冬の匂い



昼間は居眠りしている少佐を怒るコナツさんの声だったり、クロユリ中佐とハルセさんの甘いお菓子の会話だったり、カツラギ大佐からの労いの言葉だったりが聞こえるこの執務室でも、22時を過ぎた今の時間帯では私が只管ペンを走らせる音だけが響いている。
就業時間が過ぎているとはいえ、空調が行き届いている執務室で一人きりで仕事をするのは暖かいはずなのに何だか寂しく寒い気もする。
それはこの広すぎる執務室のせいなのか、それとも昼間は賑やかな彼らがいないからなのか、その答えは私の中でハッキリとしていた。

明日の会議の書類を纏めている私は、温かい空気と仕事疲れでぼーっと眠くなってきたため一番近い窓を開けた。
温かい空気の中にシンと冷えた夜風が入ってくるのを深呼吸して受け止める。
火照った頬も、眠い眼も、疲れた体全部を冷たい風が晒す。
そうして幾分か睡魔を夜風が攫って行ったところで、後はホッチキスで書類を纏めるだけだと頬を数回両手で挟むように叩いて窓を閉めた時、今度は背後で風の流れが変わったのを感じ、振り返った。


「お疲れ。」


執務室の扉を開けて中へと入って来たのはコナツさんだった。
まさかこんな時間に人が来るとは思ってもいなくて驚いていると、コナツさんは少佐とご飯を食べに行った帰りに執務室に電気が点いていたから気になって来た。とこっちに近づいてくるなり、私のデスクの上の書類を見下ろす。


「これ、明日の会議の書類?」

「はい。」


窓から離れてデスクへと戻り、椅子に座ってホッチキスを引き出しから出す。
すでに分けて交互に重ねておいた書類の一番上の束を手に取ってパチンとホッチキスで留めれば、小気味良い音が耳に届いた。


「明日って言っても夕方の会議だよね?明日朝にしたら十分間に合うんじゃない?」

「でも私、人より仕事が遅いから…ここまでは今日中に終わらせて置きたくて。後はホッチキスで留めるだけなので。」


平凡な私は人一倍努力しないと皆には着いていけない。
折角カツラギ大佐のベグライターになれたのだから頑張りたいのだ。

1人意気込んでいると、コナツさんは自分のデスクの引き出しからホッチキスを取り、椅子を引っ張ってくるなり私の前に座った。


「一人で大丈夫ですし、コナツさんはもう帰られてください!!」


コナツさんだって残業する日はたくさんある。ここは『ヒュウガ少佐のせいで』と付け足すべきか。
今日は定時で帰れたというのに、コナツさんに手伝わせるなんて悪い。


「うん、後はホッチキスで留めるだけだから。」


さっきの私の言葉をそのまま返されてしまって、私は申し訳ないです。と呟きながらも書類を留める手は動かす。
明日だって仕事なんだから明日に響くよ。と心配してくれるコナツさんも例外ではない。
しかも仕事で疲れた体にも脳にも彼の言葉はジーンと温かく響く。
しかもそれが私がひっそり想いを寄せる彼からの言葉となればなおさらだ。


「ですよね。もう寝ないと明日の会議で寝ちゃいそうです。」

「そんな、少佐みたいなこと名前はしないだろ。」


苦笑いするコナツさんと他愛もない話しを続けていると、時間も書類もあっという間に終わってしまった。
コナツさんは少佐のベグライターで、私は大佐のベグライターで、私たちが2人きりで行動することも時間を共有することもないため、コナツさんには仕事を手伝わせてしまって申し訳ないなという気持ちがありつつも、滅多にない2人きりの時間を共有できたことが嬉しかった。

ホッチキスが留まり終わった書類を纏めてデスクに置き、ホッチキスを引き出しに直している間、コナツさんも自分のホッチキスと椅子を定位置へと直していた。


「終わりましたー!ありがとうございました。」


椅子から立ち上がって、2人並ぶなりお礼を言う。
手伝ってくれたコナツさんと、明日の会議の書類を任せてくれたアヤナミ様には心の中で。
コナツさんと思わぬ2人きりになれたけれど、それももう終わりなんだと思えば残念で仕方がない。


「そんな畏まらなくても大して手伝ってないから。」

「いえいえ!!助かりました。明日もモリモリ頑張ります!」


執務室の扉を開けようと取っ手に手を掛けたコナツさんの横で、両手でガッツポーズを作ると、コナツさんはその手を離すなり私を見下ろした。


「あのさ名前。あんまりそんなに頑張りすぎなくてもいいから。」

「コナツさんの方が頑張ってますよ。」


真剣な表情で私を見るコナツさんに小さく微笑み返せば、彼は首を横に振った。


「そんなことないって。名前が頑張ってるの知ってるから。」

「本当は私、ものすごくドジなんです。コーヒーはよく溢すし、コピーは用紙のサイズよく間違えるし、大切な書類を失くしてしまったりすることもあれば、何もないところで躓くし、気を抜いたらショーウィンドウにぶつかることだってあるんですよ。」


あり得ないですよね。と笑ってから、自分のドジさに恥ずかしくなって誤魔化すように横髪を手で撫でる。


「知ってる。名前が頑張り屋だって僕も皆も知ってるよ。コピー取る時は絶対一枚刷って確認してか残りの部数を擦ってることも、大事な書類は失くさないように一纏めにして右の上から二番目の引き出しにしまうことも。あんまり一生懸命だから倒れないか心配になるくらい。」


彼はふと一歩私との距離を詰める。
静かな夜の空気が一気に色を変えたような、そんな瞬間、コナツさんはそっと私の背中に両腕を回して抱きしめた。
温かい執務室の空気の中、私たちの周りだけ気温が上昇しているような気さえしてくる。


「ショーウィンドウにぶつかるのも、何もないところで躓くのも、僕が手を繋いで歩いてれば防げると思うんだけど、どう思う?」


なんて魅力的な質問だろうか。
この彼の熱がずっと側にあるなんて。


「途中で離したら、嫌ですよ?」


彼の背中に私も手を回して抱きつきながら目の前の肩口に顔を埋めてそう言うと、彼は耳元で吹き出すように笑った。


冬の匂い

「じゃぁしっかり繋いでおかないとね。」


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