい。
これは所謂酔っているんだろうが、アルコールは飲んでいないはずだ。
お酒に詳しいわけではないが、温泉から上がって口にした飲み物なんてこのオレンジジュース以外ないのに。


「名前?どうかした?」


逸早く私の異変に気づいてくれたコナツさんと目が合った…と思う。
焦点が定まっていないため、よくわからないが、少なくとも一瞬は目が合った。


「なんか…眠い、です…。」


ゆらゆらと視界が動いている。
皆が動いているのか、私が動いているのか。
いっその事机にうつ伏せになりたい。


「名前、お酒飲んでないよね?」


問われたが、返事できたのかできていないのかわからない。

コナツさんはハッとして私の空になっていたグラスの中の香りを嗅いで、すぐに「少佐、飲ませましたね。」とジト目を送った。


「名前はオレンジを注文したじゃないですか。」

「うん♪オレンジジュースも入ってるよ☆」


微睡みの中、わかったことはヒュウガ少佐にまたハメられたということだ。
ヒュウガ少佐に注文してもらったのが間違いだった。


「でもまさかいっぱいでここまでとはね…。」

「ちょっと、寝ても、いいですか?」

「……ダメ、絶対だめ。」


コナツさんの断固拒否する言葉が聞こえたが、私の活動限界はすぐそこだ。


「…無理です、寝ます。」


意識こそまだ起きているものの、瞼はくっついた。


「すみません、少し席外します。名前、部屋に送ってきます。」

「あぁ、そうしてやれ。」


参謀の許可が下りたようで、コナツさんの背中に負ぶわれ、『枕投げ、したかったな…。』なんて思ったりもしたけれど、温かい背中に頬を寄せれば死ぬほど幸せだと思った。

一定のリズムで進むその振動を感じていると、「名前、起きてる?」と声が聞こえてゆっくりと瞼を開けるが、またくっついてしまった。
どうやらもうすぐ私の部屋についてしまうようだ。
なんだかこの温もりを手放したくなくて、ギュッとコナツさんの首にしがみ付いた。


「帰りたく、ないです。もっとコナツさんと一緒にいたい。」


ボヤケていく意識の中、振動が急に止まったことと、少し間をおいて「誰であろうと、僕以外に他の男がいる中で寝たら絶対ダメだからね。」という言葉が聞こえたのだけがわかった。




***




「…」


朝起きると、見慣れない天井に『あぁ、そういえばここ旅館だっけ』とすぐに思い出した。
今何時だろうかと時計を探すが見当たらない。
もぞりと上半身を起こして半分脱ぎ掛けていた浴衣を軽く整える。
どれほど寝相が悪かったんだと自分で呆れていると、スッと襖が開けられた。
1人部屋のはずだから襖が開けられることなんてないはずのことで、私が驚いてそちらを見ると、コナツさんが髪をタオルで拭きながら部屋へ入ってくる。


「あ、やっと起きた。朝の露天風呂も良かったよ。入ってきたら?」

「…はぁ……。」


何故普通に会話をしてくるのだろうと内心首を傾げていると、漸く自分に宛がわれた部屋ではないことに気付いた。
テレビの位置も、花瓶に活けてある花も違うのだ。


「…ねぇ、もしかしてその反応、覚えてない?」

「え?」

「名前がまだ帰りたくないって言ったから、僕の部屋にいるんだけど、覚えてる?」


ヒュウガ少佐のせいでお酒を飲まされたところまではしっかりと覚えているのだが…。
それ以上はぼんやりとしている。


「か、微かに…。部屋に入る前まで…ですけど…。」

「じゃぁ、それからのことは?」

「そ、それから??それからって、え?!」


一体何があったんだと上手く言葉が出てこない。


「とりあえず、早く支度しないと朝食の時間になるよ?」

コナツさんは教えてくれる風でもなく、私に「二日酔いじゃないみたいで良かったね。」と笑顔を一つ溢して話を逸らした。

真相はどうやらまだわからないようだ。

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